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吹奏楽に、生きる。

中学時代を振り返る。③

2020.05.22 09:00

中学時代を振り返る。①、②の続きです。





顧問のA先生は、合奏の仕方にこだわりがあった。


本格的にコンクール曲の合奏を始めたのは7月中旬ごろ。


それまでは、パート練習や、金・木・打に分かれてのセクション練習がメインだった。


基礎練習を大事にし、合奏中もチューニングやロングトーンを徹底していた。


また、打楽器は自前で揃えたりと、かなりこだわっていたと思う。


ホール練習か何かで、1度公欠扱いで学校を抜けた事がある。

その時のなんともいえない喜びが、今も忘れられない、


合奏中も色々とあったと思うが、記憶があやふやなので割愛。先生が厳しかったので、それほどおもしろエピソードは無かったかなと思う。


そんなこんなで月日は流れ、コンクール当日となった。


出番は18時とかそれくらいだったが、9時ぐらいには学校に集まっていた。

女子達は朝の4時に集まり、みんなでお揃いの髪型にしたと話していた。


最後のチェックをし、出発時刻となった。


僕が通っていた中学校から、当時の南地区大会のコンクール会場だった「堺市民会館」までは、およそ1駅分の距離。この時は全員で歩いて会場まで向かった。途中で軽い熱中症になる子もいた。みんなで励まし合いながら、なんとかコンクール会場まで来れた。


そこからの記憶は実はほとんど無い。

だが、中学校の卒業文集で「想い出の12分間」と題して作文を書いた(はず)ことから、本当に楽しかったんだと思う。


覚えているのは、真っ暗な外で、みんなでワンワン泣きながら、部長の挨拶や先生の言葉を聞いたこと。

部長の思いが詰まった「みんな、大好きやで」の一言。


結果は「銅賞」

評価も"オールC"と言われるものだった。


コンクール会場から帰ってきた真っ暗な学校は、少し寂しげだった。



短い夏休みの後、10月の新イベントだったかの連合音楽会、体育大会、文化活動発表会への練習が始まった。


「シンクロBOM-BA-YE」「国民の象徴」「ハリウッド万歳」「LOVE LOVE LOVE」「学園天国」…


特にハリウッド万歳は、当時の僕にとってかなりの難曲で、はじめてジャズというものを知った曲だった。技術的に進歩出来た想い出の1曲でもある。


ちなみに引退の前週には、パート練習時に感極まってボロボロ泣いたりした。



そして最後の日。文化活動発表会。


「LOVE LOVE LOVE」では、先生のテナーサックスソロが盛り上がった。


最後のアンコール曲は「学園天国」

部長の「アーユーレディー?」から凄いテンションで、演奏も凄い事になっていたと思う。でも、ひたすらに楽しかった。


後のお別れ式では、SMAPの「オレンジ」を3年生で合唱し、1年と少しの吹奏楽部生活は、とても充実した想い出と共に、幕を閉じていった…





こう中学時代を振り返ると、いかに大切な日々だったかを改めて実感する。


当時の顧問だったA先生はその後、出身校の部活指導者として僕を招いてくださり、今も先生が顧問を務める学校で、指導に携わらせて頂いている。


吹奏楽の楽しさを教えて下さったのは、間違いなくA先生。本当に感謝してもしきれない。



今、たくさんの吹奏楽に携わる大人の人達が、生徒達に出来る事を真剣に考え、議論を重ねている。


もちろん事情は様々あるが、やはり、合奏の喜びを噛み締めてから引退させてあげたいというのが本音だ。


僕も何か行動に移そうと府知事宛に、文部省からの通達を受けて、どんな事が今できるのか、どんな議論がされているのかをメールを介して相談した。

(5.22の吉村知事のSNSで、これに関しての話題がありました。良かった。)


「今、出来ること」

きっと何かいい策があるはずだと信じている。


最後まで読んで頂き、ありがとうございました😊