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郷愁の風景

【東京都】月島(中央区)

2020.06.03 04:59

月島は明治24年、「東京湾澪浚(みおさらい)計画」に基づいて造成された「月島1号地」と呼ばれる埋立地で、当初は佃島とは水路で切り離されていた(現在は首都高の高架開通に伴い水路は暗渠化され、陸続きになっている)。

当初の地名は埋立地の意味を持つ"築”の文字を使った「築島」で、後に東京湾内にあった「月の岬」の”月”から取って現在の「月島」に改められたといわれる。

石川島造船所など周辺の工業の労働者の居住地として、西仲通りを中心に東西に細い路地が並行して並び、長屋状の町家が軒を連ねる町並みが形成される。

現在の町並みは関東大震災後に形成され、戦災に見舞われることがなかったので戦前築の町家が今も残る。

西仲通りは現在「もんじゃストリート」として観光地化されているが、もともとはその住民たちの生活用品や食料品を扱う商店街で、その名残として看板建築が今も残っているが、近年の再開発の進行でその看板建築が数を減らしているのは気がかりである。


【東京都】月島(中央区)202005

月島には西仲通りを中心に東西に並行して細い路地が伸びている。

佃島とは異なり、玄関やベランダが対面していて、軒下には植木が並べられている。

佃島よりも道幅が広いので、路地ごとのコミュニティが形成され、井戸端会議ができる空間になっている。

佃島との違いとしては、路地に井戸が見当たらないことで、早くから水道やガスなどのインフラが整備されていたので必要なかったのだろうと思われる。