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<今だから>読んでおきたい宮沢賢治  ⑥『春と修羅』序

2020.06.09 03:54

<7日間ブックカバーチャレンジ>の変型版(⁉️)文豪・宮沢賢治の作品解説、第6回目は詩集『春と修羅』の序より📖


本日は『春と修羅』全体の解説と序の解説を行います✏️


~春と修羅~

 

作品解説

 『春と修羅』は、賢治が生前刊行した唯一の詩集で、1924年(大正13年)4月、賢治が29歳の時に第1集が刊行されて、以後第4集まで刊行される。詩の多くは「心象スケッチ」と賢治自身が名付けた手法によって書かれ、時間の経過に伴う内面の変容、さらにその内面を外から見る別の視点が取り込まれている。


  タイトルにある「修羅」とは、仏教における六道である地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上のうちの「修羅」である。それは人間と畜生の間に位置するもの、つまり動物的な本能と、人間の理性や平常心との間に位置する争いや葛藤の状態を指す。本詩集と同名の詩「春と修羅」において「おれは一人の修羅なのだ」と語られることからも賢治が自らを「修羅」と感じるところからこの「心象スケッチ」は出発していると考えられる。


  ここでは、本詩集の序と2篇の詩を紹介しよう。それぞれについて本文と対照した要約および「超訳」を試み、その後に解説を施している。本日はそれらのうちの序を取り上げる。

 

~春と修羅  序~

一.

わたくしという現象は

假定された有機交流電燈の

ひとつの青い照明です

(あらゆる透明な幽霊の複合体)

風景やみんなといっしょに 

せわしくせわしく明滅しながら

いかにもたしかにともりつづける

因果交流電燈の

ひとつの青い照明です

(ひかりはたもち、その電燈は失われ)

 

第一連:この詩集の作者の自己紹介

  <わたくし>という存在は、確固とした固定したものではなく、生まれてから死ぬまで休みなく変化し続けているものの今たまたまこのような形で現れている現象のようなもので、仮に例えれば、ただ一個で孤立して存在するのではなく、周りの存在と交流電燈のように相互に有機的につながった<ひとつの青い照明>みたいなものである。それは透明な幽霊が集まったようなはかない存在である。また、別の言い方をすれば、今、眼前に展開している現象としての<風景やみんなといっしょに>宇宙の、神の、因果の流れの中でせわしなく、はかなく、しかし、たしかに光り続ける、<ひとつの青い照明>で、光はまだ発しているがすでに発光源としての電燈はなくなっているといったようなはかない照明なのである。このように自分ははかない存在だが、周りのあらゆる物と有機的に繋がり、かつ、宇宙の進行の因果律に従ってたまたま今、ここに間違いなく生きている存在である。

 

二.

これらは二十二箇月の

過去とかんずる方角から

紙と鉱質インクをつらね

(すべてわたくしと明滅し

みんなが同時に感ずるもの)

ここまでたもちつゞけられた

かげとひかりのひとくさりずつ

そのとおりの心象スケッチです

 

第二連:自分の詩(詩集)の紹介

  この集に収められた詩群は、過去二年間(二十二箇月)ほどの間にペンで書きとめられ、それを破棄することもなく書き残された私の心の明暗をスケッチしたものである。それらは、私個人の心の明滅を写したものだが、また、多くの人達にも共感してもらえるものだと思う。

 

三.

これらについて人や銀河や修羅や海膽は 

宇宙塵をたべ、または空気や塩水を呼吸しながら

それぞれ新鮮な本体論もかんがへましょうが 

それらも畢竟こゝろのひとつの風物です 

たゞたしかに記録されたこれらのけしきは 

記録されたそのとおりのこのけしきで

それが虚無ならば虚無自身がこのとおりで

ある程度まではみんなに共通いたします

(すべてがわたくしの中のみんなであるように

みんなのおのおののなかのすべてですから)

 

第三連:自分の記した詩を分かってもらえるだろうという期待感

  これらの書き記したものを、人間だけでなく、天空の銀河から、修羅界から海の中のウニに至るあらゆるものに読んでもらいたいと思う。皆が自分の詩群に、いろいろ理屈っぽい存在論を考えるだろうが、結局は私の心をありのままに写した詩なので、同じこの宇宙に存在するものとして共通点を持っているのだから分ってくれるだろう。私の中に皆がおり、皆の中にも私がいるように、お互い共通点を持っているのだから。

 

四.

けれどもこれら新世代沖積世の

巨大に明るい時間の集積のなかで

正しくうつされた筈のこれらのことばが

わずかその一點にも均しい明暗のうちに

(あるいは修羅の十億年)

すでにはやくもその組立や質を變じ

しかもわたくしも印刷者も

それを変らないとして感ずることは

傾向としてはあり得ます

けだしわれわれがわれわれの感官や

風景や人物をかんずるように

そしてたゞ共通に感ずるだけであるように

記録や歴史、あるひは地史というものも

それのいろいろの論料といっしょに

(因果の時空的制約のもとに)

われわれがかんじているのに過ぎません 

おそらくこれから二千年もたったころは

それ相當のちがった地質學が流用され

相當した證據もまた次次過去から現出し

みんなは二千年ぐらい前には

青ぞらいっぱいの無色な孔雀が居たとおもい

新進の大學士たちは気圏のいちばんの上層

きらびやかな氷窒素のあたりから

すてきな化石を發堀したり

あるひは白堊紀砂岩の層面に

透明な人類の巨大な足跡を

発見するかもしれません

 

第四連:序の考え(万物は流転する)を集約的に表白

  自分の詩に描かれた世界を作者や印刷者が永遠だと感じているだけで、すべてのものは変化流転し、実際には世界はどんどん移り変わっており将来全く別の理論がまかり通っているかも知れない。だから、私の詩も永遠不変のものというわけではなく、現在の私の心の明暗のスケッチとして気軽に読んでくれれば良い。

 

五.

すべてこれらの命題は 

心象や時間それ自身の性質として

第四次延長のなかで主張されます 

 

第五連:総括

  私の詩に託した考えは、結局は空間の三次元に歴史とか時間という四次元の観点を取り入れた柔軟な姿勢から発せられた考えである。


「序」の解説

 第1集に収められた作品を全て書き終え、詩集として刊行するに際して記した、いわばマニフェストに当たるのが「序」である。ここには彼自身の詩作に対する思考と方法とが暗示されている。


 ここで賢治は「わたくし」という現象について、詩について、作品と読者との関係について、それらを総合したものの場について述べ、「すべてこれらの命題は」時空連続体としての四次元の世界で主張されると言っている。言い換えれば、賢治自らを四次元中の世界点として、その一点から主張していると言える。


 これは主観主義の極みで、彼の心に感じるもの以上に確実にリアティーのあるものはなく、これはまた万人に確実に感知されるはずのものであるとされている。だから自然や周囲の変化にまかせて、詩人みずからの心に映される事実を忠実に記録している。それによって、詩人は読者のすべてに共通した心の光と影とを探ろうとするという彼の創作態度が表されているのである。