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粋なカエサル

「エリザベス1世の統治術」5 エリザベス女王誕生⑤人民の好意

2020.05.24 20:40

 エリザベスの即位当時、イギリス経済は危機に瀕していた。しかしエリザベスは、そのことに思いが及ばないほど豪華な戴冠式を挙行した。そのために計上された費用は、戴冠式後の宴会費を除いて、1万6千741ポンド、王室の1年の歳入の8%に相当する。女王と女官の衣装代だけで4千ポンド。エリザベスの「代理人」トマス・グレシャム(「グレシャムの法則」=「悪貨は良貨を駆逐する」で有名。エドワード6世・エリザベス1世の王室財務官)は、彼女のためにアントワープの金融市場で急遽公債を募集した。

エリザベスは豪華な戴冠式が持つ意味を理解していた。豪華な儀式と誓約で王の存在を鮮やかに演出することは、王冠の持つ伝統的な権威を知らしめ、国民を掌中におさめる鍵だった。もちろん、エリザベスには、豪華な戴冠式を挙行しなければならないもう一つののっぴきならない理由もあった。「王位継承法」と父の遺言によって即位するものの、エリザベスは法的には庶子であり、庶子に王位継承権はなかったからだ。

 戴冠式の前日1月14日、エリザベスは午後3時にロンドン塔を出発。2頭のたくましいラバの牽く輿に乗った。輿は白いサテンで縁取った金布でおおわれていたが、側面はいずれも中が見えるよう覆いがなかった。ロンドン塔を出るとき、エリザベスはよく吟味した祈りの言葉を口にする。かつてここで経験した獄中の日々を思い出し、ライオンの穴から救われたダニエル(『旧約聖書』「ダニエル書」 陰謀にはめられたダニエルはライオンの穴の中に投げ込まれてしまう。しかし神に忠実であったダニエルは神に救われる。「私の神が御使いを遣わしてライオンの口を塞いでくださったので、ライオンは私に危害を加えませんでした。神の前に私が無実であることが認められたのです。」6章23節)のように自分もまた救われたことを神に感謝。しかも、劇的効果をねらってか、その祈りをささげたのはロンドン塔の動物園内のライオンの前を通り過ぎながらだった。また、貧しい女性に貰ったローズマリーの小枝を、ウェストミンスターに着くまで持ち続けた。「ヘンリー8世を忘れるな」という声が聞こえると、エリザベスの笑顔は一層輝いた。どこにあっても、エリザベスはいつでも輿を止め、請願に耳を貸し、祝いの言葉に優しい返事でむくいた。

 それ以上に重要なのは公式ページェント(行列をつくって練り歩きながら演じられる芸能)に対するエリザベスの返答だった。通常、ページェントは一方的で、人々が支配者に呼びかけるという構成をとる。しかし、この時のエリザベスは違った。行列は対話となり、君主の返答は人々の呼びかけに負けぬほど重要となったのだ。例えば第4のページェント(この時のページェントは全部で5つあった)。エリザベスは反対の端からこのページェントを一目見たとき、何を表しているのかと尋ねた。「時です」というのが返答だった。エリザベスは、「時だけが私をここまで連れてきてくれました」と答えた。「時」には「真実」という娘がいて、はっきりと「真実の言葉」と書かれた英語版の聖書を持っていた。エリザベスはその聖書を受け取ると両手で押し戴き、口づけし、胸に押し当ててから、高く掲げ、この贈り物に特別に感謝しますと述べた。

「このときのロンドン市についてうまい言葉を探すなら、これは舞台である、というのがもっともいい表現だろう。この舞台で、いと気高き女王陛下が、忠実なる人民に向けて素晴らしい場面をお見せになり、また、人民はかくも立派な君主のお姿を拝見し、国王らしき堂々たるお声を拝聴し、なみなみならぬ心の安らぎを得たのである。」(小冊子『女王陛下 ロンドン市からウェストミンスターへの全行程』)

 エリザベスが即位にあたって臣民に約束したのは、「忠言を聞く」とともにもう一つあった。それは、「人民の愛を失うようなことは決してしない」、「人民の反乱を引き起こすような事態は決してまねかない」という約束である。エリザベスにとって、人民の好意こそ、彼女が支配力を得るための鍵だった。案件によっては、首脳部の「忠言」と「人民の好意」=「世論」は異なることもあり、真っ向から対立することもあった。そういう場合エリザベスは最終決定者の役割を演じ、忠言と「人気」のいずれかを選ぶ段になると、つねに後者を選んだのだった。

ロバート・ピーク「ガーター勲章の叙勲者たちに担がれるエリザベス」

アントニス・モル「トマス・グレシャム」アムステルダム国立美術館

ルーベンス「ダニエルとライオン」ワシントン・ナショナルギャラリー