ハンチントン病の介護者's Ownd

不随意運動が大きくなったきっかけ①

2020.03.04 06:02


順調な日々





同棲時代から続けていた2人暮しも終わりを告げ、私の実家の2階で新しい暮らし始めた。





不随意運動も日常生活を大きく妨げる事は無かったが、確実に進行している事は読み取れた。





それでも毎日私の母と台所に立ち、家族が仕事で出ている時は掃除や洗濯物の整頓などを行い生活の中に溶け込んでくれた。





転機





いつも通りの朝食を済ませ、妻を残して仕事に出掛ける。





予定より早く仕事の目処が着いたので、私は自宅で昼食を摂る事にした。





自宅に戻ると階段付近で倒れている妻。





呼び掛けにも反応が無く、抱き抱えて声を掛ける。





目立った出血や外傷は無い。





暫くすると気が付いたが、状況が分からないのでそのまま寝かせて救急車で最寄りの病院まで搬送して貰う。





車内で完全に意識が戻った妻に状況を聞くと、私たちが出勤した後に掃除を行い、2階の部屋に戻ろうとしたが身体が思う様に動かずに転落してしまったらしい。





いつかこうなる日が来る事を予想していたが、今日この時を迎えてみると『早すぎる』と何かを呪わざるを得なかった。





病院での検査結果は、脳震盪。





額にたんこぶは出来ていたが、入院などの必要は無いだろうと言う物だった。





落ち着いてから私の両親に迎えに来て貰い、4人で帰路に着いた。





介護の歯車





この日から妻の日中の居場所は1階の居間になり、私と一緒でなければ2階に移動しない約束が出来た。





また、必ず携帯電話を手元に置いて置くと言う約束事も追加された。





また、この事故以来、暫くは両親や家族は妻に何かをお願いする事を躊躇っている様になっていた。





私が今まで通りお願いをし、今まで通り動いて居るのを見て少しずつ戻って行った。





それでも、家族会や病院で聞いていた介護が始まるんだと実感をした。





今思えば、妻に付き添うだけの日々から介助・介護の考え方に変わって行ったのはこの頃からだと思う。





ただ、同じ事を繰り返させない為の手を考える必要はあった。








心の声





・心の準備が出来ていなかったので、とにかく驚いた。





・今考えると、混乱していたとは言え、妻の身体を不用意に動かし過ぎていた。減点。





・本人を制限する約束が、1つの境界だと思う。