ブルボン朝誕生1-パリはミサに値する
2020.05.17 11:50
1589年8月2日、アンリ4世のブルボン朝が誕生した。後に栄華を極める王朝もこの時点では国土なき王である。カトリック同盟はシャルル10世を擁立し、頼りのはずの南仏ユグノー派は、この王がまたカトリックに改宗することを疑っていた。彼の味方はネーデルランドとイングランドだった。
9月、ノルマンディー征伐に出征したアンリ4世はアルクの戦いで、ギーズ公弟のマイエンヌ公に勝利、翌90年3月にもイブリーの戦いで決定的勝利を得、パリ包囲に移った。王は兵糧攻めを行い、パリは餓死者を出す凄惨な状態となった。しかし8月、ネーデルランド総督パルマ公が救援に入り、戦況は逆転。
ところが、カトリック側は5月に国王シャルル10世を亡くし、旗頭を欠く有様であった。戦況はまたもやこう着し、カトリックは93年、全国三部会をルーブル宮で開催、フェリペ2世は、娘イザベルを女王にしようと画策、それは実現寸前だった。ところがパリ高等法院がサリカ法をとってこれを否定した。
新旧双方の穏健派は、アンリ4世をカトリックに改宗させるしかないと悟った。7月25日朝8時、国王は衛兵のみを従えて王家のサン・ドニ大聖堂に現れ、待っていた大司教らがミサを行い、カトリックに改宗した。「パリはミサに値いする」と述べたと伝えられる。
下はアンリ4世の改宗