TRAVEL GUIDE ジョナサン・バーンブルックのお気に入りJAPAN
今回は、ジョナサン・バーンブルックのお気に入りJAPANをご紹介!
デヴィッド・ボウイのアルバムのカバーデザインなども手掛ける彼がおすすめする日本は、なんと広島。負の遺産とも平和記念資料館を選んだ彼の理由を読み解くと、ネガティブに捉えられがちな「広島」の真の意味合いに気づくことができます。外国人から見た日本、広島を感じられる記事になっていますのでぜひご一読ください!
ジョナサン・バーンブルック(イギリス)
グラフィック・デザイナー
訪日回数 15年間に定期的
推薦:広島
日本が大震災、津波、そして原子炉の溶融から逃げようとしている今、なぜ僕が原発に関わる場所へ行くことを勧めているのか?それは、大震災によってヒロシマの意義が変わったからだ。広島といえば、記念館を訪れ過去を振り返るものだったが、これから思いを馳せるのは別のもの。この悲惨な建物の周りで子供は楽しげに自転車を乗り回し、緑は茂り、ドライバーは渋滞に腹を立て、人々は通りで笑いあっている、そんな現実を目にし、ヒロシマがあの惨状を乗り越え、このように平和な生活が再びめぐっているのであれば、今回の問題に対しても日本は必ず対処でき、乗り越えられるはずだと思うからだ。ヒロシマは、ポジティブにそして痛烈に、可能性を伝える。
平和記念資料館に入ると、中は全く違う雰囲気だ。人類がこのような武器を作れると聞いた学校時代から、目に焼き付いている悲惨な状況を切り取った写真が飾られている。もっと辛いのは、カメラでは写し取ることのできない、なぜこんなことが起こったのか理解できない打ちひしがれた感情の激しさが表れた、その頃の子供が書いた絵だ。原爆が落とされた時刻、人の命が終わった時のまま止まった時計は、人間はみな内なる時計をもっていて、それは確実に終わりに向かって時を刻んでいること、限られた時間を有効に使わなければならないことを改めて知らしめる。展示物の中でもっとも信じがたかったものは、原爆の閃光によって切り取られた人の影だ。”実体“なき影はそこにもう一つの性格をもって存在しているが、それは時を超えても話はしない。我々は生きて、笑って、祝って、周りの人にどれだけ愛しているか伝え、古い敵と和解し、この頂いた命を大事に使い、可能性に生きねばならない。
【編集注記】 広島:平和都市
瀬戸内海を望んで位置する広島は、本州中国地方最大の都市である。16世紀の戦国時代、広島城を築いた毛利輝元のお膝元として栄えた。1945年8月6日午前8時15分、人類史上初の原子力爆弾が投下され、都市は壊滅的に破壊された。今日、広島は平和都市として知られ、広島城、縮景園、三瀧寺、そして広島平和記念公園(原爆ドーム)へと、多くの観光客が訪れる。
JAPAN TRAVEL GUIDE TO AID JAPANでは、他にも著名人らによる「お気に入りJAPAN」が集約されています。他にも気になる方は、JAPAN TRAVELのカテゴリからチェックしてみてください!