インド留学記 コロナ禍 日本への一時帰国編
皆さん、いつのまにか「日本からこんにちは」となりました。
インドでも、国家レベルでのロックダウンは終了方向。
6月からは州レベルでのロックダウン管理に変更予定です。
5月25日からは国内線も一部再開しています。
ただマハーラーシュトラ州は、ムンバイのスラム街において感染止まらず、感染数増加中。プネー大学もこのマハーラーシュトラ州に位置します。
先日「卒業学年以外の生徒は、2学期の試験は、レポートなどの課題提出と、一学期の試験の点数にて考慮。」とのお達しがきたので、1年目の私たちは試験なしでの2学期パスが決定。
3学期開始はおそらく8月頃の開始。
ドイツ、ブータンは4月の段階で政府要請のもと早々に帰国。
ベトナム組は5月中旬に政府のチャーター便によって、13人が一気に帰国。
現在寮に残るのは、アフガニスタン10名ちょい、イランなど数名、バングラディッシュ2名、チベット1名、ネパール2名、タイ1名…といったところです。
寮の人数はざっと3分の1ぐらいになっているかなと思います。
タイの子も6月に帰国便が決定。
元々アフガニスタンなどは治安が悪いので、アフガン組は帰国について検討していないとのこと。
元々帰国を予定していたこの2学期と3学期の間に私も一時帰国できればなーと思い始めたところでした。
よし、では帰国の準備を!と思い調べ始めたものの、改めて、「あ、国際線ないのか。」ということに気付きます…。
今まで領事館や日本人会から特別便の情報は来ていましたが、値段が高額(20万以上)なのと、試験の動向がはっきりしていなかったので、無視…。
はてさてどうしたものかなと、一応5月19日にムンバイ領事館に連絡してみると、「現在、臨時便の予定はありません。」とのこと。
うーん、気付いたときには、臨時便なし。ちーん。
状況は刻一刻と変化するものですね。
マハーラーシュトラ州は一応まだロックダウン中(人々は既に動き出していますが…)、タクシー移動に関しても警察からの特別な許可証が必要です。
大学ゲートもまだ外部の人は規制がかかっているため、大学側にも許可書の申請。
約1週間前に出発したベトナム組は、大学から車で30-40分程度のプネー空港に行くまでにもその許可証を5回もチェックされたとのこと。
道中、高速に乗ったり、ゲートを通過したりと数々のチェックポイントがあります。警察官らしき制服を来ている人もいます。さあ、こちらはいつでもチェックへの準備万端です。
とてもとても順調な旅路であったので、空港内に入れるまであと2-3時間。外の椅子に座り、スナックを食べて腹ごしらえ。
ニュースやインド舞踊を観ながら時間までまったりと過ごします。
なぜチケットを購入してしまったのか、購入できてしまったのか、なぜここにいるのか…色々なことが謎のベールに包まれたままです笑。
基本的にまだ国際線は閉まっているので、ガラガラの空港を同じ臨時便に載る人達がチェックインカウンターの方へ移動して手続きを行います。
機内へ入ると、既に機内食2食分がビニール袋に入れられて椅子に置いてある状態でした。
水は500mlのペットボトルが1人4本付いています。
前情報で、「水も食事も一切ない」とも聞いていたので、これは有り難い限りです。午前1時の深夜便だったので、明日朝にとっておき、ひとまず就寝。
着陸後は、噂のPCR検査です。
スタッフさんも慣れていて、とてもスムーズです。
本番の検査では、長い綿棒のようなスティックで、鼻孔の奥をグリグリ。
検査結果は2日後の朝とのこと。
軽食も用意されており、久しぶりにコンビニおにぎりを食べます。
その日(結果前)にレンタカー等での待機先である自宅やホテル移動も認められています。が、今回はレンタカーが出払っておりカウンター予約ができず。
検査結果が出るまでは政府指定の待機場所になっている東横インへもステイできるとのことで、私たちもそちらへの宿泊する事に。
割とあっという間の2泊を終了、3日目の朝にはPCR「陰性」の連絡。
お世話になった東横インを後にして、成田から東京まで晴天の中ドライブです。
先生方とは東京でお別れし、あとは最後の難関名古屋までの長距離運転です。
途中若干の睡魔に襲われそうになりながらも、こまめな休憩、景色を愉しみ(うーん、富士山見つけられず…)、歌を歌ってみたり、カパーラヴァーティをしてみたりと、眠気を撃退。
朝の成田出発から約9時間、無事に名古屋の営業所へ到着。
さてこれからある程度の休暇があるので、自宅待機しながら行動計画徐々に立てて行こうと思います。
それにしても日本のお風呂は最高、食事はどれも美味しいですね。
3学期の始まりまで、エネルギーチャージしていこうと思います。