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流し雛目に見えぬものおそろしく

2020.06.06 05:59

開闢を知つてゐさうな大海鼠  仲寒蟬

流し雛目に見えぬものおそろしく  同

木も牛も影濃くなりぬ夏の牧  同


https://omatsurijapan.com/blog/nagashibina/  

【流しびなはひな祭りのルーツ? 願いを託して水に流す行事の由来、参加できるイベントをご紹介!】より

「上巳(じょうし)の節」に穢れを祓う

6月30日に行われる「夏越し(なごし)の大祓」や大晦日に行われる「年越しの大祓」。

参道や鳥居の周りをぐるりと周る「茅の輪くぐり」を目にしたことがある方も多いのでは?

旧暦3月の上巳(じょうし)はちょうど季節の境目。今では花粉…なんて頃ですが、当時は災いをもたらす邪気が入ってきやすいとされて「上巳の祓」が行われていたそうです。

穢れを祓う禊の神事で使われるのが「人形(ひとがた)」。

人の形に切られた和紙などでできているもので、こちらに息を吹きかけ自分の穢れや罪をうつします。

スタジオジブリの映画『千と千尋の神隠し』でもたくさんの人形が飛んでくる!

なんてちょっと怖いシーンがありましたよね。

ひとがたからにんぎょうへ

この人形(ひとがた)を海や川へ流すことで、自分の身代りとして清めてもらう。

陰陽師の専売特許とでも言いたくなる祓いのスタイルですが、この風習は源氏物語にも出てくるほど歴史が古いもの。

“知らざりし 大海の原に流れ来て ひとかたにやは ものは悲しき”

作中では道ならぬ恋に走った26歳の光源氏が、須磨(現在の兵庫県)に退去し、侘しい思いを歌に詠む様子が描かれています。ちなみに陰陽師に祈祷させて人形を流したものの嵐が来てしまい大失敗!今後の源氏の運命をあらわしているのでしょうか…

こうして、人形(ひとがた)が『流し雛』となり、やがて江戸時代の中期頃には人形(にんぎょう)として手元に置いておくようになったとも言われています。

女性の守り神!和歌山県の淡島信仰

一方でそのような祓いの儀式とは別に、紀伊と呼ばれた和歌山県・三重県の辺りでは「加太守雛」と呼ばれるお守りを海辺や川辺から流すという風習があったそうです。

女性特有の病気などにご利益があると言われていた加太淡島へ、直接お参りできない女性が、自分の代わりに願いを託して淡島にたどり着くように川辺や海辺から流した紙の雛。そうした風習が現在の流し雛のルーツになっているという説もあります。

実は和歌山県だけではなく、都内にも淡島明神をお祀りしているところがあるのです。

それが、浅草寺の本堂左手にある「淡島堂」。女性を守ってくれるスポットとして人気を集めるほか、毎年2月8日には長年使った針を柔らかい豆腐にさす「針供養」が行われることでも有名です。

流し雛が行われるのはこちら

和歌山県 淡嶋神社

淡島神社では実際に雛人形の供養が行われます。女性のみの参拝客が人形を乗せた船を運び、紙吹雪が撒かれるとそれを合図に海へと送り出します。


Facebook・船木 威徳さん投稿記事

【 危険でないことを、恐ろしいと考えてしまう思い込み 】

「エボラ第3章で書いたが、2014年に西アフリカでエボラが流行したとき、初めのうちはわたしはその深刻さがわかっていなかった。患者数が倍々で増えているのを見てやっと、大変なことになると気づいた。だがこれまでになく差し迫った恐ろしい状況の中でも、わたしは過去の失敗を繰り返すまいと心に決め、本能や恐れに動かされるのではなく、データに基づいて行動しようと自分に誓った。

 世界保健機関(WHO)とアメリカ疾病予防管理センター(CDC)が公表していた「感染の疑いのある人」のグラフは、かなりあやふやな数字が基になっていた。「感染の疑い」とは感染が確認されていないということだ。元データはとにかく問題が多かった。たとえば、ある時点でエボラの疑いありとされ、結局エボラ以外の病気で亡くなっていたことがわかってもまだ、「感染の疑いのある人」として数えられていた。エボラへの恐怖が増すにつれ、誰もが疑わしく見えてきて「感染の疑いのある人」の数もますます増えた。エポラへの対処が忙しくなると、日常的な医療はおろそかになり、普通の病気の治療が追い付かず、エボラ以外の原因で亡くなる人がどんとん増えていった。そんな死者たちもまた、「感染の疑いのある人」として扱われていた。そんなわけで、「感染の疑いのある人」のグラフはますます右肩上がりに上がっていき、実際に確認された感染者数とかけ離れていった。

 進捗を測れなければ、自分たちの対策が効いているのかどうかわからない。だからわたしは、リベリアの厚生省に着くとすぐに、感染が確認された人の数を聞き出して、全体像をつかもうとした。血液サンプルは別々の4つの研究室に送られていて、それぞれの研究室の記録はエクセルに乱雑に打ち込まれていた。しかし、まだ4カ所の数字は集計されていないことが、その日のうちにわかった。その頃、リベリアには数百人もの医療関係者が世界中から集まり、ソフトウェアの開発者は役にも立たないエボラアプリを開発し続けていた(開発者はアプリという「トンカチ」で、エボラという「くぎ」を必死に叩こうとしていた)。しかしそうした対策が効いているかどうかを測っている人はいなかった。

 許可を得たあとで、ストックホルムにいるオーラに4つのエクセルの表を送った。オーラはその表を整理して、手作業で集計した。そこで奇妙なことを発見したオーラは、もう一度同じ手順を繰り返して間違いがないかを確かめた。オーラは間違っていなかった。危機が差し迫っていると感じたら、最初にやるべきなのはオオカミが来たと叫ぶことではなく、データを整理することだ。

 誰もが驚いたことに、集計されたデータを見ると、感染が確認された人の数は2週間前にピークを打ち、それ以降は減っていた。逆に、感染の疑いのある人の数は増えていた。一方、現場ではリベリアの人たちの習慣を変えることに成功し、人々は必要のない接触を避けるようになっていた。握手もハグもしなくなっていたのだ。生活習慣の変化に加えて、店舗、公共の建物、救急車、病院、葬儀場、それ以外のあらゆる場所で衛生管理を徹底したことの効き目が出始めていた。対策は効いていた。でも、オーラがその表を送ってくれるまで、誰もそれに気づいていなかった。わたしたちは明るいニュースに喜び、仕事に戻った。対策が功を奏していることを知って、ますますがんばろうと背中を押されたのだった。

 世界保健機関に感染者数が減っているグラフを送ると、次の報告書でそれが公表された。なのにアメリカ疾病予防管理センター(CDC)はまだ「感染の疑いのある人」の右肩上がりのグラフを発表し続けていた。手を貸してくれる人たちに対して、緊迫感を持続させたかったのだろう。善意からそうしたのはわかるがそれでは間違った場所に資金や支援が向かってしまう。しかも、長期的には感染症研究データへの信頼性に傷をつけることになる。そのほうがさらに深刻な問題だ。

 とはいえ、CDCの判断について、現場のわたしたちはとやかく言える立場にはない。幅跳びの選手が自分で記録を測ることは許されない。それと同じで、現場で対策にあたる組織は、どのデータを公表するかを自分たちで決めてはいけない。現場の人たちは、資金欲しさにデータを握造するかもしれないからだ。だから、データの信頼性を担保するには、進捗を測るのを現場だけに任せないほうがいい。 

 エボラ危機がどれほど深刻かを教えてくれたのは、データだった。最初のデータでは、感染の疑いのある人の数が、3週間ごとに2倍になっていた。そして、エボラへの対策が効いていることを教えてくれたのもまた、データだった。確認された感染者数は減っていたのだ。データがすべての鍵だった。これからも、とこかで感染症が猛威をふるったときには、データが鍵になるはずだ。だからデータそのものの信頼性と、データを計測し発表する人たちの信頼性を守ることが、とても大切になる。わたしたちはデータを使って真実を語らなければならない。たとえ善意からだとしても、拙速に行動を呼びかけてはいけない。」

〜FACTFULNESS(ファクトフルネス)

10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣ハンス・ロスリングら 著上杉周作、関美和 訳日経BP社 より、引用。

 

私たちは事実を頻繁に勘違いします。

事実をありのままには見ずに、さまざまな感情や先入観に影響されその解釈においても誤ります。

すこし前に世界中でベストセラーになった本なので、お読みになった方も多いはず。

私も、読み返していて驚いたのですが筆者は、統計学などの専門家として2014年のエボラ出血熱の流行の際もリベリアに赴き、データの解析に携わっていたそうです。

私たちは、それが、専門家でも行政でも、政府や国際機関であっても「見誤る」のです。それが、どこで、なぜ起こるのか?

失敗しないためには、どんなことに気をつけたらよいのか?非常にわかりやすく書かれた本です。

この本を読んだ方が、このたびの新型コロナのさまざまな事実としてのデータ解析に関わっておられることを願います。

 

〜王子北口内科クリニック院長・ふなきたけのり