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僕がいまだに岐阜へ行く理由〜今西和男との出会い〜

2016.05.23 23:45

この人との出会いが僕の人生を一変させた。


当日FC岐阜の社長だった、今西和男だ。


無知というのは本当に恐ろしいものだ。(笑)

懇親会の席で初めて今西さんにお会いしたのだが、FC岐阜の社長と言っても、別に僕の上司でもないし、もう二度と会うかどうかもわからないので、簡単な挨拶程度で僕は地域の皆さんやクラブのスタッフとの懇親会を楽しんでいた。


お酒もかなり進み、皆さんにお酌と乾杯を繰り返し、お酒を強要して盛り上げていると、「なんだあの賑やかな奴は!宮城くんちょっときなさい!」と呼ばれた。


あらっこれは怒られるうととっさに思った(笑)


しかしそうではなかった。沖縄の人はいつも楽しくお酒を飲むな~なんて話から、過去に沖縄に行った時の話、前の会社の寮に沖縄のやつがいたと言う話などを聞かせて頂いた。


ところで君は何をしているんだ?これからの夢や目標はなんだ?


と質問をされた。


僕は、当時の想いをおもいっきりぶつけてみた。沖縄県の現状、戦前戦後の歴史、琉球王国時代の話から、沖縄の可能性とスポーツの影響力を持って沖縄に自信をもたらしたいと言う思いだ。


そうしたら、「よっし、わかった。では君は僕のもとに来なさい。」と言われた。


正直、ん???????????


って思った。(笑)


「いや、僕は沖縄で色々活動していて・・・」


「わかった。FC岐阜で働いて色々学びなさい。なんとかしよう」


あれ?話噛み合ってない?と思ったが(笑)今西さんは話を続けた。


今西さんは、4歳の時に被爆した。そう、あの第二次世界大戦で広島に落とされた原爆だ。


その当時の広島は本当に地獄の様だったとおっしゃっていた。すべてが焼け、誰もが家や家族を失い、本当に生きるのが精一杯で、火傷した自分をお母さんがおぶってずっと逃げていたそうだ。


そんなご自身の辛い体験をお話し頂いた後、さらにこう続けた。


でもね宮城くん。沖縄の戦争は終わっていないんだよ。唯一の地上戦が行われた沖縄は、第二次大戦後もアメリカに領土を取られ、本土復帰したあとも、沖縄県の25%はいまだに米軍基地が存在する。沖縄のおじぃ・おばぁは、戦後何十年がたっても、いまだに危険と隣り合わせで、その後も戦闘機を目にしながら生活をする。あの戦争の体験者として、いまだにその恐怖が続いていると思うとぞっとする。こんな辛い思いを沖縄だけに多く押し付けていると思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


だから、宮城くんが今後沖縄のためにスポーツで本気で街を元気にする、自信を取り戻そうとしているのなら、私が何か伝えられることがあるかもしれない。私が力になれることがあるかもしれない。


とおっしゃっていただけたのだ。


本当にうれしかった。そしてこの人について行こう。この人のもとで学ばせてもらおうと思ってしまったのだ。


僕は、行きます!お世話になります!と返事をした。

結婚して1年も経っていない嫁にも確認をとらずに決めてしまったのだ。(笑)


こうしてぼくは2010年1月から岐阜へ行くことになった。。。


しかし、この今西さん本当はとんでもない人だった。。