黄金帝国17-マウリッツのトロイの木馬
2020.05.22 09:02
総督パルマ公がフランスに転進して戦死した間、ネーデルランドは独立派が躍進したのも道理である。特にオランイェ公の息子マウリッツは、従兄のヴィルヘルム・ルートヴィヒと共に優秀な軍事指導者だった。1590年彼らは父の居城があったブレダーの奪回を計画する。
3月4日の謝肉祭当日、泥炭船の船底に隠れた75名の兵士はその夜、酔っぱらって泥酔したイタリア傭兵を包囲降伏させ、翌日本隊が進入して奪回した。ライデン大学のリプシウス教授は古代ローマの戦法の知識があった。マウリッツは彼からヒントを得たのだろう。
そしてこれは、スペインの戦法を打ち破るため、銃器を重視した軍事革命に行きつくことになる。マウリッツらは銃器をすぐ発射できるよう、マニュアル化された銃器取り扱い法をつくり、これを兵士に日頃から徹底させた。銃兵の交代による正射法をつくったのは彼らである。
その後マウリッツは、支配地を拡大し、1597年までにはついに北部7州全体を奪回することになる。さらにプロテスタントであったアンリ4世がフランス王になったことは、宗教戦争の様相を一変させていくのである。
下はマウリッツのブレダー奪回