<今だから>読んでおきたい宮沢賢治 ④どんぐりと山猫
文豪・宮沢賢治の代表作について、あらすじと解説を記していきます✏️
この文章を記すに至った経緯は5/31の投稿をご覧くださいm(_ _)m
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第三作目は『どんぐりと山猫』から😼
~どんぐりと山猫~
ある秋の土曜日、少年一郎のもとに、下手くそで間違いだらけの文で書かれた怪しいはがきが届く。翌日面倒な裁判があり、ぜひ出席してほしいという内容で、差出人は、「山猫」となっている。 一郎は、はがきを秘密にして、一人で大喜びする。翌日、一郎は山猫を探しに山へ入る。
深い榧(かや)の森の奥に広がる草地で、異様な風体の馬車別当と会い、はがきを書いたのは彼であることなど話すうちに山猫が登場し、どんぐりが集まってきて裁判が始まる。
どんぐりたちは誰が一番偉いかという話題で争っており、めいめいが自分勝手な理由をつけて自分が偉いと主張するので、三日たっても決着がつかないという。馬車別当は山猫に媚びるばかりで役に立たず、裁判長である山猫は「いいかげん仲直りしたらどうだ」と体面を保つばかりで、判決を下せないで困っている。
一郎は山猫に、一番ばかでめちゃめちゃで、頭のつぶれたようなのが一番偉い、というお説教を耳打ちし、知恵をつけて助けてやる。山猫が一郎の言うとおりに判決を下すと、一瞬にしてどんぐりたちの争いが解決し、どんぐりは一箇所に固まってしまう。
山猫は一郎の知恵に感心し「名誉判事」という肩書きを与える。そして、今後(一郎に)送るはがきの文面を「出頭すべし」と命令調に書き換える提案をするが、一郎に「そいつだけはやめた方がいいでしょう」と否定されてしまう。その途端、山猫はよそよそしくなり、謝礼として、塩鮭の頭と黄金(きん)のどんぐりのどちらかを選ばせ、一郎が黄金のどんぐりを選ぶと白いきのこの馬車で家まで送ってくれる。
馬車が進むにつれて、黄金の光はだんだん薄くなり、馬車が止まったときには山猫も、別当もきのこの馬車もすっかり見えなくなり、黄金のどんぐりは色あせて茶色の普通のどんぐりとなっていた。そして二度と山猫からの手紙はこなくなってしまう。一郎は、「出頭すべし」と書いてもいいと言えばよかったと少し残念に思うのである。
『どんぐりと山猫』は1924年(大正13年)、賢治が生前に出版した唯一の作品集 『イーハトヴ童話 注文の多い料理店』に収録されている童話の一つである。
童話集『注文の多い料理店』には賢治自身の簡潔な解説があって、本作について「必ず比較をされなければならないいまの学童たちの内奥からの反響です」と記されている。
登場する山猫、馬車別当は、無能な指導者とそれにへつらう管理者の姿であり、どんぐりとは子どもを含む民衆のことと考えられる。
また、一郎が「このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらい」という法話を山猫に語るのは、賢治の「デクノボウ精神」の反映である。賢治は『雨ニモ負ケズ』(死後発見された手帳に残されていたメモ)に記されているような、「デクノボウ」の精神を重要な思想の一つとしていたが、賢治が信仰していた法華経教義の眼目である菩薩(悟りを求め、衆生を救うために多くの修行を重ねる者)を知らせたものであると考えられるのである。
それと同時に本作は、少年の成長の瞬間を描いた物語でもある。一郎は知恵や思いやりを持つ一方、山の動物たちと会話するような野生的な力を残した少年であった。
裁判の後、山猫は一郎を手下にしようと、名誉判事の肩書きをちらつかせて承諾させ、次に「出頭」という言葉で拘束しようとするが、一郎にさりげなく拒絶されてしまう。
もし一郎が立派な肩書きに惑わされ、山猫の言いなりになっていたら、馬車別当のような存在となり、謝礼に鮭の頭を選んでいたら森の獣にされていたかもしれないという、きわどい選択を経て、最後に「黄金のどんぐり」という人間として常識的な選択を行う。 この瞬間一郎は不安定な幼い時代を卒業し、改めて人間社界に仲間入りするのである。
彼が「出頭すべし」という文言を拒むと山猫は興味を失ったかのように態度がよそよそしくなり、どんぐりは色あせ、手紙が二度とこなくなってしまったのは、一郎が成長し山猫の手の届かない世界に行ってしまったからである。