室町時代の征夷大将軍
https://study-z.net/6998 【室町時代の征夷大将軍】
征夷大将軍の力の弱体化
室町時代では足利尊氏が征夷大将軍となって室町幕府を開き、以降足利家が征夷大将軍を継いできました。何度もキーワードにしたとおり、鎌倉幕府が誕生して以降「征夷大将軍=幕府のトップ」ですが、ただ征夷大将軍が日本の全てを直接治めていたわけではないのです。
室町時代においては各地の支配を守護大名に任せており、そして各地の守護大名の上に立つべき存在が征夷大将軍でした。しかし、室町時代が始まって130年も経過した頃、この権力形式が崩れてきたのです。その原因は征夷大将軍の弱体化でした。
元々力を持つ守護大名に対して征夷大将軍の力が弱くなれば、当然守護大名は征夷大将軍に従わなくなるでしょう。このため各地で守護大名同士が争っても征夷大将軍はそれを止める術がなく、また征夷大将軍を補佐するはずの管領も反発するようになりました。
下剋上の始まりと戦国時代の幕開け
こうした争いが発端となって起こったのが1467年……「ひとよむなしい」の語呂覚えが有名な応仁の乱なのです。応仁の乱によって足利家の征夷大将軍としての力はさらに弱体、抑えられない守護大名は各地で争いを起こし、またその守護大名まで部下に狙われる事態が起こるようになりました。
これが下剋上であり、すなわち戦国時代の幕開けです。とは言え、征夷大将軍の官職そのものではなく足利将軍家の力が弱体化したのが正確な表現でしょう。このため、室町幕府が滅亡した後の戦国時代が終わり、江戸幕府が開かれた時には徳川将軍家……つまり征夷大将軍が再び力を持つことになります。
ちなみに、室町幕府を滅ぼしたのは織田信長です。足利義昭を奉じて入京した織田信長は、足利義昭が征夷大将軍に就任するとやがて対立することになってしまい、征夷大将軍・足利義昭を京都から追放、この時点で室町幕府が滅亡したとされています。
https://honcierge.jp/articles/shelf_story/5777 【室町幕府の征夷大将軍から考える、リーダー像】より
足利将軍と室町幕府―時代が求めたリーダー像 (戎光祥選書ソレイユ1)
著者は「室町幕府の将軍はだれも幸せになっていないし、現代を生きるハウツー本として重宝されるような立派な生き方をした将軍も皆無」と主張。
同じようなタイプのリーダーを輩出している、日本の現代社会との共通性を指摘しています。
徳川将軍家十五代のカルテ (新潮新書)
「力で支配する」武士のあるべき姿を見せることができなかった室町幕府は、「出来損ない」と低く評価されがちです。しかし実は、鎌倉幕府や建武の新政の失敗例を踏まえたうえで、北朝天皇家を執事の立場で支えながら、「担がれることに特化したリーダー」に徹するという省エネ的な形態で、200年以上にわたって政権を維持していました。
こうした視点であらためて考察すると、「王権簒奪を企てた」と言われる3代将軍の義満も、現天皇家の治世が続くよう尽力していたと正反対の見方ができますし、良好な公武関係を構築した尊氏の弟の直義や2代将軍の義詮(よしあきら)の存在感の大きさも見逃せません。
歴代徳川将軍の健康状態は?
著者は、直木賞候補に何度もノミネートされている一方で、整形外科医でもある篠田達明。初代家康から15代慶喜まで、徳川将軍15人の死因や養生法を最新医学の立場で診断しています。
歴代征夷大将軍総覧 (幻冬舎新書)
彼らがどのような健康状態にあり、病気になったときに江戸城の医師団がどのような治療を施したかを、面白エピソードを交えながら年代順に紹介しています。
70歳を超える長寿を誇った初代・家康は、鯛の天ぷらによる食中毒で死んだというのが通説ですが、実は胃癌を患っていたようで、腹中のしこりをサナダ虫と誤診して強力な薬を飲みすぎたことが、死を早めたのではないかと診断しています。
また推定身長が子供並みの124センチしかなかった5代・綱吉を特発性、あるいは生長ホルモン分泌異常による低身長症と推定。彼が200回に及ぶ儒学の講義をおこなったのは、このコンプレックスを払拭するためだったと精神医学の視点でも分析しています。
さらに徳川家の将軍のなかでも最長寿の77歳まで生きた15代・慶喜が、外出の際にも必ず自家製の弁当を持参するなど食生活に気を配り、日々の運動も欠かさなかったというエピソードにも注目。健康長寿を目指す現代人にとっても参考になるでしょう。
征夷大将軍を学ぶ入門編として最適の一冊!
初代の大伴弟麻呂から、徳川15代将軍の慶喜まで総計48人の征夷大将軍の経歴や人となり、在職中に起きた大きな事件などを年代順に紹介しています。
「征夷大将軍とは何か?」を知りたい人にとって、入門編としておすすめできる一冊です。
坂上田村麻呂は、降伏してきた蝦夷の族長・アテルイの助命を嘆願したという美談で知られますが、「単純な英雄ではなかった」として、田村麻呂側と朝廷側それぞれの複雑な事情を紹介しています。
鎌倉幕府でナンバー2に相当する執権の座についた北条氏が、頼朝以来の源氏の血筋が3代で絶えた後、なろうと思えば将軍になれたのにならなかったのはなぜかという素朴な疑問についても、わかりやすく解説しています。
また、南北朝の動乱さえ起きなければ、天皇と将軍の両方を経験するという日本史上に例を見ない存在になっていたかもしれない成良親王や、候補者4人の中からくじ引きで将軍に選ばれた足利義教など、異色の将軍たちのエピソードも興味深く読むことができるでしょう。