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ヨーガのある暮らし

インド留学記 コロナ禍 日本への一時帰国編

2020.05.30 08:49

皆さん、いつのまにか「日本からこんにちは」となりました。

日本は緊急事態宣言が解除され、徐々に活動再開、新たな日常が始まるところですね。

 

インドでも、国家レベルでのロックダウンは終了方向。

6月からは州レベルでのロックダウン管理に変更予定です。

5月25日からは国内線も一部再開しています。

ただマハーラーシュトラ州は、ムンバイのスラム街において感染止まらず、感染数増加中。プネー大学もこのマハーラーシュトラ州に位置します。

先日「卒業学年以外の生徒は、2学期の試験は、レポートなどの課題提出と、一学期の試験の点数にて考慮。」とのお達しがきたので、1年目の私たちは試験なしでの2学期パスが決定。

3学期開始はおそらく8月頃の開始。

インドでのロックダウン生活も2ヶ月を超え、寮生も徐々に一時帰国する生徒が増えてきました。

ドイツ、ブータンは4月の段階で政府要請のもと早々に帰国。

ベトナム組は5月中旬に政府のチャーター便によって、13人が一気に帰国。

現在寮に残るのは、アフガニスタン10名ちょい、イランなど数名、バングラディッシュ2名、チベット1名、ネパール2名、タイ1名…といったところです。

寮の人数はざっと3分の1ぐらいになっているかなと思います。

タイの子も6月に帰国便が決定。

元々アフガニスタンなどは治安が悪いので、アフガン組は帰国について検討していないとのこと。

 

ロックダウン中の寮生活はそれなりに充実していましたが、仲良くしていたベトナム組も一気に帰国。少し寂しくなった喪失感と、まだまだ厳しいインドの猛暑。

元々帰国を予定していたこの2学期と3学期の間に私も一時帰国できればなーと思い始めたところでした。

 

よし、では帰国の準備を!と思い調べ始めたものの、改めて、「あ、国際線ないのか。」ということに気付きます…。

今まで領事館や日本人会から特別便の情報は来ていましたが、値段が高額(20万以上)なのと、試験の動向がはっきりしていなかったので、無視…。

はてさてどうしたものかなと、一応5月19日にムンバイ領事館に連絡してみると、「現在、臨時便の予定はありません。」とのこと。

うーん、気付いたときには、臨時便なし。ちーん。

 

しかしその翌日には、5月27日にエア・インディアが、在日インド人をインドに迎えに行く便に乗れるかも!との情報。また決まり次第正式連絡がくるとのことでした。

状況は刻一刻と変化するものですね。

(その他にも韓国人向けの韓国経由の便に便乗できるかもと情報ありましたが、こちらは結局NG)

 

その後話はトントン拍子に進み、22日の時点で、エア・インディア27日、ムンバイ発成田着が決定。(まだ国内線も25日再開の状況なので、タクシー移動できるムンバイ発は非常に助かります。)

しかも宏先生、ひでこ先生と同じ便で帰国できるので安心感が違います。

 

マハーラーシュトラ州は一応まだロックダウン中(人々は既に動き出していますが…)、タクシー移動に関しても警察からの特別な許可証が必要です。

大学ゲートもまだ外部の人は規制がかかっているため、大学側にも許可書の申請。

 

約1週間前に出発したベトナム組は、大学から車で30-40分程度のプネー空港に行くまでにもその許可証を5回もチェックされたとのこと。

車で3時間程度かかるムンバイ空港までは、30回チェックされてもおかしくありません…どんな厳しいチェックが待っているのかと気合が入ります。

先生と人数分の許可書のプリントを用意し、全ての書類を握りしめて準備万端にしておきます。

 

さて当日になり、寮のみなと挨拶もして車に乗り込みます。

道中、高速に乗ったり、ゲートを通過したりと数々のチェックポイントがあります。警察官らしき制服を来ている人もいます。さあ、こちらはいつでもチェックへの準備万端です。

しかーーーーし…結局「1度も書類をチェックされることなく」空港へ到着、順風満帆、非常に有り難いことですが、あれ???と拍子抜けの気分でもあります、笑。

 

とてもとても順調な旅路であったので、空港内に入れるまであと2-3時間。外の椅子に座り、スナックを食べて腹ごしらえ。

ニュースやインド舞踊を観ながら時間までまったりと過ごします。

 


その後は、空港に入るときに簡単な体温チェックや問診がありましたがそちらもスムーズにクリア。

なぜか集団のインド人の若者達が今回の臨時便のチケットをもって一緒に並んでいましたが、ゲートでストップがかかっていました…。

なぜチケットを購入してしまったのか、購入できてしまったのか、なぜここにいるのか…色々なことが謎のベールに包まれたままです笑。

中にはゲートを通過できているインドの方も見えたので、これらの方はVIP!?または領事館等の関係者かなと…。

 

基本的にまだ国際線は閉まっているので、ガラガラの空港を同じ臨時便に載る人達がチェックインカウンターの方へ移動して手続きを行います。

サービスでマスク2枚、手指消毒剤の小さいパック3個、フェイスシールドを受け取ります。

 

機内へ入ると、既に機内食2食分がビニール袋に入れられて椅子に置いてある状態でした。

水は500mlのペットボトルが1人4本付いています。

前情報で、「水も食事も一切ない」とも聞いていたので、これは有り難い限りです。午前1時の深夜便だったので、明日朝にとっておき、ひとまず就寝。

横になって眠れるくらいに席はガラガラです。


 飛行機は予定より1時間以上早く着陸。

着陸後は、噂のPCR検査です。

こちらでは帰国後の滞在先や、自主隔離についてのガイダンスがあります。

スタッフさんも慣れていて、とてもスムーズです。


本番の検査では、長い綿棒のようなスティックで、鼻孔の奥をグリグリ。

鼻粘液を採取して、培養のための専用の試験管に入れられていきます。

検査結果は2日後の朝とのこと。

 

ひとまず空港内の一時待機場所へ誘導されます。

そこにあったものは…噂の段ボールベッド…「あー、これか!」と少し興奮します…。

軽食も用意されており、久しぶりにコンビニおにぎりを食べます。

1個目のおにぎりの美味しいこと、美味しいこと…!日本のお米に日本の梅干しーーー!!!(この時はまだこのおにぎりを2日間食べ続けることになるとは気付いていません、笑)


 

その日(結果前)にレンタカー等での待機先である自宅やホテル移動も認められています。が、今回はレンタカーが出払っておりカウンター予約ができず。

※PCR結果前にレンタカーを貸してくれるのはニッポンレンタカーのみで、その他の会社は検査結果が陰性と分かったあとに利用が可能とのことでした。

 

検査結果が出るまでは政府指定の待機場所になっている東横インへもステイできるとのことで、私たちもそちらへの宿泊する事に。

東横インへは、内側をビニールで完全包囲された専用バスにて移動。


ホテル到着後は、エレベーターのボタンにも一切触らないようにとのことで、何にも触れず部屋まで到着します。

一旦部屋に入ると、ドアノブに掛けられた1日3食のお弁当を受け取る以外は一切ドアも空けられません。


しかし、こちらはインドからの帰国。

猛暑からの解放、日本のテレビ番組、久々の湯船、日本のお弁当、オンラインでのヨーガ講義に参加、、、日本の快適ライフを満喫です。


割とあっという間の2泊を終了、3日目の朝にはPCR「陰性」の連絡。

お世話になった東横インを後にして、成田から東京まで晴天の中ドライブです。

先生方とは東京でお別れし、あとは最後の難関名古屋までの長距離運転です。

途中若干の睡魔に襲われそうになりながらも、こまめな休憩、景色を愉しみ(うーん、富士山見つけられず…)、歌を歌ってみたり、カパーラヴァーティをしてみたりと、眠気を撃退。

朝の成田出発から約9時間、無事に名古屋の営業所へ到着。

27日のプネー寮出発から、29日に名古屋自宅到着です。


さてこれからある程度の休暇があるので、自宅待機しながら行動計画徐々に立てて行こうと思います。

 

それにしても日本のお風呂は最高、食事はどれも美味しいですね。

3学期の始まりまで、エネルギーチャージしていこうと思います。