「エリザベス1世の統治術」1 エリザベス女王誕生①
コロナ禍も収束に向かいつつあり、出口戦略が問題になりつつあるが、今後の日本の在り方を考えるうえで不可欠な考察事項の一つは、国家をけん引する指導者像を明確にすること。世界的に見てもお粗末としか言いようのない対応しかできなかったトップに代わって、真に国民の命、安全、利益を守り豊かな生活の基盤づくりを推進、展開できるリーダーの在り方、育成方法を考えること、これを、目の前の諸問題の解決に忙殺されて忘れてはいけない。歴史上、優れたリーダーは数多くいたが、ここでは今の日本よりはるかに困難な状況の中で難題に取り組み、解決し、大英帝国の基礎を築いたエリザベス女王(1世)を取り上げたい。彼女は、イングランドが戦うことになるスペイン無敵艦隊を後押しし、エリザベスを破門(ということは、エリザベスを殺害しても罪に問われない。)した教皇シクストゥス5世にこう言わしめた。
「女王が上手に国を統治しているのを見るがいい。たんなる女が、あのちっぽけな島の女主人にすぎない
身で、スペイン、フランス、神聖ローマ帝国など、すべての国々から恐れられているではないか!」
彼女が即位したのは1558年。エリザベスは言葉に尽くせぬ苦難の末に王冠を手にした。3歳にも満たないときに、母アン・ブーリンが断頭台に送られた。母の従姉で父の5番目(ヘンリー8世の妃は6人)の妃キャサリン・ハワードも、そしてエリザベスの初恋の人トマス・シーモアもロンドン塔に投獄され斬首された。父も13歳で亡くす。姉メアリ女王の時代には、「ワイアットの乱」(プロテスタントによる女王メアリの廃位を図った反乱)の巻き添えをくらいロンドン塔に投獄。母と同じ運命をたどるのかと覚悟した。姉のエリザベスへの憎悪(メアリの母はヘンリー8世の最初の妃。エリザベスの母アン・ブーリンによって王妃の座を奪われた。プロテスタントのエリザベスに対して、メアリは狂信的ともいえるカトリック)は激しく、王位継承権を奪われる恐怖に脅え、何度も生きる希望を失いかけた。
そんなエリザベスがいよいよ女王の座につくのである。亡き女王メアリの指からはずしたばかりの黒いエナメル製の戴冠式の指輪を献上されたエリザベスの口から、座右の銘にしている『旧約聖書』「詩篇」の一節(118章23節)がラテン語でついて出た。
「これは神の御業(みわざ)、わたしたちの目には驚くべきこと」
さらに「詩篇」118章の別の一節(13~14節)が頭をよぎる。
「激しく攻められて倒れそうになったわたしを主は助けてくださった。主はわたしの砦、私の歌。主はわたしの救いとなってくださった」
しかし、エリザベスの前には途方もない難題が待ち受けていた。
「女王は貧しく、国は貧にあえいでいる。貴族も貧しく退廃しきっている。優れたよき軍司令官はおらず、戦いに秀でた兵士もいない。民は秩序を忘れ、正義は行われていない。物価は何もかも高い。食品も飲料も衣料もばか高い。民は互いに争い、スコットランドとの戦争は続いている。フランス王はイギリスに馬乗りになり、カレーに片足を、もう一方の足をスコットランドに置いている。イギリスは不倶戴天の敵に囲まれ、外国に信頼できる友を持たない。」(エドワード6世時代の枢密院事務官アーマギル・ワッド)
カレーは、フランス北部のドーヴァー海峡に面した要地。百年戦争で1347年にイギリスに占領された。百年戦争後も、カレーだけはイギリス軍の占拠が続いたが、15世紀末に始まったフランス(ヴァロワ朝)と神聖ローマ皇帝(ハプスブルク家)のイタリア戦争の最終局面で、スペイン・ハプスブルク朝のフェリペ2世がイギリスのメアリ1世(カトリック)に出兵を要請、それに応えたイギリス軍がフランスに侵攻したが、かえってギーズ公の率いるフランス軍に敗れ、1558年にカレーを放棄。これによって1346年以来、200年以上イギリス領となっていたカレーをフランスが奪回した。大陸への唯一の兵站基地カレーを失った結果、国防は緩み、貿易は甚大な被害を被る。物価はとめどもなく高騰し、労働者の一日の賃金は4ペンスから6ペンスにはね上がったが、1ポンドの牛肉が4ペンスもし、卵に至っては、2個で1ペンス、1ダース購入すれば1日の賃金がふっとんでしまう。飢えに苦しむ民は、どんぐりを挽いてパンを焼き、エールの代わりに汚染された水を飲み、病人が続出。さらに物価高のほかに、悪貨がイギリス経済をどん底に追い詰めていた。
フランスとの戦いだけではない。スコットランドとのこぜりあいが絶え間なく続き、莫大な戦費が湯水のように流出し国庫は空同然。カトリックによる異端狩り(プロテスタント弾圧)と頻発する反乱のため、民心は冷え切り疲弊していた。これがエリザベスが女王就任時のイギリスの姿だった。
ロダン「カレーの市民」国立西洋美術館(日本)前庭
百年戦争時の1347年、カレーが1年以上にわたってイギリス軍に包囲されていた「カレー包囲戦」で、ウスターシュ・ド・サン・ピエールが、他の5人の高位のカレー市民と共に人質としてイギリス国王の陣営に赴き、カレー市と市民の生命を救った史実をロダンが表現。
「アン・ブーリン」ナショナル・ポートレート・ギャラリー
エマヌエル・ロイツェ「王妃の座を追われるキャサリンと、公衆の面前で愛をささやく国王とアン・ブーリン」スミソニアン・アメリカ美術館
アントニス・モル「メアリ1世」プラド美術館
ハットフィールド・ハウス 1558年11月、この城館でエリザベスは姉の死を知らされた
「エリザベスの即位」ナショナル・ポートレート・ギャラリー