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僕がいまだに岐阜へ行く理由

2016.05.22 23:45

僕が初めて岐阜県を訪れたのは、2009年8月のことである。


FC琉球の設立時、まだ右も左もわからない頃、サッカークラブの作り方について教えて頂いた服部さん(当時;FC岐阜GM、現Vファーレン長崎GM)からの電話だった。


ちょうど大学院(一度社会人になって通った。)最後の年で、修士論文におわれ机に向かっている時だった。なんだか珍しく落ち着かず携帯を取った瞬間、服部さんから電話があった。


「もしもしタスク?8月岐阜これる?パンツだけ持ってこればいいから!」


という電話だった。詳しく聞く前に服部さんも忙しかったららしく、電話を切られた。(笑)


とりあえず、何があるかもとくに聞かぬまま、言われた通りチケットを買い、まるでピザ屋の出前のような感覚で岐阜へいった。


スタッフの方から連絡を受け、FC岐阜が毎年飛騨で行っていた、サッカーフェスティバルの講師として呼んで頂いたのだとわかった。


正直、無知な僕は、岐阜県がどこにあるのかもわかっていなかった。関東?東海?と言う様なレベルだ。その時は、自分が3年間も岐阜に住み、第二の故郷になるなんて夢にも思っていなかった。


いや、そんなこと考えられなかった。


というのも、何もかも沖縄と岐阜は違いすぎたのだ。


面積が小さく、どこにもいても海が見える沖縄、2~3県入るのでは?と思う様な広くそして山に囲まれ海がない岐阜。


山の大きさ、生えている木、海の有無、雪、大きな川、農作物、喋り方、県民性、歴史文化、日本語以外こうも違うのか?と思ったほどだ。逆に言葉は違うが、台湾や東南アジアの方が、気候も植物も食べ物なんかも沖縄に似ている様に思う。


しかし、ある人との出会いが僕の人生を一変させた。


明日更新!僕がいまだに岐阜へ行く理由〜今西和男との出会い〜