「宇田川源流」 東南アジアでは「治療法が確立していない」今でもすでに若者が働き始めているという「命」と「経済」のバランス
「宇田川源流」 東南アジアでは「治療法が確立していない」今でもすでに若者が働き始めているという「命」と「経済」のバランス
今回のコロナウイルスいよって様々なことが見えてきた。ある意味で「アフターコロナ」というようなことが言われ、今までとは全く異なる社会に変貌するということが言われているし、また、日本政府も「新しい生活様式」などということを言ってコロナ後の生活が元に戻るということは案に否定している感じである。
さて、このコロナウイルスに関する政府の対応を見ていると、すでにこのブログでは紹介したように、そんなに間違ったことはしていない。「ベスト」ではなかったし、日本よりも優れた対応をしている国は多かったが、しかし、日本の対応が悪かったということはあまりないのではないかという気がする。
実際に、日本は2月上旬の段階で「感染者を増やさない」という対応から「死者数を増やさない」という対策に切り替えている。このことは、PCR検査を制限するということで、批判はあっても、病院に行く患者数を制限したということになる。そのことが功を奏して、病院や老人施設などにおけるクラスター以外は、病院がパンクして医療崩壊を起こしてしまうような事態を避けたのである。
一方、「感染者を増やさない」という対応を捨てたことで、都市封鎖(ロックダウン)のような過激な状態を作ることはしなかった。この対応は、諸外国から日本の対応に対する懸念が示されたものの、その懸念が杞憂であったことは日本の死亡率の少なさから言えるのではないか。もちろん犠牲者「ゼロ」が理想であり、なおかつ、それで今までの経済活動なども全く制限することなく行うことが「理想」であり「ベスト」であるとすれば、やはり日本の政策はベストではないもののベターではないか。
その日本が「39県で緊急事態宣言が解除」された。ではこれから何が起きるのか、そしてどうすべきなのか。そのことを考えてみなければならない。
45歳以下は職場復帰? 経済悪化のインドネシアで検討
新型コロナウイルス対策の規制の影響で失業者が増え、経済状況が悪化しているインドネシアで、政府が45歳以下を職場に復帰させる検討を進めている。
「若い世代は感染しても、発症するとは限らない」と理由を説明。感染が拡大するなか、免疫学者からは「時期尚早」との声が出ている。
政府対策本部のドニ・モナルド本部長は11日の会見で、「我々は国民を感染からだけでなく、失業からも守らなければならない」と発言。首都圏など31自治体で職場勤務などを禁じる「大規模な社会的制限」(PSBB)について、45歳以下の勤務を促すため、緩和策を検討中だと明らかにした。
過去2カ月間、感染者の死亡率は46歳以上が約85%を占める一方、「若い世代は健康かつ活動的で、感染しても発症するとは限らないため」と、45歳以下を対象にする理由を語った。緩和の時期は示さなかった。
インドネシアでは首都ジャカルタで4月10日から、その後に周辺でも施行されているPSBBの影響で、失業者が急増している。イダ・ファウジヤ労働相は今月8日、新たに失業や一時解雇された人は少なくとも170万人に上ると発表。新型コロナの感染が広がる前、国内の失業者は約700万人だった。
政府は、食費と職業訓練、貧困層への現金支給に総額110兆ルピア(約7800億円)を支出する。生活必需品の支給も始まったが、「十分に行き届かず、効果も薄い。統計外の非正規の失業者は3千万人とも言われる。政府は感染リスクを承知で、緩和を検討せざるを得ない」と地元紙幹部は指摘する。
2020年5月16日 11時0分 朝日新聞デジタル
https://news.livedoor.com/article/detail/18269152/
基本的に「政策」は「バランス」である。このコロナウイルスに関して言えば「死者を出さない」ということと「経済活動を縮小しない(または早めに復帰する)」ということが最も重要なのではないか。
まず「様子がわからない」間は、どの国も最も厳しい感染防止策及び死者抑制策を出すのが普通なのであるが、それに対して、ある程度様子が分かったところで当然に「経済活動の再開」ということが話題になる。ある意味で、いつまでも経済活動を行わないということはできないのである。
日本のネット上の不満などは、まずは「命の危機がある」という場合は「自分を守ってくれ」というような感じになるのである。それに対して、「命の危機がない」「ちょっと苦しむだけで大丈夫」「インフルエンザと同じくらいであろう」ということになれば、当然に、その内容ではなく、「経済活動を再開してくれ」または「遊びたい」「自粛飽きた」というように変わる。「早く緊急事態宣言をしろ」といっていた人が、いつの間にか「早く着緊急事態宣言を止めろ」と立った1カ月で変わってしまうのである。
逆に政府も同じような話になる。単純に言えば、「経済活動をしなければ、財政が持たない」ということになる。日本は金持ちだというようなことを言うが、政府は、「国家」とは異なる。
GDPと国家予算は全く違うものであるが、なぜかその辺を冷静に解説するマスコミがないのである。このことは日本だけではない、まあ、共産主義国家は「すべての私有財産を認めない」ということであるから、GDP=国家財産=政府財産となる。もっと言えば、足りなければ接収してしまえばよいのである。
しかし、そのようなことが日本では全く許されるはずがない。「税金は払いたくない、でも、国からの金は欲しい」という、一見当然と思うかもしれないがかなり矛盾している内容を平気でいるような人々が多すぎるのである。
このようなことから、インドネシア政府は、「我々は国民を感染からだけでなく、失業からも守らなければならない」と発言。首都圏など31自治体で職場勤務などを禁じる「大規模な社会的制限」(PSBB)について、45歳以下の勤務を促すため、緩和策を検討中<上記より抜粋>
まさに「死ななければよい」という感覚から「経済困窮で殺すことをしない」というようなことに代わるということが出てくるのである。
さて、この基準で言えば、私は働かなくてよいというような話になるのであるが、経済活動をどのように考えてゆくのかということが大きな問題になる。インドネシアであっても経済を重視している。日本も「コロナウイルスばかりではなく経済に関する意識も向けるべき」である。働かずに金をくれというばかりでは話にならないのである。