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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

日本宣教27-三浦按針と日本の邂逅

2020.06.07 11:11

スペインの支配の衰えた1590年代に、オランダの海外進出が活発となっていく。もともと彼らは北洋の船商人だが、アジア貿易にも乗り出していくわけである。1595年4月、アムステルダム商人の出資によって、コルネーリス・デ・ハウトマンがアジアをめざす。

彼らは14カ月かけてインドへ航海し、ジャワ島に商館を設けた。次にファン・ネックは大量の胡椒を持ち帰り、貿易の先鞭をつけた。ポルトガルのアジア貿易は儲からなかったが、それは南欧だからで、陸周りのヴェネツィアとの競争だった。しかしアムステルダムへ荷揚げされた商品は直接欧州北部からライン川経由で中部に持ち込まれた。

南アメリカ周りでは、98年2つの艦隊がロッテルダムより出発し、マゼラン海峡を抜け、1つの艦隊は1601年に1隻だけが世界一周をして帰りつき、史上4人目の世界一周をなしとげる。

もう一方の艦隊のうち2隻が太平洋に乗り出し1隻は行方不明。もう1隻のリーフデ号は日本を目指し、1600年春大分の沖合にたどりついた。そこに乗っていた者こそ、日本の運命を大きく変えるウィリアム・アダムス後の三浦 按針、ときは関ヶ原の半年前である。

下は再建された三浦按針の乗ったリーフデ号