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#Number #内田樹 #兵法 とスポーツと #パンデミック

2020.05.21 01:22

「Number Ex 」内田樹様よりシェア、掲載。

ありがとうございます。感謝です。

内田樹

Tatsuru Uchida

1950年生まれ、フランス文学者、武道家、神戸女学院大学名誉教授。『ためらいの倫理学』『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』街場シリーズなど著書多数。


内田樹が語る「兵法の危機対応術」。スポーツとの差、パンデミック対策

posted 2020/05/16 11:40


武道、兵法の目的は「勝つ」よりも「生きる」に近い。その知恵は勝敗の世界で生きる人間にこそ有意義なものになるだろう。


スポーツと武道は危機対応術としてどう違うのかについてというお題を頂いた。


武道家の立場から、両者の違いについて一言書きたいと思う。ただ、以下は私の個人的な知見であって、武道家の一般的見解ではない。


 というのは、現代日本で「武道」と呼ばれているものは広義のスポーツに含まれているからである。そうである限り、「スポーツと武道の違い」というのは「果物とリンゴの違い」と同じく、対比的には論ずることができない。この二つを対比的に論じるためには「武道はスポーツではない」というところから話を始めないといけない。そのための迂回をご容赦頂きたい。


 敗戦後の1945年、GHQは「超国家主義および軍国主義の鼓吹に利用され、軍事訓練の一部として重んぜられた」との理由により、学校体育での剣道を禁止した。翌'46年にはひろく社会体育における「武道」という名称の使用そのものが禁じられた。


 そのとき、剣道家たちは、苦肉の策として、剣道をフェンシングに似せてスポーツ化した「しない競技」というものを発明した。「過去の剣道の弊害を除去し、本格的なスポーツとして、競技規則、審判規則をつくり、民主的な運営を図」った新しい競技である。


「しない競技」は1960年代なかば、私が中学生だった時点ではまだ学習指導要領に記載されていた。私は剣道部員だったので、教科書に載っている「しない競技」というどこにも存在しないスポーツのルールや技法を試験のために暗記しなければならないことをひどく不条理だと思った。


「しない競技」が体育の教科書からいつ消えたのか私は知らない。たぶん誰も気がつかないうちにこっそりと抹消されたのだろう。そして、この「こっそり」という副詞が今日における武道概念の曖昧さの起源になった。


武道とスポーツの境界は公的には消滅した。


 剣道を学校体育に戻すに際して、文部省は「しない競技」はGHQの眼をくらますための一時の方便であったことを認め、剣道や柔道はスポーツではないと宣言し、加えてアメリカの文化的伝統に対する誤解と禁圧措置にはっきり抗議すべきだったと思う。


 しかし、日本政府はそれをしなかった。そして、武道とスポーツの境界は曖昧にされたまま半世紀が過ぎ、10年ほど前の武道必修化に際して、文科省は、武道は「我が国固有の文化であり、勝敗を競い合う楽しさや喜びを味わうことができる運動です」と宣言してしまった。


 武道は「わが国固有の運動」ということになり、武道とスポーツの境界は公的に消滅した。だから、「武道とスポーツの違い」を対比的に論じるためには日本政府の定めた「武道」規定を否定するところから話を始めないといけないのである。ややこしい話である。

 前置きは以上。


兵法は「勝負強弱」を論じない。


 以下に私がスポーツと対比して語るものは、「我が国固有の文化」ではあるが、「勝敗を競い合う楽しさや喜びを味わう」ためのものではない修業体系のことである。「スポーツとしての武道」との混同を避けるために以下ではそれを便宜的に「兵法」と呼びたいと思う。


 兵法極意を論じた澤庵禅師の『太阿記』冒頭には、「蓋し兵法者は勝負を争わず、強弱に拘らず」また「敵我を見ず 我敵を見ず」とある。兵法者は相対的な勝敗優劣巧拙にこだわってはならない。それが第一の教えである。


 もちろん「敵」はいる。戦国時代までの兵法者は戦場で戦ったし、江戸時代でも術を試すための命がけの「立ち合い」もあったし、つい75年前までは刀剣を以て人を殺す技術には現実的有用性があるとみなされていた。しかし、それにもかかわらず兵法においては「勝負強弱」を論じてはならないというのが第一の教えである。


 兵法者というのはこの「矛盾」を生きる人のことである。「敵に勝つことを目指して修業をしていると敵に勝てない」という背理を正面から引き受けて、この答えの出ない問いを考究し続ける人のことである。私は修業中の身なので、もちろんその答えを知らない。現段階での「個人的かつ暫定的な解釈」しか言えないので、それを申し上げる。


パンデミックも「広義の敵」である。

 私にとって修業の目的は「生きる知恵と力を高めること」である。だからもし「敵」という語に意味があるとすれば、それは私が生きる知恵と力を高めようとするときに負の影響をもたらす可能性のあるすべてのものを指す。


 それは特定の場所、特定の時刻に設定された対戦相手には限定されない。私自身の臓器の不全も精神的ストレスも加齢も感染症も天変地異も……およそ心身のパフォーマンスを低下させるリスクがあるすべてのものは私にとって広義における敵である。


 現に、スポーツの世界でも、世界的なアスリートたちは今挙げたようなものの影響を最小化することに多くの資源を優先的に投じている。彼らは、優秀なトレーナーや練習のパートナーだけでなく、腕のいい広報担当や弁護士や心理カウンセラーを引き連れて世界ツアーに繰り出す。


 それはスキャンダルも離婚争議も幼児期のトラウマ的経験も自分のパフォーマンスに決定的な影響を(しばしば対戦相手との力量差以上に決定的な影響を)与えることを知っているからである。それらの「敵」を適切に排除してからアリーナに立ったアスリートは、それらを排除できないまま試合に臨むアスリートに圧倒的なアドバンテージを持つことができる。


 とはいえ、ふつうスポーツの世界では加齢やパンデミックや天変地異を「敵」にカテゴライズすることはしない。しかし、兵法の世界ではそれを「広義の敵」と認定する。スポーツと兵法の違いはそこにあり、たぶんそこにしかない。


老化や天変地異に「勝つ」ことはできない。


「勝負を争わず」というのは、これら「広義の敵」に処するためには「勝ち負け」スキームを採ってはならないということである。第一、加齢老化を相手に「勝負」しても勝ち目はない。かつて死神に走り勝った人間はいない。


 同様に、天変地異も人為によって避けることはできない。台風の進路を変えたり、火山の噴火を止めたりすることは人間にはできない。われわれにできるのは、そういうものの「ありよう」を理解することだけである。


 台風の進路は変えられないが、台風の動きがある法則性を持つことを知っていれば、それを回避することはできる。火山の噴火の前兆がどのようなものかを知っていれば、遠くへ逃れる時間が稼げる。これらの「広義の敵」に対して、われわれができることは、その理を知って負け幅を小さくすることだけである。それが生死を分かつこともある。


 経済恐慌や政治危機でも話は同じである。それらの出来事はわれわれの生きる知恵と力の発動に大きな影響を与える。だから、政治には興味がない、経済のことはわからないという兵法者は原理上存在しない。


 兵法者がそれらの現象を仔細に考察するのは、その理を知り、そのもたらす被害を最小化するためであって、自分にとっての「政敵」や「競合他社」を倒すというような短期的・功利的な目的のためではない。


兵法と統治能力はかつて同一視されていた。


 パンデミック相手でも構えは同じである。それは「広義の敵」であるから、「勝負強弱」の枠組みには入らない。けれども、兵法者はその理を知り、それがもたらす被害を最小化するためにできる限りの努力をしなければならない。そして、その努力が「勝ち負け」のスキームに収まらないのは、広義の敵への対処は個人の営みではないからである。


 それは集団でしか担うことのできない仕事である。


 台風の進路は気象学者に、火山活動は地質学者に、パンデミックへの対処は感染症学者に教えてもらうほかない。政治経済についても同断である。これらに適切に対処するためには、兵法者はさまざまな専門家たちと協働作業をしなければならない。


 現に、『太阿記』や『不動智神妙録』を通じて兵法要諦を説いた澤庵は禅僧であって、兵法者ではない。柳生宗矩は兵法者ではない人間から兵法極意を学んだ。そして、それを集合的な叡智のレベルに高めて、後世に伝えた。この開放性と協働能力の高さのうちに兵法者の骨法は存すると私は思う。


 戦国時代に戦場で武勲をあげた兵法者が一国一城の主に取り立てられたのは、兵法者に求められる能力が統治能力と本質的には同じものだという社会的合意が当時は存在したからである。そのような社会的合意はもう廃れて見る影もない。


 だが、私はこのような兵法理解こそは日本固有の文化として生き延び、人類全体の叡智として共有されるべきものであると考えている。