日本語教室の工夫のひとつ~これも雰囲気作り~
❶日本語クラスにおいて、大切なのは、教室での雰囲気作りもある事を時として感じます。
この度の様な新型コロナウイルスとは言え、やはりマスク装着必須・窓開放・距離を開けるなどをしても、授業の進行には、今までと違う方針をとっているわけではありません。
一般の学校でもないので気楽さがありますが、受講者も少人数ですし、有料でもありません。有料ではないと言っても、教え方に差があるわけではないので、初めから、その点を気にした事は全くありません。
むしろ細かくやっているので、こちらが疲れます。
今は数名で殆ど、マンツーマンですが、これ以上増えても反ってやりにくいだけです。
ただやっていてわかる事のひとつに、やはり「受講者の進度」があります。雰囲気に溶け込めないとか、気にしない人や、冷やかし半分で来ている人。やる気があまり感じられない人です。テキストひとつ用意しませんし、連絡もまともではありません。これは、無料だから、真摯に向き合う必要がないと思うからでしょうか。このような事は何処にもある事なので、結果は何処でも同じでしょうが。
よく理解できる人の特徴は、「会話が積極的・声が中以上の大きさ・質問をよくしてくる・挨拶が日本人並である」などが共通してあります。これは、本人の性格も有るので、それ等が結果に必ず出ると言うわけでもありませんが、往々にしてそうなっています。
勿論日本語が全くわからない人にとっては、いくらこちらが英語を使って説明しても、理解できる範囲が直ぐに狭まるわけでもありません。
ただもう一つ言えば、お互いにその輪に溶け込むとか、雰囲気に合わせようとしている人ほど理解しやすいこともあるのは、お互いのコミュニケーションを利用しているからでしょう。それが、理解を速めていることも確かです。良く話し合うからです。
❷故に、その点も考慮して、普通とは違う教え方にしています。
学校で何かを教える時は、1,2度一つについて説明すれば、次回も又全く同じ事を同じように説明することはほとんどありません。(前回のまとめ的に、復習時間を少しとってやる事はあります)つまり、後は、「本人の復習+研究と質問に答える」やり方ですが。それは、やる気もさることながら、「勉強する・覚える・記憶する」と言う「努力」をしなければなりません。そこが誰でも勉強を嫌になるワカレメです。努力しないと覚えられないわけですから、諦めもします・面倒です・忘れます・時間があるとは限りません。
ですから、これら「自己の積極的な努力」をしなくても覚えられる体制であれば本人は楽なはずです。当然。そうであれは、いや気が差すのも、少しは減るでしょうし・・・
そこで、自助努力はもちろん必要ですが、忘れた時は全く同じ事でも、忘れるたびにこちらに聞く事です。5回でも10回でも、同じ事を聞く事です。
このやり方だと、極端な話、自助努力は0でもいいわけです。
「忘れたら又聞く」それの繰り返しですから。同じ事を何度も聞くので努力しなくても覚えやすいでしょう。
普通このようなやり方はしません。教えるほうも、其れこそ「前に言ったでしょう」とか「何度言ったら分かるの?」と言いたいでしょうが。あえて、それをしません。
聞かれるたびに全く同じ事を話します。怒りもしません。淡々と説明します。
この方法は「あなたが覚えるのが楽な様に。初めからこのやり方をしますから、忘れたら何度も聞いてください」と:説明しています。
このやり方がいいとは100%思いませんが、これで気楽な教室作りの一役を担っていると思います。
そして、慌てた事はしません。スケジユールを作って、いつまでにこの章・この頁を終わらせると言う様な事は全くありません。当然そうなってしまいますが。
「気楽さ」も大切な要素ではありませんか?