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日本基督教団 板橋大山教会

6月7日(日)聖霊降誕節第2主日(三位一体主日)

2020.06.07 00:00

ヨハネによる福音書 14章8~17節

 今日、与えられている聖書の箇所から、特に9~11節のイエス様のお言葉から学びましょう。

 8節では、イエス様と早い時期から行動を共にしてきた弟子のフィリポが、「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言っています。おそらく彼は、イエス様が来るべきメシアだと信じてついてきたのですが、善い指導者、優れた教師、預言者には思えても、イエス様ご自身が父なる神様をあらわにしているということにまでは思いが至らなかったのではないでしょうか。

 イエス様は、そんなフィリポに対して次のように言われました。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。」(9~11節)

 イエス様はこのようにおっしゃることで、イエス様と父なる神様が一体であり、それゆえ、イエス様がなさることすべては、父なる神様がなさっておられるのだとお教えになられました。

 わたしたちも、知っているつもりが、本当にはわかっていないことはよくあると思います。

 しかし、そもそも、“何かを知る・誰かを知る”ということには、気づきが求められているように思います。それは、知っていると思うほどには自分は何も知らないということです。たとえ、知ったとしても、それさえほんの一部しか知ってはいないということです。しかも、その上で、何かを、誰かを知っていくために求められるのは、信じ、慕い、愛するという謙虚さだと思います。

 キリスト教では、イエス様を信じることは神様を信じることであり、イエス様を通して神様がわたしたちを教え導き、愛と赦しと永遠の命へとわたしたちをいざなっておられると教えます。

 いにしえより、キリスト者は、イエス様を信じ、神様を信じ、聖霊を信じてきましたが、残念なことに歴史的にはその信じ方で争いが絶えなかったのも事実です。教会そのものが、勢力の主導権争いに明け暮れたときもありました。それは、わたしたちに無関係な遠い話ではありません。

 そのような中で、違いがありながら同質であり、異質でありながら一緒であり、あらわれ方働き方が同じではないにもかかわらず一体性をもって永遠の命へとわたしたちを導いてくださる父・子・聖霊という三位一体の信仰について、キリスト者は、聖書を繰り返し繰り返し読むことで、答えを得てきたのです。


 三位一体については、信条を形式的律法主義的に信じるよりは、イエス様の恵みと父なる神様の愛と聖霊の働きに導かれ満たされて被造物であるわたしを生きつつ、隣人を謙虚に謙遜に知っていく歩みがなされていくことの方が、良いように思います。

 何よりもまず神様を愛し、イエス様を愛し、聖霊を愛し、恩寵の恵みに与る信仰の歩みをなしていきたいですね。

アーメン。