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源法律研修所

都市封鎖をきっかけに考えたこと〜日本の常識は世界の非常識〜

2020.06.05 22:36

1 西洋の都市

 都市封鎖(ロックダウン)が法的にできるかどうかについては、すでに論じた。

 仮に法律が改正されて、ヨーロッパのような都市封鎖が法的に可能になったとしても、実際にこれを行うことは極めて困難であって、警察だけでは不可能だろう。というのは、ヨーロッパと日本では都市の成り立ち・構造が全く異なるからだ。


 古代ギリシャ・ローマも中世ヨーロッパも、都市の周囲に非常に高くて堅牢な城壁を設けて外敵の侵入を防いでいる。侵入されたら皆殺し(ジェノサイド:集団殺戮)が行われ、投降が認められたとしても市民は奴隷にされ、女は陵辱されて奴隷にされるからだ。このような都市を城郭都市という。

 しかも、城門を突破されて侵入されたら一巻の終わりなので、城門の数を極力少なくしている。したがって、現代でも、都市封鎖は容易だ。現代では人口が増加して城壁の外にも住居があるが、都市同士を結ぶ街道を封鎖すれば、都市封鎖を実現できる。


 参考までに、下記の上図は、古代ギリシャの都市国家のイメージ図。中図は、フランスのカルカソンヌ。下図は、ドイツのネルトリンゲン。

 これに対して、日本の城は、あくまでも武士が立て籠(こ)もって敵を迎え撃つための砦(とりで)であって、城壁の中に城主の居宅や戦時における武士の居住区はあっても、庶民の居住区はない。しかも、日本の城は、城門を突破されることを前提に、幾重にも罠を仕掛けて侵入した敵を殲滅(せんめつ)するように設計されている点が、西洋の城郭都市とは異なる。

 そして、庶民はもちろん、武士の多くも、城の周辺に住んでいる。平安京を真似て碁盤の目のような街路を備えた小京都と呼ばれる城下町もあるが、その周囲には壁はない。ベルト地帯である東京や大阪を見れば明らかだが、無秩序に都市が発展しているため、都市封鎖は事実上困難だ。実際に都市封鎖を実施しようとしたら、膨大な人員を必要とするだろう。警察官だけでは到底足りない。


 西洋へ話を戻そう。西洋の城郭都市は、都市の人口が増加するにつれて城壁を外へ外へと二重三重に拡張させた。

 しかし、大砲の登場によって城壁が存在意義を失ったため、城壁は取り壊されて道路になった。パリのような西洋の都市には、旧市街地を中心に二重三重の同心円状の環状道路があるのはそのためだ。

 なお、壁や堀を巡らした王侯貴族の居宅をcastle:キャッスルと呼ぶことがあるが、これは日本の城のような砦ではなく、単なる宮殿・館にすぎず、大砲の前には無力であって、軍事的な意味はない。


2 市民と女性差別

 ところで、40年ぐらい前にネー・バンサドン著・池田節雄訳『女性の権利ーその歴史と現状ー』(白水社文庫クセジュ)を読んだことがある。著者は、語学堪能なフランス女性弁護士で、古代から現代に至る女性の地位の変遷を簡潔に述べている点は良いのだが、何故、女性が差別されてきたのかという肝心な理由については、要するに男が悪いという程度の見識しかなく、読んで損をした思い出がある。

 では、女性が差別されてきた理由は何か。


 西洋の城郭都市を防衛したのは市民だ。市民である成人男性は、己の命を賭けて、愛する妻や子供、親兄弟、郷土を守るために戦う以上、戦うか降伏するか和睦するかという政治的決断をするのも市民=兵士=成人男性ということになる。


 何度も言うようだが、戦に負けたら殺されるか奴隷にされるわけだから、自ら命を賭けて戦うかどうかが政治的権利を享有できるかどうかの分水嶺になるのは至極当然であって、命を賭けて戦わない女性・未成年者・奴隷に政治的権利がなかったのは、当時としては差別というよりも合理的区別だったのだ。これが長年女性が差別されてきたとされる本当の理由だと考える。


 なお、この「市民=兵士」は、己の命よりも大切なものがあるという崇高なる価値観を前提としており、西洋思想の本流に脈々として受け継がれている。「一人の命は地球よりも重い」(1977年ダッカ日航機ハイジャック事件で、福田赳夫総理が述べた言葉。テロリストの要求に応じて、超法規的措置として、身代金を支払い、収監されていたメンバー等を釈放した。)という愚かな考えなど微塵もない。


3 国民と男性差別

 そして、近代になって国民国家が誕生すると、かつての市民が城壁を守ったように、国民が国境を防衛することになった。つまり、国民=兵士=成人男性となったわけだ。


 ナポレオン・ボナパルトがヨーロッパを破竹の勢いで支配下に置くことができたのは、ナポレオン自身の卓越したリーダーシップや砲兵出身のナポレオンが砲兵を巧みに活用したことだけでなく、いち早く国民国家を成立させたフランスでは国民を無尽蔵に徴兵できたことが大きい。

 当時のドイツやイタリアなどは都市国家のままで国民国家になっておらず、城郭都市の枠を越えて戦うためには傭兵を使うしかなかった。傭兵は、烏合の衆にすぎないため、集団的軍事行動ができないから、常日頃から軍事訓練を受けた常備軍の敵ではなかったし、また、傭兵を雇うにも限度があったため、召集令状一枚で国民を徴兵できるフランスとの間には、圧倒的兵力差があったのだ。


 その後、男女平等思想に基づいて、女性にも参政権が認められるようになったのは周知の通りであるが、多くの国では女性には兵役義務が課されていない

 しかし、国民=兵士である以上、女性が政治的権利を享有できるためには、女性も自らの命を賭けて戦う兵士になる必要があると考えられるようになるのも自然な流れと言える。つまり、スイスやイスラエルのように、女性にも兵役義務を課す国民皆兵制を採るのが筋だということになる。

 成人男性だけに兵役義務を課して、成人女性に兵役義務を課さずに政治的権利の享有を認めることは、成人女性を優遇する逆差別なのだ。

 女性差別に抗議するフェミニスト団体が「男性と同様に、女性にも兵役義務を課せ!」と主張していないのは、男女平等思想を隠蓑にした単なる利権団体である証拠だ。


 なお、現代国家において、徴兵制を採っている国は少ない。これは国民=兵士を否定するものではなく、技術的な理由によるものだ。

 すなわち、昔は、下手な鉄砲数打ちゃ当たるで、極論すれば、上官の命令に従って引き金を引けさえすれば誰でも兵隊になれたので、徴兵制を採っても問題がなかったのだが、現代兵器はハイテク兵器であって、現代兵器を迅速かつ正確に運用できるためには、一定の知的レベルが必要なので、徴兵制よりも志願兵制の方が優れているからにすぎない。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B4%E5%85%B5%E5%88%B6%E5%BA%A6


4 憲法第18条と徴兵制

 日本国憲法第18条は、「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」と定め、「人間の尊厳に反する非人道的な自由の拘束の廃絶をうたっている。」(芦部信喜著『憲法』(岩波書店)179頁)。

 ここに「奴隷的拘束」とは、「自由な人格者であることと両立しない程度の身体の自由の拘束状態(たとえば、戦前日本で鉱山採掘などの人夫について問題とされたいわゆる「監獄部屋」)、「その意に反する苦役」とは、広く本人の意思に反して強制される労役(たとえば、強制的な土木工事への従事)を言う。」(前掲・芦部179頁・180頁)。


 では、徴兵制は憲法第18条に違反するのか。

 日本国憲法第9条を根拠に(宮沢俊義著『憲法II』(有斐閣)335頁)、又は、明治憲法第20条が兵役義務を規定していたのに、日本国憲法は兵役義務を課していないことを理由に、徴兵制は憲法第18条に反すると解するのが通説だ。芦部信喜も、「徴兵制は「本人の意思に反して強制される労役」であることは否定できないであろう。」と述べている(前掲・芦部180頁)。


 この点、政府も、次のように答弁している。

 「一般に、徴兵制度とは、国民をして兵役に服する義務を強制的に負わせる国民皆兵制度であって、軍隊を常設し、これに要する兵員を毎年徴集し、一定期間訓練して、新陳交代させ、戦時編制の要員として備えるものをいうと理解している。このような徴兵制度は、我が憲法の秩序の下では、社会の構成員が社会生活を営むについて、公共の福祉に照らし当然に負担すべきものとして社会的に認められるようなものでないのに、兵役といわれる役務の提供を義務として課されるという点にその本質があり、平時であると有事であるとを問わず、憲法第十三条、第十八条などの規定の趣旨からみて、許容されるものではないと解してきている。  

 このような政府の考え方は、社会情勢等の変化によって変わるものではなく、平成二十七年八月四日の参議院我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会における御指摘の中谷防衛大臣(当時)の徴兵制度に係る発言についても、この趣旨を述べたものである。」(令和二年二月十八日受領 答弁第四七号  衆議院議員階猛君提出日本国憲法第十八条に関する質問に対する答弁書。太字:久保)

http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b201047.htm


 しかし、憲法第9条は、自衛戦争を否定していない。また、前述したように、国民国家において国民=兵士である以上、憲法に兵役義務が明記されているかどうかにかかわらず、兵役は国民の自律的義務であって、「苦役」とは異なる。これが西洋の伝統的な考え方であって、世界の常識だ。我が国も1979年に批准した「市民的及び政治的権利に関する国際規約」第8条第3項も、兵役は「強制労働」に含まれないと明記しているからだ。

 「日本の常識は世界の非常識」と言われることが多いが、ご多分に漏れず「日本の憲法学の通説は世界の非常識」なのだ。

 憲法は、法学部だけでなく、一般教養科目として教えられているが、果たして国民=兵士を理解している学生がどれだけいるのだろうか。日本国民を腑抜けにして、平和ボケに陥れ、安全保障を他人事のように思わせている憲法学者の罪は重い。


cf.市民的及び政治的権利に関する国際規約

第八条

1 何人も、奴隷の状態に置かれない。あらゆる形態の奴隷制度及び奴隷取引は、禁止する。

2 何人も、隷属状態に置かれない。

3

(a) 何人も、強制労働に服することを要求されない。

(b) (a)の規定は、犯罪に対する刑罰として強制労働を伴う拘禁刑を科することができる国において、権限のある裁判所による刑罰の言渡しにより強制労働をさせることを禁止するものと解してはならない。

(c) この三の適用上、「強制労働」には、次のものを含まない

(i) 作業又は役務であって、(b)の規定において言及されておらず、かつ、裁判所の合法的な命令によって抑留されている者又はその抑留を条件付きで免除されている者に通常要求されるもの

(ii) 軍事的性質の役務及び、良心的兵役拒否が認められている国においては、良心的兵役拒否者が法律によって要求される国民的役務

(iii) 社会の存立又は福祉を脅かす緊急事態又は災害の場合に要求される役務

(iv) 市民としての通常の義務とされる作業又は役務

https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kiyaku/2c_004.html


 私は、軍国主義者でもなければ、徴兵制を実施すべきだと考えているわけでもない。ただ、真実を探求すべき学者が、上記のことを百も承知なのに、己の政治的信条に基づいて真実を歪めて、世界の常識に反することをあたかも真実であるかの如く、無垢な学生たちを洗脳していることに怒りを覚えているだけだ。

 自治体職員研修は、大学とは異なり、愚見を述べる場ではないので、通説に従って講義していることも申し添えておく。