ハンチントン病の介護者's Ownd

ブログ整理中

2020.05.15 06:02


本数は少ないけど





ブロブの引っ越し先を探すのと並行して、全てを掲載するかどうかを精査しています。





他の方に比べれば、選ぶほど本数がある訳ではありません。





私がブログを開設して継続して中で、病気の苦しさや悲壮感を知って貰う事よりも大事にしている事があります。





ご家族の中で直面出来なかった方や今まで耳馴染みが無く、これから病気と付き合って行かなければならない方が検索された延長で見られた時に希望や可能性を見つけて頂ければと思っています。





これは、ブログ内に度々出て来る言葉なのです。





私自信が弱く忘れっぽい人間でなので、自分自身の指針の為に書いている側面もあります。





そう言う考えで運営していると必然的に内容が薄くなって当たり障りの際物になってしまうジレンマはあります。





ただ、『発病したパートナーには絶対寄り添うべき』や『私がやって来た自宅介護をした方がいい』と言った特定の方向に向ける様な強い言葉は使いたくありません。





何故なら、私は他人の人生まで責任を持てないからです。





正確には、妻を看ながらそれが出来るほど生優しい病気では無いからです。





少なくとも、そんな私が強い言葉で背中を押す様な無責任な事は出来ません。





そんな変な方に強い決意を笑う様に近寄って来るのが、病気であり病状の進行です。





残念ながら、こちらが歩みを止めても思考を止めても近寄って来るし、背後から抜き去り病気が私たちを置いてドンドン先に行ってしまいます。





そして何時からか、私たちが病気を追いかける様な日々になります。





何が前向きなのか、最善のなのか。その最善も誰にとって最善なのか全然分かりません。





私たちも、現状が誰の為の介護なのか。何の為の付き添いなのか。自問自答の日々です。





介護を続ける/続けないと書かれたサイコロを投げて、偶然にも続けるの目が15年連続で出続けているだけかも知れません。





明日から続けないの面が出続けるかも知れません。





そのサイコロの何面にどちらを書くのかは、その人次第。





残念ながら、私の人生というペンでは書くことが出来ません。





だから、無責任な事は書きたくはありません。





ただ、消しゴムで消せて、薄ーく下書き出来る鉛筆の様なブログにしたい。








の声





・途中で着地点を見失った。





・コイントスにしようと思ったけど、2面じゃ無いもんなぁ。





・溜まっている下書きを見て、自分への戒め回。