禍福のメニュー
『禍福倚伏(かふくいふく)』……禍(わざわい)は福の倚(よ)る所、福は禍の伏す所なり……なんて言葉がありますね。
感染症拡大防止のための緊急事態宣言から続いた、社会生活の変化・不要不急の外出自粛・ステイホームプロジェクトで、様々なストレスを強いられることになった方も多くおられるだろうし、ましてや感染症による死亡も然り、この期間になんらかで亡くなられたご家族やご親族、ご友人がいらっしゃった方にしたら、大変忌々しい『禍』の記憶として心に刻みこまれたことと想像します。
けれど、この禍福倚伏という言葉にあるように、禍に倚る福(幸運や少なからず良い事)がもたらされることも無きにしも非ず。
たまたまにしろ、私は今のところ感染症にはなっていないですし、世の自粛ムードの中でも仕事は(パートですが)通常勤務、閑散とした電車内や街中を歩くのも、かえってメンタル的には落ち着いた部分もありました。
ある日突然自死遺族になってから、世間の流れに取り残されたあの感覚から回避され、これまで蔑ろにしてきた“今現在の自分”に向き合い、心の状態を確認する時間を持てたように思うのです。
皮肉にもこの『禍』で『一呼吸おいた』状況になったのです。
そしてなにより、家族皆で家の中にいる時間が増えたのが、今、このタイミングだったことは、小さな『禍福』でした。
家族の一人を自死で喪った我々遺族にしかわからない、ささやかでも有り難いシチュエーションを、コロナ禍がもたらしてくれたのです。
次女がこの世に生きて居た頃、毎年のクリスマスシーズンや家族のお祝い事で利用してきたレストランがありました。
しかし2016年12月のクリスマスディナー以降は行けなくなっていました。
理由は勿論亡き娘の自死です。
家族の美味しい笑顔、幸せの記憶だけが蓄積されてきた『思い出のレストラン』。
次女が他界した後、2017年の暮れにも(一周忌供養を兼ねて)予約を入れようとしましたら、無言の空気で主人と長女に拒否されたような圧を感じました。
そりゃあ……抵抗はありますよね。
こんな悲しみを引き摺って、至福の家族時間を過ごしてきた特別な場所で、平常心を保ちながら100%食事を楽しみ味わうことは無理でしょうし。
そんなわけで、もう二度と足を踏み入れることはできないと封印していた場所でした。
が、このタイミングでのコロナ禍で、思わぬ気持ちの変化が家族間に生じたのです。
ステイホーム自粛で、苦境に立たされた飲食店の支援の話題が上がり、主人から「久々にあのレストランに予約を入れてみようか」と。
今ならソーシャルディスタンスの関係上、一日に予約を受ける件数も相当減らす配慮をしているのでは?と。
すると間をおかず長女も「良いね、あそこで久々に食べたいね」と。
我々家族のささやかな幸せの象徴だった、あのお店が潰れるのだけは阻止したいという(ちょっと大袈裟ですが)そういう気持ちが湧いたのもあります。
そこへ、事後から三年間という一番苦しい年月を家族それぞれが自分のやり方でどうにか耐え忍んできた労いの意味も合わさり、思い立ったが吉日、すぐに予約を入れてみました。
「なにか特別な日でしたでしょうか?(誕生日などの)」
このコロナ禍ということもあってか、少々驚いたようにお店の方が電話応対されましたが、予約は受けてもらえました。
そして当日。
コロナ禍でなければありえなかったシチュエーションが。
週末にもかかわらず、我々家族しか店内にはおらず、貸し切り状態だったのです。
――これなら、食事中に亡き娘を思い出して突如涙ぐんでも大丈夫かな……。
けれど心配は無用でした。
「ゆうちゃんは、パンのおかわりを三皿分はしていたよねぇ(笑)」
「最後のクリスマスでは、あいつ、おかわりできなくてムッとしてたよねぇ(笑)」
亡き娘の話題はこれだけでしたが、別の話題でどんなに盛り上がろうと、美味しいメニューに舌鼓を打ちながら皆の心の中では、食いしん坊のあの子がずっと一緒にお料理を頬張っているのです。
忘れるわけはない。
悲しいことも楽しかったことも。
あの日から封印してきたものがまた一つ、思いもよらず解き放たれた、事後4年目の5月でした。
▼飯テロ画像▼
📸五種の前菜盛り合わせ↑
📸季節野菜のバーニャカウダ↑
📸お好みのパスタ↑
📸鹿肉とカシスソース季節野菜添え↑
📸ドルチェ↑
📸後日、支援テイクアウトメニュー↑
★お店情報⇒アルピーノ村
(イルクオーレ:コースメニュー)
(アルピーノ1969:テイクアウト商品)
ありがとうございます、御馳走様でした。
またどうぞよろしくお願いします。
◆自死遺族の集い◆
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