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『Romance』セルフライナーノーツ

2020.05.23 23:48

 このたびは、初めての自主制作アルバム「Romance」をお聴きいただきありがとうございます。

 作詞作曲、アレンジからミックス・マスタリングまですべて素人の自分ひとりで行ったものですから、お聴き苦しい点が多々あることをお許し下さい。

 セルフライナーノーツを掲載しました。これは主にアルバム制作中の2019年4月頃に書いたものです。制作開始日とされているのは作曲を始めた日のことを指します。



「Y.O.N」

 アルバムのオープニングを飾る「Y.O.N」。ドナルド・フェイゲン、エリック・クラプトン、フォクシジェン、桑田佳祐、ラブサイケデリコなど…いろんな好き要素を詰め込んでみた曲。

 アルバムを作るなら1曲目は自分のなかで自信のあるカッコイイ曲だと決めていた。

例えば自分の好きなアーティストのアルバムだと、『Keisuke Kuwata』(桑田佳祐)の「哀しみのプリズナー」や『The Nightfly』(ドナルド・フェイゲン)の「I.G.Y」、『The Greatest Hits』(ラブサイケデリコ)の「LADY MADONNA〜憂鬱なるスパイダー〜」などがそうである。

 タイトルの「Y.O.N」は“ヤバイ女”の略。なかなかタイトルが決まらず苦し紛れに勢いで決定した。なんだか過剰な意識高い系、SNS…この曲を制作していた2017年当時、世の中のそういう温度と合わないな〜と感じた瞬間を歌詞にしてみた。“映え”に夢中な人達を敵に回してしまいそうではあるが…リアルとは異なる一瞬の〝映える〟というお花畑をつくるための、あの一生懸命さは一周回ってなんだか面白いなと思う。

 今回シンセの使い方はいろいろ試行錯誤を繰り返し勉強になった。サビの時、左チャンネルで女の人が「Ah, Ah,」と微かになまめかしく囁いているの気づいたかな? 2017年7月2日から制作。



「Day by Day」

 2016年から某ビールメーカーで外回りの仕事を始めた。当初、何もかもすべてが新しいことだらけ、おまけに営業職の苦しさを次から次へと味わいかなり辛い思いをしていた。「何のためにこんなツライ思いをしているんだろう…」と夢も希望もないことばかり考えていた。

 そんな暗い時間が半年ほど過ぎた頃、ようやく仕事に慣れてきた事と共に大いにモチベーションを上げてくれたのが、得意先から次の得意先へと移動する間に聴いていたJFNのラジオ番組「Day by Day」(2016年4月~2018年3月)であった。平日の午後のひととき、程よいユルさがとても心地よく、移動中の車内で聴く自分は、そのユルさが気持ちのリセット(得意先回りというのは一軒一軒、それぞれの担当者との交渉で“良いこと”も“すごく悪いこと”も次々とあり、悪いことがあっても負の気持ちを引き摺っていられない!)に丁度良く、癒された。

 この番組ではいろんな音楽も紹介していたので、新たな音楽との出会いもあり、このアルバム制作でも多くの影響を受けた。本当に好きな番組だった。

 そんな番組が2018年3月に終わってしまった時の寂しい気持ちとDay by Dayへの感謝の気持ちを歌詞として作った。ただ、ストレートに“Day by Dayが終わって悲しい!”では作品として捻りはないし、何より恥ずかしいので照れ隠しとして、ソングライティングでの常套手段…失恋ソングを思わせる詩で表現した。歌詞のなかにある“琥珀のようなRomance”とは、番組パーソナリティ佐藤千晶さんが芋好きで「いもっち」と呼ばれていたことを踏まえ、アノ!ホクホクな芋の食べ物のことを指している。(新聞紙にくるんだりして焼くやつね)

 冒頭に述べたが、辛い時期に元気をもらった「Day by Day」。これともう一つ、同時期に移動中の車内で聴いて大きな元気をもらっていたのが、同じくJFNラジオ番組「有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER」だ。偶然にも両番組ともスタッフとして関わっているのは、我が青森出身の山川さん(サンドリでおなじみ!)。山川さんにも感謝!笑 2017年9月6日から制作。



「ロマンティックよ永遠に」

 この曲から今回のアルバム『Romance』の制作がスタートした。

僕が世界で一番好きな作品はサザンオールスターズが2005年に発表したアルバム『キラーストリート』である。現在音楽を作るうえですべての基準となっている。この「ロマンティックよ永遠に」は『キラーストリート』の収録曲「LONELY WOMAN」の秋バージョン的な曲を作ってみたいなという発想からスタートした。サビのカウンターメロディーなど、いかにもサザンっぽく、さらにフルートの使い方などは桑田佳祐さんソロの「君にサヨナラを」から影響を受けている気がする。

 一口で「作詞」と言っても、その方法や考え方は実に人それぞれである。魂の言葉・メッセージを込めたい人もいれば、言葉遊びをしたい人もいる。自分はどちらかというと後者だ。歌詞よりも先に曲ができる(曲先なんて言ったりする)のであるが、その際に歌詞の代わりにデタラメ英語や咄嗟に出てきた日本語フレーズを“〇×△□Ah~Woo~”と、できたメロディーに合わせていい加減に歌っている。

 この曲はサビから作り始めたのだが、その際にメロディーと一緒に“別れたあともロマンティックな思い出に”というフレーズが自然と口から出てきた。以降の歌詞は当然、その段階では何もなく、デタラメな英語で“…cry~”とか“…Alright~”などと適当に歌っている。そして次にAメロを作っている時、これもメロディーと一緒に“幸せはひとときのやるせない物語?”というフレーズが出てきた。無意識に生まれたこの2つのフレーズ…そこでこの時初めて「ああ、この曲は失恋して過去を振り返っているストーリーなんだな」と理解し、それをテーマに作詞をした。

 例えば、サビの仮歌で“…so cry”とか “…Alright~”とデタラメに歌っていた部分は最終的に“涙…もう辛い” “秋がもう辛い” “これ以上ない”という歌詞に。仮歌の言葉の音の響きを引き継いでいる、つまり韻を踏んでいるのだ。そして仮歌の替え歌を作っているということなのだ。だから実際、やっていることは嘉門達夫と一緒なのである(笑)。自分にとって「作詞」はパズルなのであり、仮歌の音の響きに対して、様々な言葉を前後の意味が繋がるように当てはめたものである。この作業…上手くハマれば気持ち良いが、できない時はなかなか苦しいものだ。

 なので、この曲の歌詞の内容は、失恋した男が別れた女性との夏の思い出を振り返り涙している情景だが、これは別に実体験ではない。仮歌に誘われるように辿り着いた結果が、こういう失恋物語なのである。自分の失恋体験の詩ではない!変に誤解されそうなので強めに否定しておきたいと思う(笑)。「Y.O.N」と並び、アルバムのリード曲的な立ち位置。 2017年6月3日から制作。



「片付けられない男」

 自分は片付けられない男である。部屋の片付けなんて本当に苦手だ。片付けても3日経てばすぐに散らかる。自分でもうんざりしている。そこで今回、「片付けられない男」というタイトルで曲を作ろうと思った。歌詞のネタを探していると、恋愛において男は“別フォルダ保存”で女は“上書き保存”であるというスタンスの違いについての特集があり、これに着目した。アイツ(昔の女)を引きずって未練の感情だけが溜まり散らかり続ける情けない男の話であるが…決してこれも自分のことを唄っているんじゃないからね(笑)。

 曲調やアレンジは、トータス松本さんソロアルバム「FIRST」から影響を受けている1曲だと思う。 2018年1月14日から制作。



「SOUND OF WAVES」

 自分が抱く「夏」のイメージには、寂しげで切ないものがある。この曲、音楽的にはサザンオールスターズ「BLUE HEAVEN」、THE BAND「The Weight」、YUI「I remember you」などからの影響が色濃く表れている。元々のタイトルは「湘南Remember You」で2014年にはこの曲名でライブ披露していた。2013年に作ったこの曲を今回新たにレコーディングした。

 これは湘南・鎌倉賛歌である。湘南といっても「水着姿でビーチでキャッキャッはしゃぐ」ような“陽”のイメージではなく、鎌倉の歴史からわかるように、いわゆる「魔性が跋扈(ばっこ)」する“陰”のイメージだ。この土地が持つ何とも独特な「切なさ」「侘しさ」のフィーリングが自分には居心地よく胸に迫ってくる。海があり、そのすぐ裏手には山がある…これは自分が生まれ育った青森とも共通する。憧れの土地ながら、どことなく故郷と同じフィーリングを感じる「完璧な場所」なのである。

 余談だが、青森市にある浅虫という土地は、個人的に「津軽の湘南」と呼んでいる。浅虫のあの海岸沿いは、鎌倉から茅ヶ崎へと向かう134号線みたいだ(実際の「津軽の湘南」は浅虫から平内へと向かうのであるが…)。浅虫の湯の島は江ノ島で、江ノ電を思わせる青い森鉄道だってサンセットビーチあさむしを眺めながら走っている!この曲を作っていた当時はよく浅虫に来てはそうやって遠く離れた湘南へと思いを馳せていたのである(笑)。この頃はまだ故郷・青森の良さを理解できていなかった。とにかく湘南・鎌倉への憧憬の念はすさまじいものであった。

 サビ前のピアノフレーズなんかはまさに「The Weight」、サビのカウンターメロディーはAdam Levineの「Lost Stars」へのオマージュであり、うまくハマったと思っている。大サビの英語詞は文法など正しいのか分からない。もし間違っていたとしたら責任はGoogle翻訳にとってもらおう! 個人的にお気に入りの1曲。 2013年10月17日から制作。



「KJ」

 KJとは高校時代からの親友で、30歳を過ぎても互いに独身でいようと誓い合った盟友である(実際に誓い合った事実はない笑)。KJは、手を繋いで歩くカップルを見ると「あれはカップルじゃない!仲の良い兄妹(きょうだい)だ!!」と言い張る、素晴らしいセンスの持ち主だ。

 東京で暮らしているKJが年に数回青森に帰省した際、KJが不在の間に青森で何か(誰かの)色恋が起きていると「ちがう青森になってしまった!」「ちがう浅虫になってしまった!」「ちがう海になってしまった!」とよく言う。誰もあなたの青森を汚してはいない。この鉄板の嘆きギャグ(身内ネタ)を歌詞にしたのだ。

 曲自体は、2012年に作ったものを今回新たにレコーディングをやり直した。80年代っぽいサウンド(チープな音色のブラスなど)で、大好きなポール・マッカートニーの「Coming Up」へのオマージュも込められている。 2012年8月21日から制作。



「クラゲ」

 おそらく初めて楽器を使わず、鼻歌?アカペラ?で作曲をした。女性が歌うのをイメージして作ったのだが、どのようなアレンジにするかでだいぶ悩んだ。最終的に街の喧騒から離れて水族館に入り、静かな空間でクラゲを鑑賞している場面をイメージした。それでタイトルを「クラゲ」にしたのだが、こういうタイプの曲名は今まであまりなかったので新鮮に感じる。地味ではあるが、自分が大切にしているポップス感を詰め込んだ。

 左チャンネルから聴こえるワウギターは、ゆらゆら漂うクラゲをイメージした。 2017年8月9日から制作。



「ベイビーベイビー」

 「クラゲ」と「柴又より愛をこめて」の間を繋ぐために作った曲。当初、遊び感覚の軽い気持ちで作っていたのだが、ベーストラックを作っている途中からどんどんこだわり始め、本気になってしまった。

 1番Aメロ“午前0時ShibuyaへGo!Go!”というフレーズがメロディーと同時に降りてきたのだが、その後2番Aメロ“午前0時キミからのYo-Yo(着信)”という韻を踏んだ馬鹿馬鹿しいフレーズが出てきた時「これはイケる!」と確信に変わった(笑)。これで歌詞の内容は〝渋谷のギャルとの遠距離恋愛〟というしょうもないストーリーになったのだが、そうなると「ラップの真似事もしてみたい!」という気持ちになり取り入れてみた。このラップもどきの歌詞も実に馬鹿らしくどうでも良い内容だ。このナンセンスさを本気(マジ)だと受け取らないでほしい。あくまで遊びですから! 

 のちに2019年2月、KJと共にトミタ栞ライブで渋谷を訪れ遊んだことにより、一部歌詞を変更してその当時のことを織り込んでいる。「TORICO」と「ON THE CORNER」は渋谷の名店ね。 2018年8月5日から制作。



「柴又より愛をこめて」

 2018年7月28日~7月31日、KJと共にトミタ栞のワンマンライブ「GO!GO!GO!」に参戦するため東京に滞在した(前曲「ベイビーベイビー」で触れた渋谷の話よりもこっちのほうが先)この時のことを歌詞にした。

 映画「男はつらいよ」が大好きな僕にとって、KJが映画の舞台・柴又に住んでいるということはとてつもなく嬉しいことである。柴又という街は東京なのに、どこか東京っぽくない人間くさい温もりのある場所だ。東京に行くたびに必ず柴又を訪れる。KJに会わなくても必ず柴又を訪れる(笑)。それくらい大好きな街なのだ。

 7月29日、昼から柴又でKJと酒を呑みながら馬鹿話をして、夜には初めてのトミタ栞ライブを満喫し、さらにその後“打ち上げ”と称して遅くまで呑んで、語って、笑って…。翌日には湘南・鎌倉を巡り、我々は前日のライブで覚えたトミタ栞の「HAPPY AND HAPPY」という曲の振り付けダンスを由比ヶ浜や江ノ島、おまけに鎌倉大仏の前でまで、馬鹿みたいに踊りまくったのであった。歌詞の“大仏観てはしゃいでも忘れないよ あの歌を”とは、この「HAPPY AND HAPPY」のことである。

 どこかで聴いたことのあるメロディーやアレンジ…この〝いかにもな雰囲気〟意識したのはもちろん、そういうこと。何の曲へのオマージュかまでわかる人は本当にすごい。(あえて誰の何の曲へのオマージュか詳細は語らないが!) 2018年8月5日から制作。



「波音に消えてゆく」

 3/4拍子の曲を作るとなった時、どうしても気持ちはストレートに桑田さんの「孤独の太陽」やASIAN KUNG-FU GENERATIONの「鎌倉グッドバイ」への憧れ、オマージュとして形に表れる。これは自分が培ってきた最高の文化なのだと思う。

 前曲「柴又より愛をこめて」は、映画「男はつらいよ」の第36作目と同じタイトルではあるが、歌詞の内容は男はつらいよと関係ない。この「波音に消えてゆく」のほうが、男はつらいよ・寅さん的な情景が描写されていると思う。歌詞の“何を求めて生きている?何かを失うこの人生(たび)です”という部分は無意識ながらも間違いなく寅さんからの影響なのだろう。

 25歳を過ぎたあたりから、大切な人が亡くなったり…出会いだけでなく、多くの別れも経験するようになった。そんな想いを今回、文字数の少ないこの曲で表現してみたかった。 2017年12月19日から制作。



「新たな暮らしのなかで」

 当初は別の曲をアルバムのラストに選んでいたが、なんだかしっくり来なくて2018年8月に新たにこの曲を制作した。バラードなどしっとりした曲で終わるという選択肢もあったが、今回は前向きな気持ちでアルバムを聴き終えたいという思いが強かったので、そのコンセプトをもとに「自然体でポジティブなポップス」を意識して作った。

 “新たな暮らし”と言っても、どんな新たな暮らしかは人それぞれだ。≪学校を卒業して進学・就職する人≫ ≪夢実現のため上京する人≫ ≪気持ち新たに転職する人≫ ≪失恋した人≫ ≪大切な人を亡くした人≫ ≪30歳になった人≫ … いろんな“新たな暮らし”がある。個人的には、この詩を作る際に想定した“新たな暮らし”は主に≪上京≫であった。

 正直なところ、30歳を過ぎた今でも上京したい気持ちはある。しかし、地元が好きであり、親や自分の年齢を考えるとなかなか決心することができず、こうして今も青森で生活している。ちょうどこの曲を作っている頃は“上京したい熱”が猛烈に高まっている時期であった。

 曲調としては、最初に意識して目指したのはアニメちびまる子ちゃんの初代オープニング曲「ゆめいっぱい」だ。ちびまる子ちゃんは大好きで、物心ついた時から大人になった今でも常に身近にある大切な存在である。自分にとってちびまる子ちゃんは「笑い」や「家族」…「くらし」すべての基準となっているくらいだ。さくらももこ先生が自身の上京を綴った短編ストーリー「ひとりになった日」の内容がこの曲とすごく重なる。

 後から知ったことだが、この曲を作り始めた2018年8月15日は、さくらももこ先生が亡くなった日だったのだ。なんという偶然…さくら先生を想う気持ちがそうさせたのだろうか、この曲に触れるたびにさくらももこ先生に思いを馳せる。


 自分は説法くずれ、その真似事のような説教くさい人は苦手で、またそういう曲(歌詞)も苦手だ。人様に道を説くなど、そんな偉そうなこと自分にはおこがましくてできない。この曲は「なんとかなるさ」というようなケセラセラな曲だ。また、口でそう言いながらいつも自分を温かく見守ってくれる大切な人たちへの感謝の気持ちも込めている。悩んでいる時、熱く「ああしたほうが良い」とか「こうしたほうが良い」なんて語らず、「なんとかなるもんだよ」と言って見守ってくれている人のほうがよっぽど信頼できる。前に進んでいくために悩みもがき、そして決断・実行するのは、いつだって誰だって自分自身だ。本当に〝理解〟してくれている人は、ああだこうだ言わない。本当に必要なときにさり気なく助言(きっかけ)をくれる。これは言った本人も助言のつもりじゃないことが多々あるだろう。お互いのフィーリングが合う(信頼関係)からこそ、受け取る側がそうやってありがたく感じるのだろう。優しい言葉・厳しい言葉、両方そうだ。自分が冷めている人間だということもあるが…思うのは、まさに老子の「知る者は言わず 言う者は知らず」である。


 自分の型に完全にはまる他者なんて存在しないわけで、自分だって世の中の常識にすべて当てはまるような「できた人間」じゃない。だから自分の価値観・正義をすべて他者にも求めるべきではない、それらについて「これはどう?」「じゃあこれは?」と、相手とすり合わせることをコミュニケーションと呼ぶのだろうと思いながら生きている。(無理矢理 相手を自分の型に当てはめようと、よくぺちゃくちゃ語りまくる人もいるね。)

 営業の仕事を経験したことだったり、さまざまな音楽だけでなく芸術の表現で作者の思いを知っていくなかで、「自分とちがう考え方の人っておもしろいな」「自分の常識の域を遥かに超えた ぶっ飛んだ人」への魅力を感じる今日この頃。そもそも「常識」なんてのも本当にそうか?一方的な価値の刷り込みじゃないか? ファッションと同じように「常識」も流行り廃りがある。結局、日々向き合って考えていくわけで・・・おっと、自分も長々と語ってしまった。知る者は言わず 言う者は知らず…知る者は言わず 言う者は知らず…(笑)。


 最後に、曲について触れると、≪はじめ音数少なく始まり、徐々に音数が増え賑やかになっていくアレンジの構成≫と≪新生活での心細い気持ちから、日が経つにつれ徐々に希望に胸が膨らみ高鳴っていく鼓動≫とがリンクできたのではないかと思う。個人的にこの曲を作れたことを嬉しく思っている。自分から自分への応援歌なのだ。


最後に

 アルバム「Romance」を最後まで聴いていただき、さらにはこんな長ったらしい独り言までお読みいただき本当にありがとうございます。言葉では簡単に言い表せないほどの感謝です!!