#23人目の著者①小学校編 『ぼくとわたしと本のこと』オマージュ
随分とおこがましい話ではあるが、以前紹介した『ぼくとわたしと本のこと』(高原純一+SUN KNOWS):センジュ出版を読んで、ある衝動に駆られた。
自分も、書いてみたい・・・
自分は小学6年生の時の夢が「小説家」だった。
物語を書くセンスは乏しいが文章を書くのは好き、本を読むのも好きだ。自分より年下の大学生たち(執筆当初)が自分と真摯に向き合い、書く過程で涙を流した時もあったと聞いたその本に挑むのは、「自分にでも書ける」ではなく「書くことを通して、読むことを問い直す」というその過程を自分も辿ってみたいからだ。
いや、実はちょっとだけ、「自分にも書けるのではないか」と思ってしまった。
しかし壁は大きい。なによりこっちには一緒に書いてくれる仲間も、見守ってくれる高原先生も、編集してくれる吉満さんも、解説を書いてくれる小川さんもいないのである。
単騎で乗り込もうという気概だけがある。
読んだ方は共感してくれると思うが、この本の著者たち、みんな格好いいのである。苦しんだり、心折れたり、挫折したりする姿までありありと書いてくれている。格好をつけないという格好良さが、そこにはある。
だから自分も、精一杯格好悪い自分をこの本と共に発掘していきたい。
自分の本との出会いは、かなり早い段階からだった。詳しくは忘れてしまったが、物心つく前から母親が、毎週近くの図書館に通って、借りられる限界の20冊分の絵本を借りてきては、読み聞かせをしてくれていた(らしい)。
1歳下の妹が生まれてからも、寝る前に母親が絵本を読み聞かせしてくれていた。そのせいで母親は早くして老眼になったというのだから、結構な頻度だったのだろう。よく読んでくれたのは『こんとあき』、『わんぱくだんシリーズ』、『ぐりとぐら』、『バーバパパ』、『ふうせんガム、ドン!』、『バムとケロ』などなど・・・。
いざ思い出してみると、書名が出てくる出てくる。子供の頃のことなど、すっかり忘れてしまっていた気でいたけど、大事なことは覚えているものだ。
小学校に入ると、定番のルートで読む本も共に成長していく。低学年がお世話になる『かいけつゾロリ』『ふしぎなかぎばあさん』『こまったさん』『わかったさん』など、お菓子とか美味しそうな食べ物が出てくる物語が特に好きだったのかも知れない。
小学校一年生の時の担任の先生が読んでくれた『おひさま』という絵本雑誌もけっこう好きだった。
二年生に上がると、学級文庫というものがクラスにあった。朝の読書の時間というものもあり、これまた先生が読み聞かせをしてくれるのだが、当時一番印象に残っていたのは『チョコレート工場の秘密』だった。毎日続きが楽しみだった。だが勉強の面に関しては、一年生の時には当たり前だったテストの100点が、この頃になると担任の先生の「字が汚い」という評価により不調になる。頭の回転に手が追いつかなかったのだから仕方がないだろう(という事にしておきたい)。しかしこの先生は授業中にその本の著者「ロアルド・ダール」を自分が偶々応えられたことを褒めてくれたこともあり、嫌いではなかった。この時は手に取ることはなかったが、『モモ』に出会ったのはこのクラスの学級文庫だった。
残念ながら、今でも字は汚い。
二年生ではちょっといじめられたり暗いこともあるのだが、当時は小さい上に細かったからまあ仕方がない。弱いものがやられるのは自然の摂理である。
三年生に上がると、更に読む本がレベルアップしていく。授業中の先生と同級生の会話で『ハリー・ポッター』を知ることになる。『賢者の石』を読んでのめり込み、『秘密の部屋』で更に熱は高まり、『アズカバンの囚人』に至っては日曜朝五時くらいから読み始め、夕方には読み終えてしまっていた。「読書狂」の片鱗を見せるのはこの頃である。西洋ファンタジーに興味を持ち、『ダレン・シャン』も何冊か読んでいた。
四年生のクラスでは、テストが早く終わった人から図書室に行って良い、というルールがあり、一番にクラスを出る快感と共に颯爽と図書室に向かった。
小学校高学年の時は、何年生で何を読んでいたか余り思い出せないのだが、『マジック・ツリーハウス』や青い鳥文庫の『夢水清志郎シリーズ』『パスワードシリーズ(パソコン通信探偵団事件簿)』『若おかみは小学生!』等に夢中になった。だいたい一冊2時間くらいで読み終わるので、借りたり買ったりした日にほとんど読んでしまっていた。物語の中に入り込むのが楽しくてしょうがなかった時代。まさに至福のひとときであった。4年生の頃だったと記憶しているが、同級生の女子から、本が好きならこれも、と薦められたさくらももこさんの『もものかんづめ』『たいのおかしら』などのエッセイも借りて読んでいた。
この頃から星新一やO・ヘンリーのショートショート、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズ、『坊ちゃん』など古い本も読むようになる。『巌窟王』なども背伸びして読んだがぜんぜん記憶にない。
小学校6年の時、毎年バレンタインデーにチョコレートをくれていた子から告白されるとともに、一冊の本をもらった。
『そして5人がいなくなる』はやみねかおる 夢水清志郎シリーズの第一作である。
向こうは乙女心が成立しているがこちとらまだ男子児童である。恋愛など成立しようもない。
気恥ずかしさと照れくささが勝ってしまい、返事もうやむやにしてしまったが、唯一後悔しているのは、ちゃんと本の話をすれば良かった。勿体ない。
小6から、児童書だけではなく、普通の小説も読むようになった。最大の転機は『博士の愛した数式』である。小川洋子さん独特の透明感のある文章と、別で読んだ『キリコさんの失敗』がなんとなく似ていると感じたことから、作家によって「文体」という色の違いがあることに気付くことになる。
そしてこの『キリコさんの失敗』こそが自分が万年筆という筆記具に興味を持つきっかけであり、「書く」ということの楽しさを教えてくれた分岐点となる物語であった。
小学校の6年間を読んできた本と共に振り返るだけでそこそこのボリュームになってしまった。
そして原本の本とわたし、のテーマに添えているかも不明である。まあ小学校の時にはそんなに悩みなどないのだから、物語の世界に没頭する楽しさしかないのも仕方はない。
これは本ではないのでページ数制限などはないのだから、次回は中学校編〜花の中二病生活〜を振り返ることにしよう。
『ぼくとわたしと本のこと』は一般書店でも、Amazonでも買えますが、上の二つのお店で買うと、もれなくご縁が付いてきます(笑)