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「生きる」のこと。

2020.05.24 16:51

改めて、生きるってなんだろうって考える。



今の、コロナウイルス騒ぎで

生きる、死ぬ、ってことに関わってくる状況になって、



なぜ生きなければならないのだろうって考えてみる。



生きるって、可能性なんだな。って思いました。



生きていれば、

幸せな気持ちを味わえる可能性がある。

生きててよかったって思える瞬間が訪れる可能性がある。

誰かを幸せな気持ちにできる可能性もある。


生きていけば、

ものすごく絶望的な気持ちを味わう可能性もある。

もう死んでしまいたいと思う出来事を経験する可能性もある。

誰かを傷つけてしまう可能性もある。


だけれども、

死ぬってことは、それら全ての可能性が0になる。ってことなのかもしれないなって思う。


あらゆる可能性を肯定していくために

生きることを選択し続けるのかもしれない。




僕は正直、番組も見ていないし、プロレスも詳しくないのだけど


これだけは言えるのは、


自分と同じくらいの年齢のひとが、自ら命を絶つようなことは、どう考えたって、悲しいこと。



死にたくなるくらい辛くて、苦しくて、限界で、自ら死を選んでしまうひともいるけれど


それだけじゃなくて、

自分が苦しい思いをしている、自分が辛い思いをしている、ってことを自らの死をもって伝えたいっていう気持ちのひとも、いると思う。



そんな気持ちは、経験したことないひとには、

もしかしたら分からないのかもしれないけど



僕は何かを表現している人間の端くれとして、

自殺が、自分の気持ちやメッセージを表現するアプローチになるのは、とても悲しい。


「芸能人だって、ひとりの人間」

「有名税は廃止。」

「誹謗中傷は訴えられる」


価値観が、どんどん変わっていっていることは良いことだし

ご本人の死を絶対に無駄にしてはいけない気持ちもある。


だけど、人が死んでからじゃないと世の中が変わらないっていうのも、また悲しいことだなと思う。

誰かが亡くなる前に、気づかなきゃだめだと思う。本当は。



去年、僕にとって一番悲しかった出来事は、元KARAのハラちゃんが亡くなったこと。

今だって、受け入れられてないし、しっかりと向き合えていない。


こんな気持ち、味わいたくないし、誰にも味わってほしくない。



だから、人が死んでも変わらない世の中には、絶対にしてはいけないと思う。



今や、誹謗中傷していた人を誹謗中傷している人もいる。


悪意ある人を

許せない正義の気持ちからなのかもしれないけれど


そうやってまた、争いがうまれるのなら


いっそ正しいと思う気持ちを捨てる覚悟や勇気も必要なのかもしれない。



生きるって、本当に難しいけれど


でも、生きていれば…の言葉に続くあらゆる可能性がある。



そのために、「生きる」か「死ぬ」か、という選択を狭まれたときに

毎回「生きる」を選択し続けなければならない。


それが、生きるということだと思うし



真面目な人ほど、いろんな言葉や意見を真摯に受け止めてしまうものだと思うけれど


自分の気持ちを傷つける正義よりも、自分自身を守る悪のほうが、生きるために必要なこともあるかもしれないし


それと同じように、人を傷つける正義もあれば、人を守る悪もあるのだと思う。



話の方向は、ちょっと違うけど

自粛警察をやっている人だって、


ある意味「正義」の気持ちが「悪」の行動に変わっているものだと思う。



誹謗中傷している人を誹謗中傷している人も、その部分においては、同じなんだと思うし。


人の死を喜ぶ動画をあげている人に、律儀に反応する人も、相手の思う壺なわけだし。

もちろん許せないけど、僕は絶対に再生しない。



悪を否定し、排除していくのではなくて、ある程度、悪とどこかで共存していかなくてはいけないのだと思う。


そうすることで、守れる命があるのなら、そのほうが良いじゃないか。と思うし。



本当に大事にしたいのは、自分の正義感や倫理観なのか、それとも相手の気持ちや存在なのか。


改めて、たくさんたくさん考えていかなくてはいけないところなのだと思います。