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見えてきたリモートワークの現在とこれからの社会

2020.05.20 07:14

 つい先日、とあるテレビ番組を見ていたら、とある有識者のかたが、これから(コロナ後)変化する世の中に対して、嬉々として語っていた。そのかた曰く、これからの日本は明るい未来が待っているらしい。超高齢化社会に突入している日本は、これから大きな転換点を迎えるであろう、とのことだ。


 私は、基本的に現実的な考えを持っているタイプだと自分自身を認識している。この数ヶ月の世間の動きや世の中を見て、これからの日本は、かなり厳しい局面を迎えるのではないかと悲観的に考えている。勿論、世の中の働き方はテレワークなどによって大きく変わりつつある。通勤地獄みたいなものも多少は緩和されるかもしれない。しかしながら、諸々の政府の対応、世の中の企業対応などを俯瞰してみると、若干の絶望を感じる人も少なからずいるのではないだろうか。


 誤解があるかもしれないが、日本を仕切っているのは、結構なお年を召したご老人たちである。勿論、世の中全てのご老人たちがそうだとは言わないが、何かをガンガン変革していくのは、相対的に見て若者のほうがその割合が高いであろう。さらに言えば、今の40代ぐらいまでは、このリモートワークの働きかたに対して、かなりありがたく感じているだろうし、今後、このコロナが収束したあとも、なるべく無駄な出社は控えて効率的に働きたいと考えている人が圧倒的に多いであろう。


 しかし、繰り返すが、世の中の構造として見た場合に、意思決定を行うのは、結構な年齢のご老人がその大半を占めている。そうすると、デモグラフィック(人口動態的)な部分で、構造的な歪みがこれから生まれてくるのではないだろうか、と懸念している。


 ちなみに、もし仮に日本の平均年齢が現在、あと15歳程度若ければ、確実に日本は大きく変わっていただろう。最先端のテクノロジー都市に東京は再度生まれ変わり、地方などは自然とテクノロジーを活かした街、もしくは産業クラスターのような街などに生まれ変わっていったのかもしれない。

 しかし現実として、これからは、それに付いていけなくなる年配者と、変革を求めながら、なかなかそれが困難であるがために地団駄を踏む若者たちとの断絶が深まることになる可能性が高い。


 手段というツールを変えるだけではなく、全体的な構造を変えていかないと、なかなか社会は変容しないのではないだろうか。


 ちなみにまたこの論点とは別に自分自身、リモートワークを1ヶ月もすると、かなり要らないもの、必要なものも見えてきた。これからこの要らないものに代替するサービスがどんどん生まれ、必要なものをより深掘るようなサービスがますます発展するだろう。


 個人的な感覚だが、今後リモートワークが引き続き進んでいった際、不要になっていくもの、またいっぽうでそれでも必要なモノ、コトを簡単に纏めてみた。



不要なもの

 ・通勤

 ・紙文化(契約書等の押印)

   ・相対する業務的な打ち合わせ

 ・無駄なチャット上の儀礼的なやり取り

  (逆に不要な気がする) 

 ・オフラインセミナー

  (出会いの場としての提供はあるかもだが、知識獲得はオンラインで充分)

 ・最寄品の買物

 

  

必要なもの、必要だと改めて認識したもの

 ・運動

    ・スポーツ観戦

 ・直接的な親交を深めるコミュニケーション

  (仕事はオンライン、関係性構築はオフライン)

 ・音楽ライブ

  (配信よりも生のようが良い)

    ・外食

 ・直接会う飲み会

    ・旅

 ・家族

    ・自然との触れ合い

 ・プライベート空間

 ・贅沢品のショッピング行動


 

 というように不要なものは、そもそも普段から不要だったもののような気がする。

 言い換えれば、必要なものは、致し方なく補完品によって対応され、不要なものは、たとえばオンラインセミナーのような代替品に変わっていっている。現在は、必要なものと不要なもののサービスが一緒くたになっている印象だが、このあたりは今後大きく精査されていくだろう。


 これから世の中が変わっていくためには、おそらく強烈なイノベーションのジレンマが発生するはずだ。イノベーションのジレンマとは、旧態の支配組織では、プロダクトのイノベーションは生まれていかないというジレンマのことを意味する。


 もし若い世代で大きなイノベーションが起こる時、意外と重要になるのは、このイノベーションにご老人を上手く巻き込んでいけるかが鍵となるかもしれない。


 また、これらが上手くいった場合、初めて日本に大きな変化が生まれるだろう。

 現実主義的ではありながら、大きな変化を期待する自分もいっぽうでいるのだ。