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中山身語正宗覚弘院

六方を礼拝する人に(令和2年5月法話)

2020.05.17 21:59

お釈迦様が、朝の行乞(ぎょうこつ)に行かれた時、

長者の子シカラオツが東南西北上下の六方を4度ずつ礼拝しているのを見られて、

「長者の子よ。今、六方を礼拝していたが、これには何か訳があるのか?

私に聞かせてくれまいか」とお釈迦様が。

すると長者の子が答えて、

「世尊よ。

父が存命の時に、私に教えてくれたことです。

私は、その理由は分かりませんが、父の死後も引き続き、毎朝やっているのでございます。

世尊よ。私のために『六方礼拝』の意味をお説きください」と。

「長者の子よ。六方礼拝には深い意味がある。

よく聞きなさい。そしてよく考えなさい。

六方礼拝するには、六方の意味を知らねばならぬ。

東方は父母。南方は師。西方は妻子。北方は友。下方は召使い。上方は僧・バラモン。

これらの六方の人々に対して、善くつかえたり、接したりすること。

逆の立場の場合は、慈悲をもって接し、自分の役割の義務を果たすこと。

これ等の意義をよく理解して六方を礼拝することで、六方礼拝の意義は徹底するのである」と。

☆  ☆

私達は仏教を信心しています。

しかし、その意味をしっかりと理解しているか、どうか?

そのことを教えて頂くお話にも思えます。

先祖代々、信仰しているから手を合わせている、とか。

願い事があるから、お参りをしています、とか。

ただ何となく信仰を続けています、とか。

私達が仏教の信仰をする本当の意義をよく知って、理解して、実行することで、仏教を信仰する意義が徹底されるのだと思います。

「六道輪廻」と説かれるように、私達の「命」は六道の世界のいずれかで生きていくことになるのでしょう。

それは、自分自身の行い(身口意の三業)の結果によって生まれる世界が決まります。

仏教では、少しでも皆が幸せになり、苦しみを受けずに済むようにと願っています。

幸不幸は、神仏が決めることでなく、自分自身の行いによるものだということを知っていただき、

正しい仏教信心を実行して、幸せになって頂きたいと願っています。