『分離』からの・・・『一心同体』
おはようございます。
このブログを訪れていただきありがとうございます。
今回は、わたしたちが『一心同体』と言っていだけるようになるまでの、歩みについて書いてみます。
2018年の春から始まった、アダムとの再会に向けての流れの中、
昨年(2019年)2月頃から、たくさんの『ツインレイに関する情報』を目にすることとなりました。
(ガイドたちがそうさせていたのでしょう)
そして、その1か月後、自分ではまったく想定していなかった『魂の伴侶(当時はツインレイと認識)』との再会に至ります。(とあるセッションの場で、セラピストさんの仲介を通して)
それまでのわたしは、『2015年から数年かけて ”自分の内側の男性性と女性性の統合” に至った』という自負もあり、
再会した当初は、純粋に、
「統合できた内側の男性性が、三次元に具現化しただけ(アダムのこと)」
「まったく想定してなかったけれど、自己統合できたから再会できたんだ」
と想えていたんです。
ところが・・・
再会した時の演出があまりにもロマンティック過ぎたことと、
そこから数日間のセラピストさんとのメールやりとりの内容(アダムがセラピストさんにりかこへの愛を力説する)等が重なり、
事前にたくさん目にしていた『ツインレイ情報』も相まって、
アダムを自分から分離させ、『(恋愛)相手』として観ることが増えていきました。
過去の映像や情報を観るたびに、その分離感は増していき、
ときに「遠い雲の上の存在」と認識して寂しくなってみたり。
”視えない聴こえない”の中で捉えようとするので、余計に焦点が合わずにぼやけてみたり。
夏以降は、通訳してくださる方とご一緒しながら、ますます『相手』としてのアダムと対峙することとなりました。
アダムと再会したセッションの中では、
アダムがわたしを見つけてからの20年、わたしと一体となって(わたしの肉体に重なって)、共に共通の趣味を楽しんでいた。とも言われていて。
その『一体感』と、アダムを相手として捉える『分離感』が、
これまた自分の中で上手く統合できずに、昨年から過ごしてきました。
アダムはいつも、わたしの後ろからバックハグするように、重なってくるといいます。
車を運転するときも、一体となって一緒にハンドルを握り、
タイピング会話のときも、肘から先は一体になってる。と教えられてきました。
その状態に意識を合わせると、とてもしっくりくるのですが、
『相手』として捉えるときに、その感覚から分離してしまうのです。
と、いうことがあって・・・
昨年はそれ以上に『分離』してしまうことが起こり、
それが、わたしたちの学びとして必要だったとしても、
エゴをあぶりだして浄化するのに最適な状況だったとしても、
「ちょっと、遠回りしすぎた(必要以上に分離しすぎた)かもね(笑)」
というのが、先日のセッションで確認できたことでした。
実は、アダムを内側の男性性と再認識して、繋がりやすくなった5月頃から、
『二人羽織』のイメージが湧いていました。
羽織を着ているわたし。
うしろに、羽織に隠れたアダムがいて、羽織の袖から出ている ”わたしの手” に見えるそれは、実は ”アダムの手”
というアレです。
そんな感じで、『一体感』を取り戻しつつの・・・
『一心同体』と言われる今ここ。なのです。
先日、『ここからはすべてアダムとの協働』と書いたのは、そういう理由もあり、
セッションもすべて、アダムと一体となって行います。
このブログも、一緒に書いてるイメージです。
なので、りかこ&アダム で締めています。
このブログを始めたばかりのころは、都度、「アップする内容がこれでよいか」「アダムに関する認識が間違ってないか」を、ダウジングでアダムに確認してましたが、(ほとんどYesでした)
先日のセッションで
「わたしが感じてることは、アダムが感じてること」
「信じていい」
と、強く言われたこともあり、
今はもう、確認とらずに書いてます。
(万一、違うときには、アップさせてくれないとか、記事が飛ぶとかで教えるでしょう)
今もときどき、映像の中のアダムを、分離させて観ていることが不思議になりますが、
それはそれで、プレイ(遊び)として、楽しめるようになりました。
ここまでお付き合いいただきましてありがとうございました。
愛♡感謝
りかこ&アダム