Okinawa 沖縄 #2 Day 15 (13/5/20) 与那原町 (2) Yonabaru / Agarihama Hamlets 与那原 / 東浜
与那原 大見武
- 大見武石獅子 / サーターヤー跡
- 新井 (ミィガー)
- 中之井 (ナーカヌカー)
- 井戸 (石獅子向かい)
- 待井
- ウーシヌ前 / ウジョー口
- 御嶽(山グヮー)/ イジナ殿
- 酸素ボンベの鐘
東浜
- マリンタウン
- 兄弟小節歌碑
- 芸能先達顕彰碑
- ホーミシザー
与那原 大見武 (おおみたけ)
与那覇区の中で、少し毛色の違った地域が大見武 (おおみたけ) で、海岸から一番離れて運玉森から続く丘陵の西南側の内陸部にある。与那原より宮城に近い。ここではバイパス工事で見つかった遺跡から、与那原町の中で最も古い集落があったと考えられている。
集落は南風原町でまわった集落と同じような造りになっている。集落は細い路地が斜面に走り、限られた範囲の中に民家が集まっている。集落から少し離れた丘陵の中腹に御嶽などの拝所があり、その丘陵にはいくつかの門中の墓がある。海岸部の与那原とは異なった雰囲気がある。
大見武石獅子 / サーターヤー跡
大見武 (おおみたけ) 集落センターの広場に石獅子がある。集落センターは元々は砂糖小屋 (サーターヤー) があったそうだ。集落を外れたすぐ南にある。この一帯はサトウキビ畑であったのだろう。石獅子は集落の入り口にあたる所に置かれて村を守っていたのだ。南東の方向を向いている。この方向は与那原。やはり与那原からは独立した集落だったとうかがえる。
新井 (ミィガー)
集落にはいくつか井戸が残っている。この新井 (ミィガー) は集落の北の端にあり、御拝領井となっていた。琉球王統時代に何かの褒美として与えられたものだ。造りから見てこの井戸の周りには村民が集まり情報交換の場であっただろう。
中之井 (ナーカヌカー)
集落の真中にある。元々は部落内には12もの井戸があったそうだ。正月には全ての井戸を周り拝んでいたのだが、現在でも新井、ナーカヌカー (新屋の中の井)、玉城の家の下の井(跡)、井戸 (公民館横の井)、ヌール井の五ヵ所を拝んでいるそうだ。
井戸 (石獅子向かい)
集落センターの前の道路を渡った所に井戸がある。名前はついていないようだが、ここも正月に拝まれている井戸。草で覆われていて、見つめにくくやっとのことで発見した。
待井 (読み方不明)
発見された集落遺跡のすぐ上にある。集落はこの場所から始まり、後に少し西側に移動して現在の場所になっているように思える。元々あった集落で主要な井戸として使われていたのだろう。現在でも重要な拝所。
ウーシヌ前 / ウジョー口
集落の背後にある丘陵にウーシヌ前とウジョー口と呼ばれている史跡があると案内書には書かれてある。大見武 (おおみたけ) 集落の拝所だろうが、案内書には解説は書かれておらず、準備中となっていた。インターネットで検索をするも、全くヒットしない。名前がついているところから考えると、昔から現在に至るまで、集落の人々の信仰の対象である事は確かだろう。案内書にはここへの道が書かれてあるのだが、バイパス工事で工事用の柵が設けられ、その道には入れない。衛星写真で場所を確認すると貯水タンクの近くの様だ。貯水タンクまでは道が通っているのでまずはそこまで行く事にした。貯水タンクのそばに森への入り口がある。ここから森の中に入るが道はない。鬱蒼とした林の中をハブに注意しながら感を頼りに進む。
向こうに視界が開け祠が見えてきた。あそこが目的地だろう。
コンクリートの祠がウジョー口で小山の上にあるのがウーシヌ前だ。小山には更にいくつかの拝所がある。香炉には線香を備えた跡も残っている。この周りは木も伐採されており麓への道もある。多分地元の人は工事現場を通ってここにお詣りに来ているのだろう。由来については結局分からずじまいだが、与那原の資料館が再開されればもう一度来て聞いてみよう。
御嶽(山グヮー)/ イジナ殿
丘陵は与那原バイパスで分断されてしまったのだが、与那原バイパスの東側の丘陵にべつの拝所がある。ウーシヌ前 / ウジョー口から一度下り、バイパスを超えて御嶽(山グヮー)/ イジナ殿に登る。
民家がある場所にイジナ殿がある。ここも案内書には準備中で解説は無し。
イジナ殿の上に御嶽 (山グヮー) がある。火ヌ神を祭っている。
集落から外れた丘陵には多くの門中の墓がある。これも琉球王統時代以降の集落の形態だ。
酸素ボンベの鐘
この集落にも酸素ボンベを利用した鐘が残っている。戦後の遺物なのだが、今でも吊るしたままにしている。戦後物がない時代に米軍の捨てたボンベを利用したものだ。酸素ボンベ以外にも色々な廃物を加工して生活道具を工夫していた。その時代を忘れない為にこの鐘を残しているのだろう。
東浜 (あがりはま)
この東浜 (あがりはま) は沖縄県、与那原町と西原町の共同での中城湾の埋め立てて、新しく出来た街。
この埋め立てプロジェクトは1985年に小規模静穏海域整備事業の候補地として1993年から、与那原町と西原町で構想を始めた。翌年に国、沖縄県、与那原町と西原町で構想を進めるために調査を開始。1990年に沖縄県が計画を承認し、1996年に港の埋め立てを開始、2002年から住宅地の分譲が開始された。2015年に仲井眞知事の元、沖縄県内の5つの候補地 (宜野湾海浜公園等、浦添ふ頭地区第2ステージ、那覇港湾施設、豊崎臨空港型産業用地、中城港湾マリンタウン地区) に絞られ、豊崎臨空港型産業用地が有力視されていたが、新しく就任した翁長知事の政治判断 (翁長知事と金秀とかりゆしとの緊密な関係? ) でここに決定したという。計画では、さまざまなイベント施設、ヨットハーバー、住宅地、公園、ショッピングセンターなどが集まっている。インバウンドの需要を取り込む構想で、目玉はMICEであったが、世界各国で共に設置しているIRは翁長知事時代に却下されてしまった。個人的にはIRなしのMICEでの成功は非常に難しいと思っている。沖縄県自治体のIRの理解不足と県民のギャンブルがらみの反社会団体の影響への不安が根強かったのかもしれない。以前、仕事でラスベガスなどでカジノを経営するLas Vegas Sandという会社を調べたことがあるが、この会社は長年の経験で、いかに民衆に受け入れられるカジノ経営を確立している。カジノ経営のKnow Howは立派なもので、世間が思っている様な心配はないと思うのだが、沖縄県がIR誘致を県民に説得できなかったのがこのプロジェクトの成功には致命傷かもしれない。
このマリンタウンプロジェクトは当時話題になったので、現状がどうなっているのかに興味があった。ざっとマリンタウンを走ってみたが、計画の半分も行っていないのではとの印象を持ち、この計画が成功することはないだろうと感じた。特にMICEは影も形もない。現在では、お洒落な住宅地と言ったところで止まっている。MICEについては、国の一括交付金で約500億円の財源の80%を賄う予定であったが、国からはそのフィジビリティに疑問視されて承認されず、一括交付金の条件の期間内にプロジェクト完成はできなくなった。財源を一括交付金以外で調達する必要が出てきている。(財源確保の前に既にプロジェクトの入札は行われ大林組グループが落札していたが、交付金が契約発効条件となっていた。和解金でゴタゴタしていたと思うが、その後、どうなったのだろうか?)沖縄県がフィジビリティに疑問が出されても、まだそれを継続しようとしている最もよくわからない。民間がこれに参加するのだろうか? その他の計画も当初の計画ほどテナントが集まらず、少し中途半端な感じが否めない。
計画は何度の修正されて2018年に沖縄県が公開した構想計画書が以下のものだ。MICEが目玉になっている。この他にもいろいろな資料が出ているのだが、なぜこれがうまく行くのか、その根拠やアクションがない。他の地域でも同様なのだが、ブームとなったMICEを造れば、うまく行くと考えている節があり、MICE自体が目的に変わってしまっている。MICEは手段なのだが、それをどう運営するのか、客がここを選ぶ理由はどこにあるのかを明確にしてその施策を作らなければならないだろう。特にインバウンドをターゲットにしているので、アジア諸国のMICEとの競争になる。今のところ、シンガポール、香港、マカオなどと比較して、このマリンタウンMICEの優位性は不透明だ。
ただ、人口は急速に増加し、現在では4200人で与那原町全体の22%になっている。
マリンタウン
マリンタウンの西原町側から与那原町にかけて走ってみる。西原町にはマリンパークのレジャー施設があるのだが、今はコロナウィルス感染予防の為休館中。
西原町から与那原町にかけて多くの公園がある。それも芝生で覆われてゆったりとしている。新しい街づくりが行われている。この様な住宅地、レジャー施設、そしてMICEの集合地域プロジェクトはここだけではなく、中城湾の別の地区でも勧められている。
東浜は住宅地、ショッピングモール、MICE予定地、ヨットハーバーなどは区画毎になっていて、すっきりしている。
住宅区画には本土と同じようなデザイン住宅が建っている。土地代が比較的安い (180平米で約1000万円) のでゆったりとした感じになっている。住民にとってはMICEが出来ない方がゆったりとした生活がおくれるので良いのではなかろうか?
マンション群地区
ランナバウトまである。
文化財もいくつか作られている。
ホーミシザー
水路向かいの与原海岸にあった大岩で、信仰の対象となっていたが沖縄戦で破壊。その岩の一部が現在地に安置保存されている。
兄弟小節歌碑
沖縄で有名な兄弟小節(ちょーでーぐゎーぶし)の歌碑。沖縄の気質が現れている。「いちゃりば兄弟(ちょーでー)、ぬーうち隔ぬあが = 出会えば兄弟、何の隔たりがあろうか」と歌っている。沖縄のことわざの「いちゃりばちょーでー」を表している。「人と人が一度逢えば、それも何かの縁であり、兄弟のようなものだ」という意味。この唄を作った前川朝昭が与那原出身ということから、この石碑が造られている。
芸能先達顕彰碑
与那原出身の宮城嗣長 (琉球古典音楽家)、伊良波尹吉 (役者)、仲泊兼蒲 (琉球古典音楽家)、宮城嗣周 (琉球古典音楽家) の四師の顕彰碑。
この地区はインバウンドの観光客の増加を狙ってのプロジェクトではあるが、MICE財源問題、那覇からの交通が不便な事、宿泊施設が少ない事などで必ずしもうまく進んでいるわけでは無い。(ホテルは未だ建設されていない)
MICE用の広大な駐車場はあるが、肝心のMICE がどうなることやら...
空き地がめだっている。住宅地分譲の案内板は色褪せてしまっているし、分譲予定地は草が生え放題で上手くいっていないのだろうか?
東浜を一巡りして感じたのは、このマリンプロジェクトの中途半端さで、沖縄県が何を考えこれを実行しようとしているのか、ある意味で無責任さだ。ここでのMICEの成功が難しい事は認識している筈だが、いまだに財源の目処もたたないままプロジェクトを続けている。更に違和感を感じるのは、このプロジェクトに関して県民はほとんど問題視していない様に思える。国の交付金で80%を賄う予定だったので、問題意識も無かったのだろうが、現在はその資金は沖縄県が解決しないといけなくなっている。この事に県民はどう思っているのだろうか? 交付金頼みで、収益性に疑問があるプロジェクトをいくつも行なってきた体質は大きな問題だ。沖縄県政の甘えの構造が出来てしまっている。
今晩は麻婆豆腐を一から作ってみた。レトルトのものより出来が良い。思っていたより簡単だった。少しは料理の腕が上がったかな?
コロナウィルス騒動に対して感じる事 - リモートワーク
自宅での自粛を要請されている中、各企業で行われ始めたのが、このリモートワーク。報道を見ていると、導入した企業で特に大きな問題は指摘されていないし、労働者もそれなりの工夫をして大きな混乱は無さそう。ある人は生産性が上がったと言っている。そうであれば良いのだが、本当に問題が無いのだろうか? このコロナウィルスの影響でリモートワークをせざるを得ない状態になってまだ、1-2ヶ月だ。問題が認識出来るほどの期間が経っていない。労働者は今までやっていたことの延長線で働けば良い。ここ1-2ヶ月でやる事は、ある程度固定している。問題がある方が稀だろう。それをあたかもリモートワークには問題無いと言い切る。これはリモートワークの難しさを理解していないからの発言と思える。導入して問題に気づいた管理者がいる所は今後の対策を考えられるだろうが、リモートワークを新しいワークスタイルだと浮かれている企業ほど今後に課題を残しているのだと思う。このリモートワークの難しさは、作業を行なっている側ではなく、そのマネージメントにある。労働者は仕事が決まれば、場所はどこでも淡々とやるだけだが、マネージメントはその仕事の進捗や仕事の質、それぞれの作業の関連性、起こり得るリスクと対策、個人の仕事の評価、個人のモチベーションの維持、次の計画など多岐に渡る。環境が変わり、物新しさで浮かれて仕事を自宅でしている労働者をいかに動かしていくかを真剣に考えているマネージャーがどれほどいるのだろう? 労働者にとっては、会社で監視されながら働くより自宅で気楽に働ける方が良いに決まっている。予想されるのが、このコロナウィルス騒ぎが収まれば、こんな大変な時があったと回顧話で終わっているかもしれない。リモートワークは働き方改革で進めて行かなければならないのだが、このコロナウィルスを機会として経営者と労働者の双方にベネフィットがある体制を模索する機会として捉えるべきだ。企業側としては、業務と労働者の効率的なマネージメントができる体制を作るべき。そのためには、それができるマネージャーの育成が必要だ。しかし経営者側には、その経験が無い。どのようにマネージャーを育成すれば良いのかがわからない。まずは業務を効率的に動かす為にどのような要素が必要か、現状どのギャップ分析、アクション計画を立てることだろう。これを今実施できる企業が、本当のリモートワークで成功できる。政府は新しい生活様式と言っているが、具体的に分かって言っている訳では無い。New Normalが必要とは思っているのは確かだが、具体的にわからないので、国民にそれぞれの立場で新しい生活様式を考えなさいと、ある意味無責任に言っている。このNew Normalには企業の運営が大きな役割を果たすであろう。今回の世界的経済の大きな落ち込みの中、企業は更なる効率化を追求して、ドメインの絞り込み、コストカットのためのリモートワークや人員削減を行う筈だ。労働者にとっては最も辛い時代になるだろう。その中で労働者も自分の生活の見直しが要求される。今は助成金などで一時しのぎをしているが、そのような施策は続くわけではなく、本当の試練が2-3ヶ月後から始まる。企業も労働者も、その時に備え考えて、覚悟すべきだ。