【石川県】ひがし茶屋街「東廓」(金沢市)
加賀百万石の城下町で知られる金沢だが、戦国時代は一向一揆の中心で本願寺の拠点だった尾山御坊を中心とした寺内町だった。
尾山御坊が織田信長によって攻略されると、その跡地に金沢城が築城され、点在していた寺院は寺町、卯辰山、小立野に集められ外城としての機能も兼ねられた。
江戸時代に入り、卯辰山と寺町の寺院群周辺に町人街が形成されると、その一角が茶屋街として賑わいを見せ、文政3年に公認の遊廓としてそれぞれ「東廓」「西廓」ができた。
現在は観光地化されている「ひがし茶屋街」は「東廓」のことで、『全国遊郭案内』によれば貸座敷または揚屋、待合茶屋が84軒だったという。
現在は約140種の建築物が集まっているが、その3分の2が東廓成立から明治期にかけて建てられた伝統的建造物である(平成13年に重伝建指定)。
【石川県】ひがし茶屋街「東廓」(金沢市)201507
江戸時代ごろから整備されたひがし茶屋街は平日でも観光客が絶えない。
卯辰山を正面に臨む旧二丁町通りがメインストリートで、両側に2階建ての茶屋建築が軒を連ねる(冒頭写真)。
1階は「木虫籠」と呼ばれる細かい縦格子の出格子で、2階が客用座敷、街路側を縁として雨戸を設けているのが多い。
メインストリートにあたる「旧二丁町通り」の町並み
【石川県】ひがし茶屋街「観音町」(金沢市)201507
ひがし茶屋街の南側、浅野川沿いに伸びる旧「観音町」には、大きな袖卯建を持った町家が軒を連ねている。
この通りは卯辰山麓の観音院へ通じる参道にあたり、残っている古い街並みは参詣客相手の商家だろう。
あとで知ったが、この通りは重伝建指定を受けている「卯辰山寺院群」の一部である。
【石川県】ひがし茶屋街「愛宕」(金沢市)201507
ひがし茶屋街から一歩外れた細い路地に入ると、打って変わって観光客がいない。
観光地として整備されている茶屋街とは対照的に、生活感が強く残っている印象だ。
恐らくこの辺りが、東廓に隣接する旧赤線「愛宕」ではないかと思われる。
『全国女性街ガイド』では36軒に184名の女が働いていたとされているが、そう思えないほどにひっそりと静まり返っていた。