「エリザベス1世の統治術」8 スコットランド女王メアリー②
1560年12月5日、メアリーの夫フランソワ2世崩御。まだ16歳の若さだった。メアリーもこの時18歳。白の頭巾、白の衣服、白の靴と靴下という宮廷の喪の色である白装束に身を包んだこのときのメアリを、フランソワ・クルーエの筆がいまに伝えている。悲しみは一夜にしてメアリーを変えたと言われるが、そこに描かれた表情はとても18歳とは思えない。しかし、現実はメアリーに、いつまでも哀しみに浸っていることを許さなかった。もはや彼女は王妃ではない。姑はあのカトリーヌ・ドゥ・メディシス。カトリーヌはフランソワの死の翌日、早くも王冠の宝石の返還を彼女に要求。もはや王国第一の女性に変身したカトリーヌにとって、メアリーは自分の権力にとって一つの威嚇、一つの妨害でしかなくない。この姑の容赦ない仕打ちによってメアリーは、フランスにもはや自分の居場所がないことを思い知らされる。新国王シャルル9世から寡婦資産として領地をあたえられたメアリーは、その領地に隠居して一貴婦人として平穏な一生を終える道も、あるいは修道院に引きこもり、尼僧として一生、亡夫の弔いをして暮らす道も残されていた。しかし、誇り高いメアリーはそのどちらも選ばなかった。彼女にはまだ残されているものがあった。スコットランド女王の地位と類稀なる美貌、才気。早くもヨーロッパ列強国のあらゆる独り身の君主らが、夫候補者としてすでに名乗りを上げている。彼女はスコットランドに帰国する決断をする。
しかし心は重い。当時のスコットランドはメアリーの帰国を喜んで迎え入れる状況にはなかった。プロテスタント政府が樹立され、説教師ジョン・ノックスとメアリーの異母兄であるマリ伯ジェームズ・ステュアートがその代表として君臨していた。幼い時フランスに渡り、フランスで育った(母親がフランス貴族ギーズ家出身)このカトリックの女王は、むしろ邪魔者でしかなかったのである。メアリーの到着より10日前、スコットランドにおけるイングランド大使トマス・ランドルフは、本国に宛ててこう書いた。
「いつ到着するとしても、彼女がこの国で歓迎されるかどうかはあやしいものです。貴族の大半は、彼女が彼らの撲滅を目論んでいると思い込んでいるのですから。人々は彼女の到着のための用意などほとんどしていませんし、むしろ彼女の方にもやってくる気はないだろうと考えています」
1561年8月19日、メアリーはスコットランドの港リースに到着する。この時から、1587年2月8日44歳で没するまでまさに波乱万丈の生活がスタートする。まずは再婚問題。メアリーが選んだ相手は、ヘンリー7世の曽孫でありイングランド王位継承権を有するカトリックのヘンリー・ダーンリ。看病をきっかけに彼に夢中になったメアリーは、公衆の面前でも恥ずかしげもなく愛を語りあうようになる。国政もおろそかにし、家臣たちの軽蔑の念を呼び起こす。エリザベスはもちろん猛反対。ロンドンにいるダーンリの母をロンドン塔に投獄し、従わなければ全財産を没収すると脅して、ダーンリに即刻帰国(ダーンリはイングランドで生まれ育った)を命じた。しかし、一人の恋する女になったメアリーには、もはやどんな餌も脅しも効き目がない。1565年7月29日、メアリーはダーンリと再婚した。
これに対して反乱を計画したのは、メアリーの異母兄マリ伯。多くの貴族が賛同し、軍事援助を要請されたエリザベスも3千クラウンの援助金を反乱者たちにばらまく。メアリーも反撃。ローマ法王は8千エキュ、スペイン国王は2万エキュの援助金を約束。メアリーが集めた1万8千の軍に対して、マリ伯が招集できたのはわずか1200。結果はメアリーの圧倒的勝利だった。
しかし、メアリーとダーンリの間に、次第に不和の影がしのび寄る。興奮状態から覚め、メアリーにもダーンリという男の真の姿が見えてくる。政治に対して徹底して無関心、意志薄弱で自惚れが強く、粗暴、飲んだくれ、女好き。妊娠したメアリーは、それを口実にダーンリとベッドを共にしなくなる。そして、新たにメアリーの心をつかんだのはすぐれた歌手であるのみならず作詞作曲にも秀で、フランス語やイタリア語の他にラテン語も自由に操り、話術も巧みなピエモンテ人ダヴィッド・リッチオ。一介の音楽師から秘書として、女王の寵愛を一身に集めるようになる。しかし、このことは貴族たちの嫉妬を集めずにはおかない。さらにメアリーの反乱者に対する仮借ない処置への不満がこれと結びつく。そして、リッチオが生きている限り、二度とメアリーは自分のものにならないだろうと考えるダーンリをそそのかす。こうしてリッチオは殺害されることになる。
映画「ふたりの女王 メアリーとエリザベス」のエリザベス1世(左)とスコットランド女王メアリー(右)
エリザベス1世(左)とスコットランド女王メアリー(右)
フランソワ・クルーエ「スコットランド女王メアリー」1559年~1560年 ロイヤルコレクション とても18歳とは思えない妖艶さが漂う
メアリー女王とジョン・ノックスの会談
メアリー女王に訓戒するジョン・ノックス
「スコットランド王ヘンリー・ステュアート(ダ―ンリ伯ヘンリー)」