自己紹介(ホメオパシーとの出会い)
少しづつ自己紹介ができればと思っています。
まずは、ホメオパシーの話を中心に書いてみました。
ホメオパシーとの出会い
全ての始まりは、妊娠したことでした。
大人になってから喘息になり、薬をとっていた私は、妊娠後、咳の排出が始まりました。
その排出は、のどにボールが入ってしまったように腫れ、息をするのがやっとでした。
横になると咳がでるので、眠ることもできず、声も出なくなり、仕事もできなくなりました。風邪をひいたら薬を飲むのが当たり前だった私は、薬を出してくれるように頼みました。でも、お医者さんは、妊娠中なので、薬は出せない。との一点張り。
妊娠中でもとれる薬はないのか?必死で探していてただりついたのが、ホメオパシーでした。今から20年近く前の話。
早速妊娠中に、クラシカルホメオパシーの学校で学び始めました。安定期に入り、咳も落ち着いたところでした。当時私は、自然の中で暮らしたいと思っていたので、(東京育ち)その際、自分で自分の健康が守れればと思い、勉強しておこうという気持ちでした。
だけど、そこでの出会いは目からうろこでした。そこには、まるで別世界が存在していたのです。ホメオパシーを学びに来ている沢山の方たちに、ホメオパシーだけでなく、様々なことを学びました。バッチフラワーレメディ・野口整体・マクロビオティック・自然出産・母乳育児・おむつなし育児などなど、この時の出会いがなければ今はないです。今いる世界のすぐ目の前に別世界があったことを教えてもらいました。
いままでなんとなく、違和感を感じて生きてきたことの答えがそこにありました。すべてが私に必要でした。ホメオパシーを学ぶと同時に様々なことを、一緒に学ぶ仲間たちにおしえてもらい、病院での出産をやめて助産師さんにお願いすることにしました。それまで、病院での出産以外の選択肢があると思いもしませんでしたが、様々なことを知った後には、病院では絶対に産みたくないに変わっていました。
実践と戸惑い
出産後、出会ったものの実践に入りました。小さな乳飲み子を抱えて、毎日のように、ホメオパシーだけでなく、マクロビオティックや整体等さまざまな勉強会に通いとにかく忙しかったです。どこに行っても、赤ちゃん連れに皆さん優しく、さまざまなことを教わりました。実践する中で、子供からも沢山のことを学びました。そして、学ぶと同時に疑問もわいてくるようになりました。
印象的なエピソードを、1つあげます。
祖母(当時80代後半)が、鼻水が垂れてだるい、風邪ひいたみたいと言うので、
なにげない気持ちでホメオパシーのレメディをあげました。よくなればと思ったのです。
ところが、そのレメディをとった後、左の膝がパンパンに晴れ上がったしまったのです。膝は、熱を持っていて、その熱が身体全身に伝わり、高熱も出てきました。ついには、立ち上がることができなくなりました。食欲もなく、寝たきりになってしまったのです。
まだ、ホメオパシーを知ったばかりの頃でした。炎症によいレメディをあげましたが、全くよくなる気配もありません。年も年ですし、このまま起き上がれなくなってしまう可能性もあると思いました。早く、歩けるようにしなくては。
そこで、サトイモパスタを思い出しました。ユキ(野口整体)をしながら、サトイモパスタを何度も作り取り替えました。祖母も、それをすると気持ち良いのか、楽そうな様子を見せるようになり、すこしづつ腫れがひいて、よくなりました。高熱が下がってから、丸2日で立ち上がれるようにまでなったので、結果としては回復が早かったです。
でも、ホメオパシーでいう、バイタルフォースの怖さを身をもって、感じた瞬間でした。そして、それ以外の療法の良さも感じました。その後も、変だな?と思うことや、よくわからないと思うことが沢山でてきて、それが最も多かったのが、ホメオパシーでした。とにかく、不信感が一番強かったです。
・似たものが似たものを治すというけど、似たものってどのレベルの話?なんでもいいの?
・教科書に書いてある通りの症状を子供が出しているのに、レメディをあげてもよくならない。本当に、これ作用するの?プラシーボじゃないの?
・レメディ摂って、悪いことはないっていうけど、とればとるほど、悪くなるけど、これ本当に好転反応?好転反応と悪化の違いってなに?
・ほとんど作用しなくて、沢山レメディをとっているうちに、気が付いたらよくなっていたけど、レメディでよくなったのか、自然によくなったのか分かんない~
とにかく、次から次へと疑問・不信・違和感が出てきました。
そこで、できるだけたくさんの先生から話を聞きたいと思い、クラシカルだけでなくプラクティカルの学校に行くようになりました。
あの当時、こんなに難しくわかりにくいと思っていたし、不信に満ちていたのに、
沢山あった選択肢の中から、更に勉強を深めていくものとして、なぜホメオパシーを選んだのか・・・
今の私にはまったくわかりません。今でもとても不思議です。
でも、この世界に行くための、最初に出会ったのもホメオパシーでした。
学校へ入学
子供が2歳になった時、現在のCHHOMに入学。その後、イギリス校ができ、イギリスから先生が中継してくれるコースが開講したので、日本の先生だけでなく、世界のホメオパスの話が聞けるということで、迷わずそちらへ、入りなおしました。
とにかく、一人の先生ではなく、いろんな意見を聞きたいというのが私の学びのスタンスです。これが正しいと言っている人の話を聞いたら、それが正しくないといっている人の話を聞かないと気が済みません。ホメオパシーはプラシーボだといった本やよくないといっている人の話も聞きました。そして、聞けば聞くほどホメオパシーをもっと知りたいと思うようになりました。
最初、クラシカルホメオパシーを勉強していたのに、プラクティカルホメオパシーにすぐに慣れましたか?と聞かれることがあります。
クラシカルホメオパシーというのは、伝統的なホメオパシーの方法で、プラクティカルは新しい考えが入った方法なのですが、レメディに対する考え方が違う部分もあり、対立が起こることもあるようです。
だけど、私は、マクロビオティックや野口整体等を学んだり実践する中で、様々な場合があり、間違いがあるのではなく、どちらも正しいのだという考えを会得していたので、全く違和感なく、学びました。そして、それは相反するのではなく、光を当てている部分が違うというだけの問題だと今も認識しています。
食事のことや生活においてもそうですが、私は、様々良いといわれることに間違いはないと思っています。だけど、その質やレベルなどに差があったりして時に真逆の答えになることがあります。ホメオパシーもそうです。クラシカルとプラクティカル、どちらが正しくどちらが間違っているわけではありません。両方正しいのです。
そして、そのように様々な知識を積み上げて学んでいる中で、一つだけどんな考えのホメオパスも大切にしている部分があることに気が付きました。
それは、変わった感覚・独特の感覚でした。
感覚との出会い
卒業間近の時期に、サンカランというインドのホメオパスの講義を受ける機会に恵まれました。彼も感覚というのを特別に重視していました。また言葉ではなく、ジェスチャーから患者の言葉を読み取っていました。
感覚というのは、言葉にするのが難しいのです、だけど身体はその感覚を感じているので、ジェスチャーとして出てくるのです。
また、野口整体を学ぶ中で、野口先生の話を聞く機会に恵まれました。
そこでも、「感覚だけがその人」と話をされていました。そしてその感覚は身体が感じているということも。
これらが、現在の私の感覚重視のセッションにつながります。詳しくは『感覚を聴く』をお読みください。
ホメオパスとしての活動
卒業後、東京でホメオパシー相談会を始めました。
初めて、ホメオパシーを学びに行った場所で出会った、別世界。その世界にすっかりはまり、生活しているため、周りには、いつもホメオパシーを知っている人ばかりでした。その中で、相談会を始められたのは本当に幸せなことだったと思います。
その後も出産や育児期間を経ていきながら、様々な人と出会い、ホメオパシーのセッションを細々と続けていました。そして、震災を経て京都に移住。現在に至ります。
最初の頃は、来てくださった方の症状をなんとか良くしようと必死でしたが、今は、症状をよくすることにこだわっていません。症状は、なにかを気づかせてくれる為のサインにすぎないからです。
現在は、こう考えています。
私は、クライエントの方にとって一番良い方向に進んでいくお手伝いをします。その為、すぐに、現在お困りの症状が取れるとは限りません。
私が手助けできることは、クライエントの方が、本来の自分らしく生きていく為の一歩を踏み出すお手伝いです。そして、それこそが、その人が生き生きと輝き、健やかに生きる為に必要な事だということです。