月のキャンドルスタンド
部屋を真っ暗にしてキャンドルスタンドに火を灯して遊んでいます。
8年前に沖縄に移り住んだ友人の作家の展覧会が先週神楽坂であり、そこで買った「月のキャンドルスタンド」です。共通の友人である占星術研究家との協働で、沖縄やんばるの森の神秘から生まれたモチーフを取り入れたデザインのキャンドルカバーに、三日月や丸い星の穴が空けられていて、作品が宇宙や自然との対話のツールになっていくことをめざすとされています。
キャンドルに火を灯して部屋の電気を消せば三日月と星の影が浮かび上がるはず、、、、と思いきや、しばらくは真っ暗で何も見えません。直にほんのりとそしてくっきりと三日月と星の数々が壁と天井に現れました。
たまたま読んでいた知人の照明デザイナーの著書によれば、人間の視細胞には明るいところ用と暗いところ用と2種類があり、それぞれが働く状態を「明所視」と「暗所視」と呼ぶのだそうです。真昼に映画館に入ったときのようにその切り替えには時間がかかるのです。いつでも隅々まで明るいのが普通になった現代日本ではそんなことを意識する場面はほとんどなくなりました。そして両方の視細胞が機能する0.01ルクスから10ルクスの範囲が「薄明視」と呼ばれ光に対する感覚がもっとも研ぎ澄まされるそうです。ちなみに星明りは0.001ルクス、満月が0.2ルクス、ほの暗いバーが5―10ルクスとのこと。「月のキャンドルスタンド」は0.1ルクスくらいでしょうか。確かに普段あまり使わない部分の感覚が呼び起こされた気がします。便利になったと思っていることが実は人間に本来備わっている能力を休ませてしまっているということが、さまざまな場面で起きているはずです。
同じ著書に「夜から一日が始まる」夜先昼後論という話しがあり、古い時代の日本では、日没が一日の終わりでその後の「暮」から新しい一日が始まるとされていたといいます。 月も真っ暗な新月が始まりです。華やかな満月よりも新月に可能性とエネルギーが充ちていると考えられます。朝が一日の始まりという先入観を切り替えてみると夜のすごし方が変わるかもしれません。「月のキャンドルスタンド」を一日の始まりにしてみます。
(荻津郁夫)