壊れるから好き
『壊れる』と聞いて、良い印象を持つはずがない。
ごく最近この言葉を意外な場所で聞いてドキッとしたことをお話しましょう。
私が運転免許を取得したのは、大学生の頃で、バイト代をはたいて早速軽自動車を手に入れたのを皮切りに、40年近く車生活を“エンジョイ”しています。エンジョイとは書きましたが、乗っている車はいつも15年以上も経っている車で、JAF(日本自動車連盟)には大変お世話になっています。要するに、ちょくちょくレッカー車にはお世話になっているということ。サプライズをエンジョイしているということでしょうか。
現在乗っている車も26年前に新車だったもので、今後もこのような習慣はどうも終わりをむかえそうもうありません。私が通っている修理のおじさん(私もれっきとしたおじさんですが)の話によると、どうも私だけではないらしく、古い車を直しながら乗っている人が結構いるようです。先日もその修理屋さんにオイル交換をしに行くと、イタリア車の20年前くらいのマセラティが修理に入っていました。この車はこの修理屋さんに入院していることが多いらしく、しょっちゅう見かけていました。車もさることがなら、その所有者に興味を持ち、聞いてみる事にしました。
私 「よく壊れるね、この車。でもよくあきらめないで乗っているね、所有者どういう人なの?」
おじさん 「バイオリンを修理する人だよ。名器ストラディなんとかっていう修理もするらしいよ。もう70歳過ぎているけど、本当に好きみたいだね。」
私 「マセラティなら高年式の少しは壊れにくいのがあるんじゃない?」
おじさん 「そうだね、2000年以降にすれば、まだいいかもね。」
私 「何で乗っているの?その時代の強い思い出でもあるのかな?」
おじさん 「壊れるからだよ、壊れるから好きなんだって。もともとイタリアの車が好きで、でも壊れる、、、、、、、、、、、、、、壊れるから好きなんだよ。
この車、葉山でエンコしちゃってレッカーで取りに行ったんだけど、ひとりじゃレッカー車に乗せられない場所だったんで、ちょっと押してくれる?と言ったら、いやな顔ひとつしないで押してくれるんだよ。あの年でニコニコしてんだから。」
私 「壊れるから好きか、、、、、、、、、、本当?、、、、、、」
どこかで聞いたフレーズで、『分かれても好きな人』とは理解できるが、『壊れるから好き』とは、納得できない。でも何か共感してしまいました。
よーく考えてみると、ぼくの車も、大きなトラブルはないけれど、ちょくちょく修理屋のおじさんにお世話になっています。過去何十年に渡ってこういう車生活をしていて、いつのまにか、『車=壊れる』は、あたりまえになってしまっている。ぼくの忍耐と寛容の部分は、壊れた車が育んでくれたのかもしれません。
おじさん 「日本の新車に換えたら?いいよー壊れないし、燃費はいいし。」
ニヤニヤしながらフロントフードあける。
私 「そうだよねー壊れないしねー、でもおじさんの仕事なくなっちゃうじゃない?」
おじさん 「いいんだよ、引退できるじゃない。」
私 「それじゃーまだ壊れない車に換えられないね。」
何気なく吐いた言葉だったのですが、きっとマセラティの所有者もぼくも、実は車が壊れることには、意に介さないのかもしれません。おじさんのところに壊れた車を持ち込む。その故障原因を見極め、見事に解決してしまう。短時間にしかも必要最小限のパーツの取り換えのみでです。滅多に新品のパーツを取り寄せない。我々からするとガラクタの寄せ集めみたいなBOXの中から引っ張り出してくる。『痛快』とはこの事。昔は高性能車と言われていた車、高級車と言われた車が、場末なちっぽけな修理屋のおじさんが直してしまうのだから。職人技と言うべきこの光景を見せてもらい、車がよみがえる喜びと感動を与えてくれる。
『壊れるから好き』と言い切れるのは、『再生』できる、させるという強い自信と信念を持った人物が傍らに控えているからであり、その信頼できる人物とつき合えるのであれば、なんで壊れない車を所有する必要があるのでしょうか、、、、、、と思うのです。
住宅建築1991.11月号より 写真 畑亮夫
1990年に、友人に依頼されて師とも仰ぐ高須賀晋さんと共に設計させていただいた住まい。
車もコーディネートしてくれとのことだったので、迷わず1969年式のベコベコのフォルクスワーゲンを5万円で購入し、再生させた。施主の条件は、エアコン+オーディオ+4人乗れること、であった。この年代の車にはエアコンはついていなかったので、アメリカ製の25万円のクーラーを取り付けた(車両代より高い)。オーディオは、前の持ち主が、家の中に置くような木製の四角いスピーカーを後部座席の後ろのポケットに収めていた。施主である友人は大変気に入っていたが、子供の成長に伴い、家族の強い要望により6、7年ほど経ってから私のもとに来ました。
車を引取りに行ったとき、私が運転するフォルクスワーゲンのバックミラーに見えなくなるまでずっと友人が映っていたことを忘れられない。
ちなみに、写真の車庫の天井高さは、フォルクスワーゲンの高さに合わせてある。普通の乗用車よりも車高がありそのため、上の居住部分の階高を最小限に詰めて設計してあるのを友人は知らない。
(諸我尚朗)