片付ける
数日前に本を読み終わった。
2週間かけて読んでいた。
今までの自分の経過をなぞっているみたいだった。
不思議…でもなかった。
整理される所もあった。
この内容を理解できるかどうか、で
様々な確認になるなぁと思う。
ていうか、ぼやけていたところがくっきりし、波動が変化したからだろうね
この手の文章を書かなくなった。
言葉が出なくなった。
言葉が出るのは
意識に引っかかるものがあるからだ。
自分のために書くことがほとんどだが
時々伝えたいという意志が働くこともある。
それが凄く薄れてしまっている。
それは何故か?
理由はハッキリしている。
言葉にはならないが。(笑)
ならないが、そういうわけだから
意識に上ってこない。
こうなると伝える必要はなくなるし、
自分の意識としても関心事では無くなってしまうんだね。
じゃあなんで今日は書くのか
ひさしぶりに意識に上ってきたからだ。
アトリエの片付けを続けている。
今日はずーっと手を着けることを避けてきたお花の教室の資材などを大量に動かした。
多忙を極めていた当時の私の「頑張り」の記憶がかなり紐付いているらしく
頑張ることをやめられなかった、という強烈な執着に向き合うことになった。
いろんな事を体験し、多忙だった割に収益が薄く、無理に無理を重ねて這うように日々を繋げて生きていた記憶。
苦しいから、苦しみから抜けられない。苦しいからこそ、苦しみを握りしめ続ける。苦しみを止めたら負けだと感じるほどに。空虚なプライドの塊と化していた。
そんな当時の私に「チカラを抜いて」なんて言葉はバカにされているとしか思えなかった。
数年かけて変化してきたが
その、残っていたチカラのカケラをついに抜いた。
最後の執着を手放す時をようやく迎えた、と感じて
なんとなくお祝い的にピザを食べた。(笑)
捨てるものはそこそこで、
お花たちはきちんと箱などに収めてわかりやすく「奥の方に」しまった。
必要なときはいつでもすぐに出せるように。
捨てたり、誰かに譲るときが来るかもしれないけれど、今はまだそうではない。らしい。
持ち物が膨大すぎて大変だ!
目標が存在しない状態
これが最善であり、
最大限のパフォーマンスを生み出しうる
本質的な「自由」の状態なのである。
目標や夢、、未来予測や、いわゆる「引き寄せ」という観念が全て「過去という記憶そのもの」だと気づいていること
生きがい、使命、やりがいという「自分の価値」に全く関心がない状態(故に探さない)。
つまり「今ここ=空(無)=全て」
という真実
引っかかりのない自由な
穏やかで心地よい
「何もない私」という存在のまま
それまでと何一つ変わらない日常を
変わらない人間関係の中で
「体験を楽しんで」生きていく。
この肉体が尽きるまで♪