五徳・知・信・仁・勇・厳
撫子や学校門の外に咲く 高資
門外に撫子の咲く五徳かな 高資ー 場所: 足利学校
https://www.jbgroup.jp/link/special/233-1.html 【士気向上からリーダーの心得まで『孫子』に学ぶ組織のトランス フォーム】 より
『孫子』とはそもそも、どのような古典なのか
みなさんは、『孫子』という古典をご存じでしょうか。
たとえば、身近なところでいいますと、この『孫子』はNHKの大河ドラマのなかで結構取り上げられています。昨年放映した「おんな城主 直虎」や、数年前の「軍師 官兵衛」のなかで、井伊直虎や黒田官兵衛、竹中半兵衛などの登場人物たちが、『孫子』を勉強したり、引用したりしているーそんなシーンを覚えている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
この本、もともとは今から約2500年ほど前に活躍した孫武という将軍が書いたと言われる兵法書、つまり戦いのノウハウの本なのです。
当時の中国は春秋時代と呼ばれ、周という王朝のもとで晋、斉、楚、秦、宋、魯、呉、越といった国々が覇権を争っていた戦乱の時代でした。そんな状況のなか、孫武は呉の将軍として活躍しました。その様子は、歴史書の『史記』のなかで次のように描かれています。
ー孫武は斉の国の出身である。兵法に通じていたので、呉王闔閭(こうりょ)に召された。闔閭は孫武に尋ねた。
「そなたの著した兵法書十三篇はすべて読んだ。ついては、試しにひとつ兵を訓練して見せてはくれないか」
「承知しました」
「女でもできるかな」
「大丈夫です」
こうして、宮中の美女百八十人をかりだして練兵することになった。孫武はまず隊を二つに分け、王の寵姫(ちょうき)二人をそれぞれの隊長に任命する。そして全員に矛を持たせ、
「どうだお前たち、自分の胸、左手、右手、背中がわかるか」
「はーい」
「では、前と言ったら胸を見るのだぞ。同じく左といったら左手、右と言ったら右手。後といったら後を見るのだ。よいか」
「はーい」
号令を女たちに伝えると、孫武は、刑罰に使うマサカリを持ちだした。そして号令が全員に行き渡るよう再三説明を繰り返した。
ところが、いざ太鼓を鳴らして、「右」と言うと、女たちは笑い崩れてしまう。孫武は、
「号令が理解しにくかったのかもしれない。これは、わたしが悪かった」
と言うや、前と同じように号令の説明を何度も繰り返した。ところが、ふたたび太鼓を鳴らして、「左」と命じても、またもや女たちはケラケラと笑い崩れてしまう。孫武は、
「さきほどはわたしの落度であったが、こんどはそうではない。全員が号令をよく理解しているはずだ。号令通りに動かないのは隊長の責任である」
と言って、手にしたマサカリで二人の隊長を斬り捨てようとする。呉王は宮殿のテラスから観覧していたが、寵姫が斬られそうになるのを見て、あわてて伝令をとばした。
「そなたのすぐれた訓練ぶりはすでに見た。その二人の女がいなくては、わしは食事もノドを通らない。どうか斬らないではもらえまいか」
しかし孫武は、
「この部隊の将はわたしです。将が軍にあるときは、君命たりともお受けできないことがあります」
と言って二人の隊長を斬った。そして、寵姫に次ぐ美人二人を後任の隊長に命ずる。引き続き太鼓を叩いて号令をくだすと、今度は左、右、前、後と号令通りに一糸乱れぬ動きだ。孫武は王に伝令を出して報告した。
「訓練はすでに完了しました。よろしければ、こちらに来てお試しください。王が命令されれば、兵は火の中、水の中でも飛び込みます」
「いや、それには及ばない。そなたは宿舎に戻ってどうか休まれよ」
「どうやら王は兵法の理論はお得意ですが、実際に活用なさるのは苦手なようですな」
こうして闔閭は孫武が用兵に優れていることを知り、彼を将軍にとりたてた。呉はその後、西は強国楚を破って郢を攻略し、北は斉、晋を脅かして諸侯の間に名を高めたが、これはひとえに孫武の力によるものだったー。
後世への『孫子』の驚くべき影響
孫武については、残念ながらこれ以上の詳しいことがわかってはいません。しかし、こんな著者の手で生まれた兵法書が、現代に至るまで驚くべき影響力を持ち続けているのです。
たとえば歴史的な偉人たちでいえば、日本でも人気の『三国志』の英雄、曹操や諸葛孔明、司馬仲達の愛読書が『孫子』なのです。さらに呉の[1]孫権一族は祖先が「孫武らしい」とまで歴史書には書かれています。つまり『三国志』の時代というのは、お互いが『孫子』をベースにしながら戦っていた時代だったのです。
以後も中国では、基本的に将軍や軍人の基本図書として『孫子』は読まれつづけ、ちょっと面白いところでは、陽明学の[2]王陽明、そして中華人民共和国を建国した毛沢東なども愛読書にしています。
さらに日本でいえば、毛利元就や「風林火山の旗(『孫子』の言葉がもとになっています)」で有名な戦国武将の武田信玄、徳川家康といった戦国武将たち。さらには明治維新の元勲である西郷隆盛、日露戦争の東郷平八郎や秋山真之といった錚々たる偉人たちが『孫子』を座右の書としていきました。
さらに欧米でいいますと、1991年からの湾岸戦争地上戦において、実質的な多国籍軍総司令官を務めたノーマン・シュワルツコフが、『孫子』に基づいて戦略を練ったと公言したのは有名な話です。さらに、2003年からのイラク戦争における「衝撃と畏怖」作戦も『孫子』からアイデアをとったものでした。
もちろん、ビジネスにおいても、その影響力は広く華々しいものがあります。たとえば日本では昭和40 年頃に、経営者の間に「孫子ブーム」が起こり、アメリカでも1980年初頭にやはり『孫子』の英訳がベストセラーの仲間入りをしています。
『孫子』から影響を受けた著名な経営者をあげていきますと、日本では上山保彦(住友生命)、中條高徳(アサヒビール)、孫正義(ソフトバンク)、越智直正(タビオ)、清水喜彦(SMBC日興証券)などの方々が有名です。
特に孫さんは、自身の「孫」姓と孫子の「孫」が同じなので、それをかけあわせた「孫の二乗の兵法」なるものを作り、これがわがソフトバンクのビジネスの原則であると昔、みずから雑誌に書いたことまであったりします。
また、アメリカでは近年、特に経営者たちに『孫子』が好まれています。とりわけコンピュータ業界やIT業界には『孫子』の愛読者が多く、ビル・ゲイツ(マイクロソフト創業者)、ラリー・エリソン(オラクル創業者)、マーク・ベニオフ(セールス・フォースドットコム会長)など、普段から『孫子』好きを公言している人物は少なくありません。
ここでは、そんな『孫子』の教えの中から、特集のテーマである「組織のトランスフォーム」に関わる、将軍、つまりリーダーの条件、そして強い組織の作り方についての知恵をくみ出してみたいと思います。
将軍に必要な器量とは
まずは将軍、つまりリーダーの条件について。『孫子』には、こうあります。
「将」ー知謀、信義、仁慈、勇気、威厳など将軍の器量(将とは、智、信、仁、勇、厳なり)【始計篇】
もう少し説明を加えますと、『孫子』は次の要素がリーダーには必要だと考えていました。
知謀ー先を見通し、謀略を駆使できること
信義ー部下から信服されること
仁慈ー部下を思いやること
勇気ー実行力
威厳ー部下から恐れられること確かにこの五つは、現代の組織のリーダーにもそのまま必須となる条件でしょう。そして、この五つの条件は、次のように二つにわけることができます。
【主に組織をまとめる内向きの力】
信義ー部下から信服されること
仁慈ー部下を思いやること
威厳ー部下から恐れられること
【主に敵に勝つための外向きの力】
知謀ー先を見通し、謀略を駆使できること
勇気ー実行力
もちろん、どれも将軍には必須の要素であるのは論を俟ちませんが、この五つ、バランスよく備えるのが難しいという指摘があるのです。
ー おおよそ智ある人は勇ならず、勇ある人は智ならず、仁なれば厳ならず、厳なれば仁ならず、四つの徳備わりても信また備わり難し(『孫子国字解』荻生徂徠)
江戸時代の儒者である荻生徂徠の言葉です。この一文をくだいて訳すと、こんな感じになります。
「頭のいい人は実行力に欠ける部分があるよね。逆に体育会系だと、ちょっと頭が足りなかったりするよね。優しい人は厳しくなりきれないし、厳しい人は優しさにかけるうらみがあるよね。四つの徳が備わっても、部下から信頼されるのは難しいよね・・・・」
確かに、特に「智と勇」「仁と厳」は相互にやや矛盾したところがあるので、誰しもどちらかに偏りがちになるかもれません。
さらに、この五つは、どれか一つだけ持ちすぎても問題を起こしてしまう、と『孫子』は指摘するのです。
ー 将帥には、おちいりやすい五つの危険がある(将に五危(ごき)あり)
一、いたずらに必死になれば、討死にとげるのがおちだ(必死は殺さるべきなり)
二、助かろうとあがけば、捕虜になるのがおちだ(必生は虜にさるべきなり)
三、短気で怒りっぽければ、敵の術中にはまってしまう(忿速は侮らるべきなり)
四、清廉潔白では、敵の挑発にのってしまう(廉潔は辱しめらるべきなり)
五、民衆への思いやりを持ちすぎると神経が参ってしまう(愛民は煩さるべきなり)【九変篇】
この指摘、実は「智、信、仁、勇、厳」を一つだけ持ちすぎたさいの問題をあげているのです。
一、「勇」のあり過ぎる人は、必死になりすぎてしまう、すると討ち死にしてしまう。
二、「智」のあり過ぎる人は、自分の身の安全を考えてしまう、すると捕虜になる。
三、「厳」のあり過ぎる人は、感情面を刺激されて、敵の術中にはまってしまう。
四、「信」のあり過ぎる人は、清廉潔白にこだわり過ぎて、敵の挑発に黙っていられない。
五、「仁」のあり過ぎる人は、民衆を思いやり過ぎて、神経をやられてしまう―
つまり、「知・信・仁・勇・厳」はバランスよく完備するべきなのですが、一つだけ突出し過ぎても負ける原因になってしまうのです。世の中に、名将や名勝負師といわれる人があまりいない理由はこの点にもあるのかもしれません・・・・。
「信」と「厳」
さて、将軍に必要な五つの要素のうち、組織のトランスフォームを実現するために、特に何が必要なのかといえば、それは「信」と「厳」に他なりません。部下が「この人ならついていく」と思う「信」、そして「ついていかないとマズイ」と思わせる「厳」がないと、組織の変革といった事象はうまく行きにくいからなのです。
ではまず、リーダーが「信」を得るためにはどうすればよいのか。『孫子』にはこんな一節があります。
ー将軍にとって、兵士は赤ん坊と同じようなものである。そうあってこそ、兵士は深い谷底までも行動をともにするのだ。将軍にとって、兵士はわが子と同じようなものである。そうあってこそ、兵士は喜んで生死を共にしようとするのだ。(卒を視ること嬰児のごとし、故にこれと深谿に赴くべし。卒を視ること愛子のごとし、故にこれと倶に死すべし)【地形篇】
ある種、「仁」の徹底が「信」を生むというのです。ただし、「仁」ばかり強すぎてしまうと、組織は緩みます。
ー兵士が十分なついていないのに、罰則ばかり適用したのでは、兵士は信服しない。信服しない者は使いにくい。すっかりなついているからといって、過失があっても罰しないなら、これもまた使いこなせない。したがって、兵士に対しては、温情をもって教育するとともに、軍律をもって統制をはからなければならない。ふだんから軍律の徹底をはかっていれば、兵士はよろこんで命令に従う(卒、いまだ親附せざるに而もこれを罰すれば、則ち服せず、服せざれば則ち用い難きなり。卒、親附せるに而も罰行われざれば、則ち用うべからざるなり。故にこれに令するに文を以ってし、これを斉うるに武を以ってす。これを必取と謂う。令、素より行なわれて、以ってその民を教うれば、則ち民服す)【行軍篇】
「仁」によって兵士が懐いたと思ったら、そこに教育と訓練を加えて緊張感を醸し出し、「信」はあるけれども緩んでいない組織を作るべきだというのです。
続いて、「厳」。
筆者はさまざまな企業で講師として研修をしているのですが、受講生に「この五つの条件のうち、自分に足りないものは何ですか」と質問すると、ダントツで数が多いのが「厳」だったりします。
厳しい部下への指導がパワハラと呼ばれたり、働き方改革の波が押し寄せる中で、この「威厳」「厳しさ」というのは、なかなか身につける機会を持てない面があるのです。
そして、確かに平時であればリーダーに「威厳」などなくても、いいチームや組織を作ることは可能ですが、しかし『孫子』が前提としているような戦争の非常時や、組織のトランスフォームのような下に痛みを伴うような改革時には、「威厳」は必須になるのです。部下からの抵抗をはねのける強制力がどうしても必要になるからです。
ではどうしたら「威厳」は持てるようになるのか。その第一歩となるのが、危機感をベースにした覚悟や使命感を持つこと。『孫子』でいえば、次のような言葉があります。
ー国は亡んでしまえばそれでおしまいであり、人は死んでしまえば二度と生きかえらないのだ(亡国(ぼうこく)は以ってまた存(そん)すべからず、死者は以ってまた生くべからず)【火攻篇】
ー軍の指揮官は、功績をあげても名誉を求めず、敗北しても責任を回避してはならぬ。ひたすら人民の安全を願い、君主の利益をはかるべきである。そうあってこそ、国の宝といえるのだ(進んで名を求めず、退いて罪を避けず、ただ人をこれ保ちて而して利、主に合うは、国の宝なり)【地形篇】
つまり、負けたら国ごと滅んでしまうかもしれない、という危機感が将軍の威厳のベースとなるのです。組織のトランスフォームであれば、
「いま改革しないと、この組織はダメになってしまうかもしれない」
という強い危機感や使命感があればこそ、現状維持を望む部下の強い抵抗があっても、改革をなしとげるリーダー足りえるということなのです。
絶体絶命の窮地に追い落とす
さらに、強い組織の作り方について。『孫子』には、こんな一節があります。
ー兵士というものは、絶体絶命の窮地に立たされると、かえって恐怖を忘れる。逃げ道のない状態に追い込まれると、一致団結し、敵の領内深く入り込むと、結束を固め、どうしようもない事態になると、必死になって戦うものだ(兵士、甚だ陥れば則ち懼れず。往く所なかれば則ち固く、深く入れば則ち拘し、已むを得ざれば則ち闘う)【九地篇】
ー戦略戦術の変更についてはもちろん、軍の移動、迂回路の選択等についても、兵士にそのねらいを知られてはならない。いったん任務を授けたら、二階にあげてハシゴをはずしてしまうように、退路を断ってしまうことだ。敵の領内に深く進攻したら、弦をはなれた弓のように進み、舟を焼き、釜をこわして、兵士に生還をあきらめさせ、羊を追うように存分に動かすことだ。しかも兵士には、どこへ向っているのか、まったくわからない。(その事を易え、その謀を革めて、人をして識ることなからしむ。その居を易え、その途を迂にして、人をして慮ることを得ざらしむ。帥いてこれと期するや、高きに登りてその梯を去るがごとし。帥いてこれと深く諸侯の地に入りて、その機を発するや、舟を焚き釜を破りて、群羊を駆るがごとし。駆られて往き、駆られて来たるも、之く所を知るなし)【九地篇】
ー全軍を絶体絶命の窮地に追い込んで死戦させるーこれが将帥の任務である(三軍の衆を聚(あつ)めてこれを険に投ずるは、これ軍に将たるの事と謂うなり)【九地篇】
当たり前ですが、人間、他人のことなんか殺したくないし、他人からも殺されたくないわけです。しかし戦争において、それを軍隊の将軍が部下に許していれば、その軍隊は絶対に勝てません。言葉を換えれば、こうです。
「誰しもやりたくないことをやらせて、やる気にさせ、しかも勢いに乗せるにはどうしたらよいか」
これが『孫子』の抱いた難問だったのです。そして出した答えは、ここまで至ってしまったら、部下を絶体絶命の窮地に追い落とすしかない。そうすれば、人間、危機感を抱いて、窮鼠猫を噛むとか、火事場の馬鹿力という言葉のように力を発揮するし、上の命令を聞いて一丸となって戦うはずだ、と。
そして、この考え方は、組織の変革にもそのまま通じる面があります。つまり、面倒な変革などやりたくない、できれば楽な現状維持がいいと思っている組織のメンバーを変えるためには、強い危機感を共有させるしかないー
『孫子』には「呉越同舟」という四字熟語で知られる次のような一節もあります。
ー呉と越とはもともと仇敵同士であるが、たまたま両国の人間が同じ舟に乗り合わせ、暴風にあって舟が危ないとなれば、左右の手のように一致協力して助け合うはずだ(それ呉人と越人と相悪むも、その舟を同じくして済り風に遇うに当たりては、その相救うや左右の手のごとし)【九地篇】
孫武の使えた呉という国と、隣国の越とは仇敵同士でした。しかし、そんな仇敵といえども、外部から危機が襲ってくれば手を結ぶというのです。まして、同じ組織内であれば、なおさらではないかー。
実は、このような危機感の共有という考え方は、組織変革やリーダーシップの第一人者として知られる[3]ジョン・P・コッターの指摘にもあるのです。
【変革の八つのステップ】
一、企業内に十分な危機意識を生みだす
二、変革を推進する連帯チームを形成する
三、ビジョンと戦略を立てる
四、変革のためのビジョンを周知徹底する
五、変革に必要とされる広範な行動を喚起するために人材をエンパワーする
六、 変革の勢いを維持するために短期的成果を挙げる
七、 短期的成果を活かして、さらに数々の変革プロジェクトを成功させる
八、 新しく形成された方法を企業文化に定着させ、より一層たしかなものにする【『企業変革力』ジョン・P・コッター 梅津祐良訳 (日経BP社 訳者あとがきより)】
ステップのトップにあげられているのが、まさしく危機意識の醸成なのです。さらに彼は、そのために驚くような手法を上げて見せます。
ー貸借対照表を無視し、四半期の業績を大幅な赤字にする(中略)本社社屋を売却し、まるで戦場での司令部のような建物に移転する【『21世紀の経営リーダーシップ』ジョン・P・コッター 梅津祐良訳(日経BP社)】
先ほどの『孫子』の引用にあった「戦略戦術の変更についてはもちろん、軍の移動、迂回路の選択等についても、兵士にそのねらいを知られてはならない。いったん任務を授けたら、二階にあげてハシゴをはずしてしまうように、退路を断ってしまうことだ」「舟を焼き、釜をこわして」と通ずるような指摘ですが、古今東西、組織のトランスフォームに関して、識者の意見は見事に一致しているのです。そして、この見事な実践例が、孫武の伝記にあった女官たちの訓練でもあるのです。