Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

Infinity ♾ Konohana

自分で自分を癒す

2020.05.20 04:58

最近瞑想に加えてパスワークを日課にしています


自粛生活が増えて、普段なら家の外にいるはずの家族や又は自分が、一つ屋根の下に集うと言う状況は、多くの方にとって初めての経験なのではないかと思います


普段は"居ない"と言う事で見過ごせたり、1人の時間を持つ事や仕事に向かう事で解消できていた"様に見えた"ことも、そのやり方が通用しなくなってきますね



家族との時間で見える他者との関わりは、そのまま自分自身との関わりに置き換えられます



子どもとの関わりは自分自身の中の子ども(インナーチャイルド)との関わりであり、パートナーとの関わりは、自分の中にある男性性又は女性性(又は親)との関わりです



そして誰の人生にも1番大きな影響を与えると言われる親との関わり、それは権威との関係性だったり、又は自己の存在価値との関わりでもあったりします



この世での生き残りをかけた状態で存在している子どもは、親の手助け無しには生き残ることができない事を身体で知っています



そして、そのほとんどが潜在意識の塊の様に存在している彼らは、親が潜在的に持つ心の状態を自分のこととして認識しています


親=自分なのです


でも多くの親の方はその事に気がついていません(私もそうでした)


小さな子どもの世話と言うのは、本当に大変なものです、休憩時間もなければ、こちらの理屈は彼らにはまかり通りません


24時間絶え間ない欲求に応え続けるのは、どんな親にも非常に困難なものです



しかも子どもの感情表現とは本当にストレートで豊かなもので、そこに意味づけがなければ、彼らの泣き叫ぶ声や笑い声、怒りの表現、ユーモアの表現全てが本当に清々しく、その全体性に惚れ惚れとしてしまいますが

(泣いても怒っても可愛いと言うヤツです)


私達、特に昭和生まれの日本人は、泣いちゃダメだよ、泣いたらカッコ悪いよ、泣かなかったらよくできたね、大きな声を出したら迷惑だよ等と言われて育ちます


ストレートな情緒の表現よりも、社会性=人に迷惑をかけない事、注目を浴びない事が重んじられる民族性だからです


それはそれで、ある程度の成熟を果たした年齢層以降には"調和"と言う形で社会に対して現れますが

それを小さな子どもにまで当てはめてしまうのは、個人の情緒的な発達と言う観点から見たときに健全な態度とは決して言えません



しかし代々その様に育ってきた私たち大人は泣き叫ぶ子どもへの対処のし方を知りません


その上、泣く事、怒ること、叫ぶ事=やってはいけない事、悪いことと言う様な非常にネガティブな信念を育ててきています


ですから子どもが泣いた時、どうしても自分の幼少期に言われた記憶の蘇りと共に、コレは"悪いことだ"と言う観念に囚われてしまいがちです


そして同じ事を繰り返し、そのまた子どもも同じ観念の芽を育て始めていきます



ではその悪循環を断ち切るにはどうしたらいいのでしょう



まずは、感情表現に良いも悪いもない事を知ることです


感情とはただのそう言う種類のエネルギーだ


と言うだけの事です、それ以上でもそれ以下でもありません


その感情に価値をつけている自分の信念は何か?

それがどう培われて来たのかを知ることです



誰かや何かから与えられたその感情にまつわる体験をもう一度思い出して整理してみましょう



幼少期に

「泣いたら怒られた。

怒ったら放置された。

笑っていた時にだけ相手にされた。

優しさを表現した時にだけ褒められた。」等



そんな経験を通して、子どもはその感情表現に優劣と言う名の意味合いをつけて行きます



親からの愛と注目を浴びたい為です



そうでなければ生き残れなかったから



そして親=自分だったから

(まだ自他の区別が薄い)


親がいい気分でいてくれる事=自分の気分も良い

その為にはどうしたらいいか、まるっと無意識の子どもは全てを知っていて、その様に(親の望む様に)行動しています

無意識的ではありますが、子どもの方が実は何枚も上手で策略家なのです



まずは今不快だと感じる感情を存分に味わってみましょう

そして何故そう感じたのかその本当の理由を書いてみましょう


最初は相手のせいでも大丈夫です

相手がああだったから、こうだったから、感情の赴くまま書き出してみますetc


次にその相手や状況に、本当はどうして欲しかったのかを書いてみます


そして何故そう願っていたのか、そこから得たかったものは何だったのか?を探ります

(自分しか読まないのでとことん正直になる事がキーポイントです)


得たかったものが例えば状況やモノだったりした場合

それを得た事で感じるであろう、又は感じたい感情を書いてみます


それが恐らく最終的に得たかったもので


そして多くの人にとって子供の頃の養育者から得たかったけれど得られなかった(と感じた)ものです



不快な感情をもう一度体験してみることは、最初中々怖いかもしれません



でも私達は間違いなくその頃よりも成長していて、その時に親から得たかった愛や承認は本当は既に私達自身の中にもある事を知っています


その時の小さくて無力だと思っていた自分へ



その時に得られなかったと思っていた愛と承認を今のあなたが自分自身へ与えることができるのです



ネガティブだなぁとか、感じたくないな、もやもやするなと思っている感情が湧き上がる経験をされている方がいたら、是非試してみてください



本当に得たかったものが実は既に自分の中にあった事に気がつくかもしれません



そして、今までは仕事や外側へ意識を向ける事で誤魔化す事ができてきたのかもしれない感情は、そのままにしていても生涯なくなる事はありません

(むしろ強化されるか複雑化します)



それは家族がいるせいで湧き上がった訳でもなく、元々あったものです



小さなそんなワークの積み重ねはこれからの新しい時代に生きる自分と家族の力になって行くと思います



ちょっと辛いな…と言う時にはエッセンスなど、色々なサポートを受けながらされることもお勧めです