恋をした。古代人に… Part1
・これは、ともちゃんが学生の時、芝山町に出会ってまもない頃に書いたお話です。
・小説中に出てくる写真は、すべてともちゃんが撮影したものです。
・一昔前の作品であるため、お手柔らかにお願いいたします。
私は生まれてからずっと、この町が大好きだった。はにわも、豊かな自然も、おいしい野菜も、この町にある何もかもが私の幸せだった。私は大好きな家族、友達、近所のおじさんおばさん、町のみんなの愛情をたっぷり受けて、育ってきた。
私はカナノ。芝山小学校6年生の、ちょっとだけ変わった女の子。11月の第二日曜日、私は芝山公園を歩き回っていた。別に散歩をしていたわけではない。忘れ物を探しに来ただけ。今日は町の最大のイベント、芝山はにわ祭だった。今は日が暮れてほとんど人のいないこの公園も、ついさっきまで無数の人で溢れかえっていた。おかしいな、絶対この辺りに落としたはずなんだけど…昔から大切にしているはにわのぬいぐるみ…あれ、そういえば、バッグに入れたのが最後だったかもしれない。慌ててバッグを開けて探ってみると、下の方に入っていた。あーもー最悪!ここまで戻ってきた意味…。
ため息をついて立ち上がって、若干やけくそになって公園を歩いていると、高い丘の上に小さな人影が見えた。子どもかな。思わず立ち止まって周囲を見たけど、親っぽい人は近くに見当たらない。迷子?捨て子?なんだか焦るような気持ちで、私はそこに駆け寄った。3歳くらいの男の子が、めそめそ泣きながらさまよい歩いている。それも古代人の格好をしている。はにわ祭ではぐれちゃったのかな…?
私は男の子に近づいてしゃがみ込んで、声をかけた。
「どうしたの?迷子になっちゃったの?」
その子は泣くのをやめて、私の顔をまじまじと見つめた。
「お名前は?おうちは?」
もしかして知り合いの子どもかなと思って聞いてみた。でも返事はない。私は困って黙り込んでしまった。ちょっと沈黙が続いて、男の子はまた泣き出してしまった。
「どうしたの?」
私はその子の手を取って目をしっかり見て、もう一回聞いてみた。
「#%$*…」
その子は泣きながら何か言った。
「え?」
私は耳をその子の顔に向けた。
「#%$*……」
よく聞き取れないのは、泣いているせいではないみたい。どうやら日本語ではないようだ。英語には聞こえないし、中国語にも韓国語にも聞こえない。でも、聞いた感じ一番近いのは…日本語。
「&+*$&#…」
その子はそれきり何もしゃべらず、ただえんえん泣いているだけだった。こういう時って、どうすればいいんだろう。迷子をひろったことなんて全然ない。警察とかに届け出る気もなんだかしないので、私はこの子を家に連れて帰ることにした。私は男の子を自転車のかごに乗せて、自転車を押して家までゆっくり歩いていった。
家に着いてすぐ、私はまだぐずっている男の子を抱きかかえてパパとママのところに行った。パパとママ、2人の弟は、夕食の準備を終えて食卓につこうとしているところだった。
「おかえりなさい、カナノ…その子誰?」
ママが聞いてきた。
「ママ、この子、芝山公園に一人でいたの。名前やおうちを聞いても分からなくて…」
「あら、よその子を勝手に連れて帰ってくるものではないわよ」
「いなかったの、周りに誰も。置いて帰ってくるわけにもいかなくて…」
男の子は、ちょっとおびえたような目でママを見ている。
「大丈夫よ。私の家族なの」
私は男の子にやさしく言った。
「それにしても、ひどいな…子どもを置き去りにするなんて。この町にそんな親がいるのか」
パパがつぶやいた。
「本当に誰もいなかったのなら、児童相談所に保護してもらうべきだわ」
「ママ…」
男の子は、私の服をぎゅっとつかんだ。
「ママ、パパ、今日はとりあえずこの子をうちに泊めてあげてもいい?」
「え?」
「私がちゃんとお世話するわ。この子、私から離れようとしないの」
「うーん……」
「そうだな…今日は遅いし、これから施設に行くなりすると余計疲れさせちゃうしな。でも、どこで寝かせるんだ?」
「私の部屋。お布団はあるでしょう」
「…そうね、仕方がないわ。カナノがちゃんと責任持ってお世話するのよ」
「うん、分かったわ!」
男の子は食事を食べたがらなかったので、私は自分の夕食を早く済ませて男の子を自分の部屋に連れて行った。私が布団を敷いてあげている間、男の子はずっと部屋の隅にしゃがみ込んで、しくしく泣きながら指をしゃぶっていた。
「よし、これで寝る準備はオッケー」
布団を敷き終えて、私は男の子の隣に腰掛けた。男の子はまだ泣いている。
「そうだ!」
私はかばんからはにわのぬいぐるみを取り出して、男の子に渡してあげた。男の子はぬいぐるみを手に取ると、じっと見つめた。そして、ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。
「よっぽど古代のものが好きなのね…」
私は男の子の頭をやさしくなでた。
男の子も疲れていることだろうし、今夜は早く寝ることにした。私はお風呂に入ってパジャマに着替えていたけど、男の子はずっと同じ服を着たままだった。私は、下の弟のパジャマを一着借りて着せようとした。でも男の子は着替えようとしない。弟に頼んでもう何着か試してみたけど、うずくまってばかりで動こうともしない。よっぽど現代の服が嫌なのかな。それとも私の服だったら着るかな…。私はパジャマが入っているタンスの段を開けて服をありったけ出した。一着一着広げて見せていると、7着目に見せた白いガウンに男の子は手を伸ばした。私が小学校低学年の頃、近所のアキおばさんがくれたものだったけど、全然着てなくて、ここ2、3年で身長が大きく伸びて着られなくなって行き場がなくなっていたもの。私は残りの服をしまって弟のパジャマを返し、男の子を着替えさせた。古代の服はそんなに複雑なつくりじゃなくて、私でも簡単に脱がせられた。ガウンを着せると、男の子はお腹の周りで手を動かして何か要求してきた。多分ひもを結びたいってことかな。古代の服みたいに。
男の子のお腹にひもを結び、はにわのぬいぐるみをあげて、私は電気を消した。男の子は私より早く眠りについた。
夜中、私は男の子の泣き声で目を覚ました。ベッドの上の小さな電気をつけると、男の子が私のベッドにしがみついて泣いていた。私は男の子をベッドの上に持ち上げ、胸に抱いて背中をさすってあげた。学校で同じクラスの女の子たちの中でも私は体の成長が早いから、包容力には結構自信がある。男の子は私の胸にしがみついて泣きじゃくった。私も男の子をしっかりと抱きしめた。
男の子は温かかった。泣いているところしか見ていないけど、ほんとはきっと優しくていい子なんだろうな。
そう経たないうちに、男の子は私の胸ですやすやと眠りだした。私は男の子をそっと布団に寝かせて、ベッドに横になった。
「ママ、この子すっかり私になついちゃって…施設に預けたりするのはかわいそうだと思うの」
朝ごはんを食べながら、私は言った。男の子も私の隣に座って、ごはんやお茶をちょっとずつ口にしている。
「じゃあ、身元が分かるまでうちに置いておくってこと?」
「そう」
「うーん…」
「え~、男の子これ以上増えても困るよー。ケンカの相手が増えるじゃん」
9歳の弟のタクがつぶやいた。
「何いってるの!いつもケンカ始めるのは、お兄ちゃんでしょ!」
6歳の弟のユウがタクに歯向かう。
「はぁ?お前だろ!」
「タク、ユウ、食卓でケンカするんじゃないの!」
ママが注意した。
「この子はケンカなんかしたりしないわ。とってもやさしい子よ」
私は男の子の頭をなでた。
「へ~。確かに、弱そう」
「昨日だって、ずーっと泣いてたし」
そう言ってタクとユウは笑った。
「何よ!」
私は思わず箸を置いた。
「まあカナノも落ち着きなさい」
パパに言われて、私はため息をついた。
「たしかに、まだちょっと気持ちが不安定かもしれないわね。カナノが学校に行ったら泣いちゃうんじゃないかしら」
「うーん、どうしよう…」
「今日、ママはちょうど仕事お休みだから家にはいるけど」
うちは共働きで、ママもパパも忙しい。
「ママ、今日はとりあえずお世話お願いしてもいい?私のはにわのぬいぐるみ気に入ってるようだし、それがあれば大丈夫じゃないかしら」
「そうね…ご飯あげるくらいのことしかできないけれど」
「ありがとう!」
「お姉ちゃん、ぼくたちのことはこんなに一生懸命面倒見てくれなかったのに」
「そーだそーだ」
「う、うるさいわよ!!」
ところが、はにわのぬいぐるみを渡して出かけようとすると、男の子は玄関までついてきて私から離れようとしない。言葉は通じないと分かっていても、「すぐ帰るからね、連れていくことはできないの」とか「いい子だから待ってて」と、何とか説得してみようとする。男の子は今にも泣き出しそうだ。私は何を思ったのか、部屋に駆け戻った。何か気を紛らわせるものはないか探ってみる。私は社会の教科書を手にとって玄関につっ立っている男の子のところに行き、古墳時代のページを開いて渡した。男の子は、たちまち教科書に見入った。
「いってきまーす」
隙を見計らって、私は家を出た。
「カナノ、おはよー!」
「おはよーアスカ!」
毎日学校に来て一番にしゃべるのはアスカ。アスカは幼馴染で、飛行機が大好きな明るい女の子。芝山町は成田空港の南にあって、一日中たくさんの飛行機が飛んでいる。私は飛行機にはあまり興味がないし、夜とかちょっとうるさいなって思うときもあるけど、アスカが飛行機について目を輝かせて話すのを聞いているのは嫌いじゃない。
「昨日ぬいぐるみ見つかった?」
「うん…かばんの中に入ってた」
「あらま、カナノらしーい」
「何よー」
男の子のこと、アスカに話そうかな…
「ん、どうかしたの?」
アスカが私の顔色をうかがった。
「ううん、別に」
「そう。あのね…昨日はなんだか不思議なことがあったような感じがするのよ」
アスカは不意に、少し真剣な目をした。
「えー、そう?古代人が天から降りてくるんだから、そりゃ不思議な感じがするわよー」
「まあ…そうよね、うふふ」
「ただいま!」
男の子はリビングのソファーに、はにわのぬいぐるみと教科書を抱きかかえて座っていた。私を見ると、ぬいぐるみと教科書を置いて駆け寄ってきた。私は男の子を抱き上げてぎゅっと抱きしめた。
「うふふ」
「カナノ、おかえりなさい」
ママがリビングに入ってきた。
「ただいま!ママ、面倒見てくれてありがとう。この子大丈夫だった?泣いたりしてない?」
「大丈夫だったわよ。ちょっと泣きそうなときもあったけど、その教科書のおかげで何とかなったわ」
「ずーっとこれ見てたの?」
「ええ。食事のとき以外ね」
「へえ、たった数ページなのに。学校の教科書こんなに熱心に見るなんて」
「カナノも少しは見習いなさいよ」
ママはそう言って微笑んだ。
「わ、私だってちゃんと勉強してるわよ!とくに古墳時代のことはね。古墳もはにわも、この町のものだもん」
そう言って私は男の子に、にっこりした。
「そうだ!この子、はにわ博物館に連れていってあげようかしら」
「あら、きっとすごく喜ぶわよ」
「じゃあ、あさって行こうかなあ」
今日にでも連れて行ってあげたいけど、月曜日はお休み。せっかくだし、授業が早く終わる水曜日に連れていってあげることにした。
はにわ博物館こと、町立芝山古墳・はにわ博物館は、芝山公園のところにある小さな博物館。小さいけど、この町やその周りを中心にいろんなところで掘り出されたはにわや土器がいっぱい展示されていて、古代人の生活のことが子どもにも分かりやすいように書いてある。うちからも近くて、私は自転車で何回もここに来ている。でも今日はタケルを連れているから、歩いていくことにした。今日は水曜日だから、昔から顔馴染みのおじさんもいるはず。
「やあ、カナノちゃん。その坊やは誰だい?」
おじさんが受付で出迎えてくれた。
「あのね、昨日のお祭りの後に公園で迷子になってて…昨日はとりあえずうちに泊めてあげてたの」
「えぇ、なんだってぇ?」
「お父さんやお母さんと会えればいいんだけど…名前も住んでいるところも分からなくて」
「ほぉ…」
おじさんは男の子に近寄ってじっくり眺めた。
「しかし妙だなぁ。こんなに小さい子に古代人の格好させるなんて。それもなかなか本格的じゃないか」
「よっぽど古代のものが好きみたいなの。はにわのぬいぐるみ渡したらずっと抱きしめてるし、社会の教科書の古墳時代のページに見入ってるし」
男の子は今もはにわのぬいぐるみを大事そうに抱っこしている。ちなみにこのぬいぐるみは、この博物館で買ったもの。
不意に、男の子の視線が窓の方に釘付けになった。そっちの方には、大きなはにわのぬいぐるみや、試着できる古代人の服が置いてある。男の子はそちらに駆けて行った。私とおじさんも慌ててついていく。
男の子は、はにわや服をまじまじと見つめていた。
「@#%、$&%…」
私たちに何かしきりに話しかけている。
「外国人じゃなさそうだし、日本語をしゃべっているみたいだし…ちょっと言葉に遅れがある子なのかしら?」
「…いや、この子はきちんとした言葉で話しているよ」
おじさんはしゃがんで男の子の話に耳を傾け、あいづちを打っている。しばらくして、おじさんは気難しい顔をして私に言った。
「カナノちゃん…この子は、この時代の人間ではないよ」
「え?」
「きっとよ、なんらかの形で古代からやって来たんだ」
「えええ!?」
私は思わずしゃがみこんで男の子の顔を眺めた。おじさんの言うことの意味が分からなかったけど、男の子の目を見ていると、何だか冗談ではないような気がしてきた。
「じゃあ…本物の古代人ってこと?」
「そういうことになるねぇ」
言われてみればそうだ。はにわのぬいぐるみをこんなにしっかり抱きしめているのも、教科書にあんなに見入ってたのも、ここではにわや古代の服に釘付けになっているのも。確かに、ただすごく好きなだけとは思えない。
「おじさん…私、この子をどうすればいいの?」
「そうだなぁ…役場に届けたり施設に預けたりなんだりするとよ、騒ぎになっちゃうからね、できればカナノちゃんの家で育ててあげるのがいいだろうね」
男の子は勘付いているのか、施設に預けるとか何とかの話になると決まって私の服をぎゅっとつかむ。
「ところでよ、お名前が分かんないんだって?」
「そうなの」
「もしかしたら、名前がないのかもしれないね」
「え?」
「多分、古墳時代のちょうどこの辺の地域からやって来たんだろう。この辺はど田舎だからよ、文字があんまり発達してなかったんだ」
「そうなの…」
私は男の子に向き直った。
「カ・ナ・ノ」
私は自分を指差してそう言い、次に男の子を指差してみた。男の子は、私を見つめるだけで何も答えない。
「ほんとに名前がないようね。じゃあ、名前をつけてあげようかしら」
「そうだねぇ、ないと呼ぶのに不便だろう」
「うーん…」
この子が喜びそうな名前…古墳時代らしい名前…古墳時代の人の名前といえば…
「タケル…なんてどうかしら?」
「お、いい名前じゃないか」
「タ・ケ・ル」
私は男の子を指差して言った。
「タ…ケ…ル?」
男の子は繰り返した。私は大きくうなずいた。うなずくっていう仕草が古代人に伝わるか分からないけど。
「タ、ケ、ル」
男の子は私のまねをして自分を指差してそう言った。どうやら伝わったようだ。
「カ・ナ・ノ」
私は自分を指差して、もう一回言ってみた。
「カ、ナ、ノ」
男の子は私を指差して言った。そして、にっこりした。
「…笑った、タケルが笑った!うふふふ」
私もタケルに、にっこり笑い返した。
タケルは展示されているはにわや土器の一つ一つをじっくり眺めて、閉館時間になっても全部を見きれなかった。
「タケル、そろそろ帰ろう…」
私はちょっとためらいながらタケルの手を引っぱった。やっぱりちょっと抵抗している。私はしゃがんでタケルの手を握った。
「まだまだ見たいのは分かるわ。でも今日は閉まっちゃう時間だしさ、また来ようよ、ね?ママがおいしいごはんを作って、おうちで待ってるの」
タケルは分かってくれたようで、私の手をつかんで一緒に出口に歩き出した。
「おじさん、ぎりぎりまでいてごめんなさい。また来るわ」
「いやいや、楽しんでもらえたようでよかったよ。カナノちゃん、タケルくん、またおいで」
おじさんはにっこりして、タケルに手を振ってくれた。
「あら、かっこいい名前じゃない。タケルって。ところで、明日からあなたが学校行っている間、タケルくんはどうするの?」
夕食の時間、ママが聞いてきた。
「うーん……アキおばさんとか喜んでお世話してくれるかな?食べ終わったら、おばさんち行って聞いてみようかしら」
「今日はもう遅いわよ。それに、そう簡単にお願いしてもいいもの?」
「だって学校は行かなきゃだし、タケルを連れていくわけにはいかないし…」
その時、玄関のベルが鳴った。
「はーい」
ママが出て行った。
「あら、お食事中?ごめんなさいねぇ。主人がもらってきたお土産が、うちじゃ食べきれなくて」
アキおばさんの声だ。
「タケル、ちょっといい?」
私はタケルを連れて玄関に行った。
「おばさん、こんばんは」
「こんばんは、カナノちゃん。あら、その坊やは?」
私はタケルについての一部始終をアキおばさんに話した。
「あら、うちでよければ喜んで預かるわよ!」
「ほんと!?」
「もちろんよ。一度子育てがしてみたかったのよ~」
アキおばさんのところには、子どもがいない。その分、近所に住む私やアスカは、アキおばさんとケンおじさんにとてもかわいがられてきた。
「おばさん、ありがとう!ね、いいでしょママ。タケルも」
「本当にすみません」
ママはアキおばさんに深々と頭を下げた。
「いいのいいの」
「おばさん、私に何がお礼ができるかしら」
「あら、とんでもないわよ~、お礼なんて。うちで子どもの世話ができるなんて、夢のようだわ」
「私、おばさんのためなら何でもするわ!」
「あはは、カナノちゃん、いい子だねぇ~」
そんなわけで、私は学校に行くときにアキおばさんちにタケルを預けて、帰ってくると迎えにいくことになった。タケルは物覚えも聞き分けもよくて、いろんなことをどんどん吸収していった。アキおばさんちでは家のお手伝いもちょっとしているらしい。私もアキおばさんも、タケルと少しずつ言葉でやりとりできるようになっていくのがとっても楽しかった。
でもやっぱりまだ気持ちが不安定なようで、夜中に起きて泣くことがほぼ毎晩あった。あやしてもなかなか寝付かなくて、寝不足のまま学校に行くこともあった。そして困ったことに、何日かにいっぺんおねしょをして、でもおむつを買ってきてはかせようとしても嫌がるから、防水シートをこっそり敷いて、やっちゃったときは私が始末をしている。おねしょの始末なんてほんとに嫌だけど、家族に迷惑をかけたくないから仕方ない。それに、古代の服をずっと着てるわけにはいかないからタケルが着られそうなものを探してみたけど、着る服には結構こだわりが強いみたいで、うちにある小さめの服を色々試して地味な服をやっと何着か受け入れてくれるような感じだった。
そんなこんなで突然母親になったような大変な生活を送っているけど、とりわけ困ったことは…タケルは飛行機をすごく怖がる。音が聞こえたりちょっと遠くに見えるくらいなら、おびえた目をして私の服をぎゅっと握るくらいだけど、近くに大きく見えると、わあっと泣き出して私に強くしがみつく。どんなになだめても、飛行機が去るまで泣き続ける。かわいそうに。この町は飛行機とは切っても切れないんだよ…。そんなわけで、好きにいろんなところに出かけることはあまりできなくなった。
「おっじゃましまーす!」
土曜日の昼過ぎ、アスカが私の家に遊びに来た。
「アスカー!待ってたよ!」
「やっほー!あ、その子がタケルくん?かわいい~!」
タケルのことは、何日か前にアスカに話した。疑われるどころか、分かってくれて、しかも興味を持ってくれたのでよかった。さすが私の親友アスカ。
「どうりではにわ祭の日になんだか不思議な気持ちがしたのよね。まさか本物の古代人がカナノのうちにやって来るなんて」
「うふふ。タケル、私の友達のアスカだよ。ア・ス・カ」
私はアスカを指さして、ゆっくり、はっきり言ってあげた。
「ア、ス、カ?」
タケルはそう言って、アスカを見上げた。
「そう、アスカだよ!タケルくん、よろしくね!」
アスカはタケルの顔をのぞき込んで、にっこりした。
「今日は天気もいいし、お外で遊ぼうよ!せっかくだから、ひこうきの丘とか行かない?」
「えっ…」
「どうしたの、カナノ」
「実はさ、タケルが飛行機、大の苦手で…」
「あら!」
「このままじゃ私も思うようにいろんなとこ出かけられないし…」
「そっかあ…何かいい方法がないかなあ」
「あやしい生き物とか武器みたいに思ってるのかしらね」
「うーん…飛行機について、もっとよく知ることができればいいいんじゃないかな。航空博物館に行くのは?いや、いっそ空港に連れて行けばいいんだよ」
「ちょっと、何考えてるのよ!」
「行ってみないと分かんないわよ。飛行機って何なのか、何のためにあるのか、なんで毎日あんなにいっぱい飛んでいるのか、目で見て一番わかりやすいのは空港よ!嫌がったら帰ればいいじゃない」
「んー…」
これってすごい賭けだ。でも、他にいい方法が思いつかない。
「じゃあ…連れていってみようかしら」
「よーし!じゃあちょっと家で身仕度してくるわ!」
「え、今行くの?」
「もちろんよ!」
そう言ってアスカは家に走っていった。
「ママ、今からタケルを連れて、アスカと空港に行ってこようと思うの」
「え?タケルくん、飛行機嫌いなんでしょ」
「飛行機が何なのかをちゃんと知れば、もう怖がらなくなるかもしれないと思ったの」
「そんな、無茶じゃないの?」
「やってみないと分からないわ。ほんとに嫌がったらすぐに連れて帰るわよ」
「そう…バスで行くの?」
「うん!」
「気をつけるのよ。本数少ないから」
「大丈夫よ!」
成田空港の第2ターミナルまでは、文化センターの前からバスで一本で行ける。私はアスカとそれで何回か空港に飛行機を見に行ったことがある。
「ほんとに大丈夫なのかしら…」
私はバスの中でつぶやいた。
「大丈夫よ!空港から飛び立つ飛行機を怖がる子どもなんて見たことないわ!」
「そういう問題じゃないわよ…」
ところが空港に近づくと、タケルはおびえるどころか止まっている飛行機に釘付けになった。
「ね、言ったでしょ?」
それでも、飛んでいる飛行機を見ると、私の胸に飛び込んできた。
「やっぱり…帰ろうかしら」
そのとき、タケルがしゃべった。
「…こわい…」
「タケル…!」
「タケルくん、新しい言葉を覚えたのね!すごーい!」
「タケル、怖いのね」
タケルは、こっくりうなずいた。私はタケルをぎゅっと抱きしめた。
無邪気にはしゃいでいるアスカの傍らで、私はタケルと新たな言葉でコミュニケーションが取れたうれしさと、タケルを心配する気持ちでなんだか複雑だった。
私たちは空港の展望デッキに向かった。私はタケルと手をつないで恐る恐るデッキに出た。タケルは柵をつかんで、止まっているたくさんの飛行機に見入った。
手前の方に飛行機が止まっていて、前の部分が開いて荷物を運び入れているところだった。乗客が乗るための通路もつながれている。
「前のところから荷物を入れて、あそこの通路から人が乗るの。飛行機は物も人も、日本だけじゃなくて世界中いろんなところに運んじゃうのよ」
アスカはしゃがみ込んでタケルに熱心に説明している。絶対伝わってないと思うけど。
滑走路をJALの飛行機がゆっくり動いている。
「あ、飛び立つわ!」
飛行機は、時間をかけてずーっと遠くの方まで動いて行った。そして、ゆっくり向きを変えた。しばらくして、ゴーッという音がして、飛行機がまたこちらに向かってきた。飛行機はどんどんスピードを速めていく。ふと私はタケルを見た。タケルは全然怖がっていなくて、目を見開いて飛行機を見つめている。
飛行機が飛び立った。
「わぁ……」
アスカには、何百回何千回見ても感動の瞬間であるみたい。
その後、着陸する飛行機が飛んできた。
「こわい!」
タケルはまたそう言って私に抱きつき、おびえた目で飛行機を見ていた。
でも、飛行機が滑走路に降りたって少しずつスピードを落としていくと、わたしをつかむタケルの力も弱まっていった。
「シンガポール航空だ!アメリカから来たのかな?」
アスカは色々詳しい。
私たちはそのまま、飛行機が離陸したり着陸したりするのをずっと見ていた。あんなに怖がっていたタケルも、日が西に大きく傾く頃には興味深そうに飛行機を目で追うようになっていた。
「アスカの言った通りだったわね。これできっと明日から大丈夫よ。ほんとにありがとう」
「でしょ~。役に立ててうれしいわ!」
その日以来、タケルは飛行機を見るたび「ひこうき、ひこうき」と言って追いかけたり、飛んで行って消えるまでずっと見ていたりするようになった。
「やあ、カナノちゃんにタケルくん」
次の週の水曜日、私はタケルを連れてまたはにわ博物館にやって来た。おじさんが出迎えてくれる。
「どうだい調子は?」
「元気にやってるわ。よく夜中に泣いて起きたりおねしょしたりするけど…」
「はっはっは」
タケルは展示してあるものを色々指さして「なに?」と聞いてくる。土器とかタケルの時代じゃない物なら聞くのは分かるけど、タケルの時代のものまで指さして聞いてくるのはなんでだろう。現代で何て言うのか知りたいからかな。私はタケルが聞いてくるものの名前を一つ一つ丁寧に教えてあげた。タケルは展示物だけじゃなくて、ロビーにある本とか人形とか、そういうものの名前も聞いてきた。
「なに?」
最後に、おじさんを指さしてそう言ったので、私もおじさんも笑っちゃった。タケルはちょっと怪訝そうな顔をした。
「だ~れ?」
私はそう言っておじさんを指さして、タケルを見た。
「だ~れ?」
タケルも言っておじさんを指さした。
「おじさん」
私はゆっくり教えてあげた。
「お・じ・さ・ん」
タケルはそう言って、おじさんを見てにっこりした。
「かわいい子だねぇ~」
おじさんは、タケルの頭をなでた。
「タケル、今日は仁王尊に行こうよ」
まだ明るかったので、私たちは博物館から歩いて仁王尊に向かった。
仁王尊とは、芝山仁王尊のことで、奈良時代に建てられたお寺。昔は成田と同じくらいたくさんの参詣客が来ていたらしいんだけど、それが今となってはずっと少なくなっちゃったそう…なんでだろう。
「ここは、タケルのちょっと先の時代に造られたのよ」
奈良時代、私にとっては遠い昔でも、タケルにとっては未来のことだ。う~ん不思議。
私は手水場で両手と口を清めて、タケルの両手と口も清めてあげた。そして本堂に向かった。
「こうやってお参りするの」
お賽銭を投げ入れ、私は手を合わせた。
「素敵な人と結婚できますように……」
ふと思いついた願い事。タケルは、無垢な顔で私を見上げていた。
「うふふ」
私はタケルの頭をなでた。
タケルがうちに来てから、半年が経った。夜泣きやおねしょもあまりなくなって、タケルは身長がちょっと伸びて動きも巧みになってきた。アスカや他の近所の子どもたちと遊ぶこともあったけど、依然として私だけと遊ぶのが一番好きみたい。私も中学生になって、ちょっと忙しくなったけど、部活とかはあまりやらないでタケルとの時間を大切にした。私はタケルと町のいろんなところに出かけたり、ママの車で隣の町にも連れていってもらったりした。飛行機、お寺、神社…タケルは行く先々で、いろんなものに興味を持った。中でも芝山公園によく出かけて、タケルは芝生を駆け回ったり、お花をつんで私に見せてくれたりした。体力は結構あるみたいで、追いかけっこをしても本気を出さないとつかまえられないし、遠くに出かけたときは私の方がくたくたになってタケルはまだまだ元気っていうこともあった。タケルは現代の言葉をたくさん覚えて、大体2歳くらいの子ども並みには会話ができるようになった。時々古代の言葉が出てきて首をかしげることもあるけど。
5月下旬の土曜日、今日は成田エアポートツーデーマーチに来ている。タケルもアスカも一緒。ツーデーマーチはこの時期に成田市と芝山町で開催されるウォーキングイベント。お寺や飛行機関連の施設とか色々な観光名所を巡るイベントで、いくつかのコースがある。町の人たちも、スイカやおにぎりで参加者をもてなしてくれる。ツーデーマーチは前から知っていたけど、参加するのは初めて。私はタケルのために、この町で開催される一番短い10kmコースを選んだ。
「今日はいい天気ね~」
アスカが空を見上げて言った。
「暑い~」
「カナノ、しょっぱなからそんなだるそうなこと言わないでっ」
アスカは元気いっぱいだ。
「おはな!」
タケルがそう言って、目の前の彼岸花の畑を指差した。
「ほんとだ!きれいね~」
アスカも見とれている。
「カナノ、おはな!」
タケルが私の服をつかむので、私は生返事をした。
「ほんとだねー、きれい」
でも、私がそう言うとタケルはにっこりした。
「えへへ」
思わず私も笑って、ちょっと元気が出た。
5月にしては、今日は結構暑い。それに10kmって、思ったより長い。朝10時半くらいに出発して、半分少し歩いたところの休憩地点の、空の駅風和里しばやまというお店に着いた頃には、もうとっくに1時を過ぎていた。
「カナノ、顔が真っ赤だよ」
「別に…ちょっと休めば大丈夫よ」
そう言いながら私は、配られたうちわで私とアスカ、タケルを仰いだ。
お店の入り口近くのベンチに、若い女の人が横になっている。ボランティアのおじいさんたちが何人か声をかけていて、氷を持って行ってあげている人もいた。
「やっぱり、これだけ暑いと体調崩しちゃうわよね…カナノも無理しないで」
「大丈夫だってば」
私たちはテントで配られているおにぎりとスイカを食べて、風和里しばやまを出発した。
残り2㎞くらいのところで、タケルがしゃがみ込んでしまった。
「タケル、疲れちゃったの?」
タケルはうなずいた。
「あともうちょっとがんばれない?」
タケルは首を横に振った。
「そう…じゃあ私がおぶっていくわ」
「え、大丈夫?カナノ、さっきからずっと顔赤いもん」
「大丈夫よ!私が責任もってゴールまで連れていくわ」
「無理しないでね。辛かったら私が代わってあげるから」
「平気よ!」
ゴールまで1㎞を切った。ちょっとだけくらくらしてきて、息も荒くなってきた。
「カナノ、大丈夫?」
「大丈夫よ、もうちょっとだから…」
「私がおぶってくわよ」
「でも、ほんとにもうすぐだから…」
「もう無理しないで!顔色が良くないわよ。タケルくん、いいかな?」
タケルがうなずくのが分かった。私は仕方なくアスカにタケルを託した。ちょっと楽になって、私たちは無事ゴールにたどり着いた。
「おつかれさん、ほいっ!」
ゴール地点のテントで、おばあさんが私たちにおにぎりを渡してくれた。
「ありがとう、おばさん!カナノ、大丈夫?食べられる?」
「うーん…」
頭がくらくらする。
「あんた、大丈夫かい?」
「ちょっとそこの涼しい部屋で休んだら」
他の人たちも心配してくれている。
「そうします…アスカ、タケルをちょっと見てて」
私はおばさんに、建物の中の涼しい部屋に案内された。
「あんた、今日は何で来たの?帰りは大丈夫?」
「バスです…大丈夫です、ちょっと休んでバスで帰ります」
「そう?無理しないでね」
おばさんはお茶と飴玉と氷を持ってきてくれた。
「ゆっくり休んでね」
おばさんはそう言って、部屋を出ていった。
私は部屋にあるソファーにしばらく横になっていた。でも、体調はなかなか良くならない。バス停まで歩くのも難しそう。
「お姉ちゃん、大丈夫かい」
おばさんが部屋に入ってきた。
「あー、えっと…」
私は体を起こした。
「いいのいいの、無理に起き上がらないで。顔色がまだ良くないよ」
「はい…」
「あんた、ほんとにバスで大丈夫?おうちまで車で送ってもらった方がいいんじゃないかしら」
「うーん…」
もう、できるだけ動きたくない。
「ちょっと待ってなさいね」
おばさんは部屋を出ていって、間もなく戻ってきた。
「今車を出してもらうからね、お友達も一緒に送ってあげるわ」
「すみません…」
「いいのいいの」
私はおばさんと外に出た。
「カナノ、大丈夫?」
アスカが駆け寄ってきた。タケルも近寄ってきて、心配そうに私の顔を見上げている。
「うん…」
一人のおじさんが、私たちを家まで送ってくれた。アスカも私の家のところで降りて、玄関までついてきてくれた。
「ただいま…」
「おじゃましまーす」
「おかえりなさい!おつかれさま。あら、アスカちゃん、いらっしゃい」
ママが玄関まで出てきた。
「カナノが暑さにやられちゃったみたいなんです。会場の人に車でここまで送ってきていただきました」
「まあ…」
「ごめんなさい、私もちょっと無理させちゃったかもしれません…」
「ううん、そんなことないわ。送りに来てくれてありがとう。アスカちゃん、お茶でも飲む?」
「いえ、大丈夫です。おうちすぐそこなので。私も帰ります」
「あら、そう?ゆっくり休んでね」
「はーい。おじゃましました。カナノ、お大事にね」
「うん…」
アスカは帰って行った。
「カナノ、自分の体調管理くらいちゃんとしなさいよ。こんな暑い中長距離歩くのは、カナノにはやっぱり無理だと思うわよ」
「平気よ…」
「平気じゃないわよ、その顔色。会場の人に迷惑までかけて。ひどいと病院行かなきゃいけなくなるのよ!」
「タケルをおぶってたんだもん」
「それが言い訳になるの?体力の限界をちゃんと考えなさい、熱中症を甘く見るんじゃないわよ」
私は水を飲むためにリビングを通って台所に向かった。
「カナノ、大丈夫か?」
リビングでパパがテレビを見ていた。
「うーん…」
「言っただろう、無理するなって。次からよく考えて行動しろよ」
「はーい…」
何日か前、私がウォーキングに行くと話した時、パパはあまりいい顔をしていなかった。
私は水を飲んで、タケルを連れて部屋に行き、着替えてベッドに横になった。
どういうことよ。体調崩しているのにママもパパも労わってくれるどころか怒るって。最悪。タケルをおぶってなかったら、元気でいられたかもしれない。思えば、タケルの世話をしていて大変なことばっかり。タケルの夜泣きで目が覚めて寝不足になったり、お風呂に入れてあげたり、一番面倒なのはおねしょの始末…。洋服へのこだわりも強いし、他にも色々デリケートだし、いつでも抱っことか教科書とかねだってくるし。タケルを引き取った時、こんなことまでは全く想像してなかったわ…。
「ふん!」
私は部屋の隅に腰掛けているタケルに背を向けるようにして、寝返りを打った。
しばらくして、タケルが私の方に近づいてきた。
「カナノ…」
私は返事をしなかった。
「カナノ…ごめんね」
はっとした。ごめんねなんて、いつ覚えたんだろう。物の名前はよく覚えても、あいさつはなかなか覚えないのに。
私はタケルの方を向いた。
「ごめんね」
タケルは私の目をまっすぐに見ている。そして、とても心配そうな、申し訳なさそうな顔をしている。
私はタケルのやさしさに心を打たれると同時に、タケルのことを悪く考えたついさっきの自分をすごく反省した。目に涙があふれてくる。
「いい子…」
私はタケルの頭をなでた。私の目から涙がこぼれた。これから何があってもどんなに大変でも、私はこの子の面倒を見続けよう。幼稚園や学校のこととか、どうすればいいか分からないことはまだたくさんあるけど、きっと何とかしてみせる。この子は、私が守る。
タケルは、まだ心配そうな顔で私を見つめていた。
タケルがうちにやって来て、丸1年が経った。町は再び芝山はにわ祭の日を迎えた。私はタケルを連れて芝山公園にやって来ている。パパもママも弟たちも、アスカも、それにアキおばさんとケンおじさんも一緒。
タケルは朝からたくさんの古代人を見て、目を輝かせている。タケルのうれしそうな顔を見て、私も幸せな気持ちでいっぱいだ。
「タケルくん、よかったわね~!」
アスカがタケルの頭をぽんぽんとなでた。
「なあに、お楽しみはまだまだこれからよ!」
私はタケルににっこりした。
お昼にはステージや屋台でいろんなものを見て回った。普段人見知りの強いタケルも、今日はみんなに笑顔を向けている。古代の服を着ているタケルは、会う人みんなに可愛がられた。降臨している古代人たちとはぐれたと勘違いして、彼らのところに連れていこうとする人もいた。
午後、私とタケルは古代人の行列を眺めていた。行列の中のたくさんの古代人たちが、私に抱っこされているタケルに微笑みかけたり手を振ったりしてくれた。タケルもにこにこして手を振り返している。
ふと、タケルが行列とは違う方向に釘付けになった。なんだか表情がこわばっている。振り向くと、古代の占い師のような女の人が、私たちのそばに立っていた。手には葉っぱがたくさんついた枝を持っている。行列にいる古代人たちとは、なんだか雰囲気が違う。
「我はいにしえの国より来し祈祷師である。その幼子を私に託せよ」
その人は、ゆっくりと厳かに話した。タケルが私にしがみついた。
「嫌よ!」
私はタケルを抱きしめた。
「この子の面倒は、私が見るの!私が守る!」
「それはならない。その幼子は、元いたところに戻らねばならない」
「カナノ…」
タケルはとても不安げな顔で私を見上げている。
「タケル…」
私は一層強くタケルを抱きしめた…つもりが、ふと身が軽くなって、自分自身の体を抱きしめていた。見ると、タケルはいつの間にか祈祷師の腕の中にいた。
「カナノ!」
タケルが叫ぶ。
「卑怯よ!それなら私も連れていって!その子には、私がいなきゃいけないの!!」
私は祈祷師に駆け寄ろうとした。だけど、足がうまく動かない。
「カナノ!!」
タケルの叫び声と共に、祈祷師とタケルは消えていった。
「タケル!!」
私はむなしく叫んで、泣き崩れた。
「カナノ!何してるのよ、そんなところで」
ママが駆け寄ってきた。他のみんなも一緒にやって来た。
「タケルが…タケルが、連れ去られていったの!古代から来たっていう人に連れられて、消えていっちゃったの!」
ママは少しあっけにとられていたけど、しばらくして私に言った。
「…そう、元の時代に帰って行ったのね。タケルくんにとってはそれが一番良かったのよ」
「何がよ!あの子には私がいなくてはだめなの!!」
ママは私の前にしゃがみ込んだ。
「カナノも今は寂しいかもしれないわね。でもタケルくんには、生きるべき世界があるの。カナノだってそうでしょう?」
「カナノ、これで良かったんだよ。元気出しなさい」
パパもそう言った。アキおばさん、ケンおじさんも私をなだめようとしている。
「何が良かったのよ!これからどうすればいいのよ!!」
私は思いきり駆け出した。
「カナノ!」
後ろでアスカの声が聞こえた。
私は無我夢中で駆けた。途中で何人かの人が、私に心配して声をかけたような気がしたけど、もう何も耳に入らない。
私は公園を出て、家への道を急いだ。息切れしながら家の鍵を開けて、洗面所にも行かずに自分の部屋に駆け込んだ。床には、今朝までタケルが大事に抱えていたはにわのぬいぐるみと歴史の教科書が置いてあった。タケルが着ていた私のガウンも放ってある。私はそれを全部拾い集めて手に取った。でも、すぐに放り出して、ベッドに飛び込んだ。
私は、いつまでもいつまでも泣き続けた。
どれくらい時間が経ったんだろう。いつの間にか日が暮れてきて、玄関の方で物音が聞こえた。
「カナノー、いるの?」
ママが階段を上ってくる。
「カナノ?」
ママが私の部屋に来た。
「あー、よかった。どこに行っちゃったのかと思ったわよ。みんなとっても心配してたのよ。パパも、おじさんもおばさんも、アスカちゃんも。まったく、一人で勝手に帰っちゃうなんて」
ママは私のところに来てしゃがんだ。
「ショックなのは分かるわよ。でも、タケルくんだっていつまでもここにいるわけにはいかないの。カナノは本当にがんばってタケルくんのお世話をしていたわよ。ほんとにえらかった」
私は黙っていた。
「さ、夕食作らなきゃ。カナノの大好物のおっぺしいも作ってあげるから、元気出して、ね」
ママは私に微笑んで、部屋を出て行った。
ベッドに腰掛けたままぼんやりしていると、タクが私の部屋に来た。
「おねえちゃん、タケルくんのお布団しまっておいて」
弟は外に干してあったタケルの布団を置いていった。私は布団を手に取った。タケルの布団…私は布団を抱きしめて、声をあげて泣いた。
「さあカナノ、いっぱい食べてね!」
「カナノ、じきに元の生活に慣れてくるさ」
ママもパパも、一生懸命私を慰めようとしている。でも、私の気持ちなんか全然分かっていない。大好物も、あまりのどを通らなかった。
誰も分かってくれない。ママもパパも、アキおばさんもケンおじさんも、みんな、私の気持ちなんか、分かってくれはしない…