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粋なカエサル

「感染症と人間の物語」22 江戸のはやり病(3)天然痘(疱瘡)③ワクチン

2020.06.11 23:09

 欧米などの一部の国では経済活動を再開する動きがある一方、アフリカ、ラテンアメリカなどで猛威を振るい続ける新型コロナウイルス感染症。治療薬とともに急がれるワクチン開発だが、深まる米中対立の主戦場の一つにもなっている。ところでこの「ワクチン」という名称。ラテン語のVacca(雌牛)に由来する。なぜワクチンと牛が関係しているのか?それは、世界初のワクチンは「天然痘ワクチン」であり、雌牛から取られたワクチンだったからだ。開発したのは、イギリスの医学者エドワード・ジェンナー(Edward Jenner 1749年―1823年)。その開発の経緯はこうだ。

 天然痘に一度かかった人間が免疫を獲得し、以後二度と感染しないことは古くから知られていた。このため、乾燥させて弱毒化した天然痘のかさぶたを接種して軽度の天然痘に感染させ免疫を得る方法がアジアでは行われており、18世紀にはイギリスからヨーロッパへと広がったものの、軽度とは言え天然痘であるため死亡者も発生し、安全なものとは言いがたかった。1773年、24歳で故郷のバークレイで開業医として仕事をはじめたジェンナーは一つの事実に注目する。

          「乳搾りの女性は決して天然痘にかからない」

 乳搾りの女性は弱い天然痘(命を落とす危険がない牛痘)にはかかるけれど、天然痘自体にはかからないという事実だ。牛痘にかかった人間は、手に水膨れができるが、そのことからジェンナーは、水膨れの中の液体が、何らかの方法で病気になるのを防いでいるのだと結論づける。そして、自分で考えた仮説を実践してみることにする。実験台になったのはジェームス・フィリップスという8歳の男の子(ジェンナーの息子ではなく、ジェンナー家の使用人の息子)。ジェンナーは、まず、サラという乳搾りの女にできた明らかに牛痘と思われる水泡から液体を取り出す。そして取り出した液体の一部をジェームス少年に“接種”。こうしたやり方をジェンナーは何日間もかけて、何度も繰り返し、接種する量を徐々に増やしていった。そして細心の注意を払って、ついに天然痘を少年に接種したのだ。

これが史上初のワクチンである天然痘ワクチンの創始となった。ジェンナーは1798年に『牛痘の原因と効果についての研究』を刊行して種痘法を広く公表し、1800年以降徐々に種痘はヨーロッパ諸国へと広がっていくこととなった。その後ルイ・パスツールが、病原体の培養を通じてこれを弱毒化すれば、その接種によって免疫が作られる、と理論的裏付けを行い応用の道を開いたことによって、さまざまな感染症に対するワクチンが作られるようになるのである。

 ジェンナーの牛痘接種法の情報がわが国に届いたのは1801年か1802年の頃。牛痘を最初に日本人に植えてみせたのは文政6年(1823年)に来朝したシーボルトといわれている。しかしこの時の痘苗は長い航海のため効力を失っており、結局ジェンナーの成功から50余年を経た嘉永2年(1849年)バタビアから取り寄せられた牛痘苗によって長崎出島の蘭館医モーニケにより行われたのが本邦での牛痘接種の始まりである。

 ところで、この牛痘種痘、日本人にすんなり受け入れられたかというと、そうでもなかったようだ。「種痘接種引札」がそれを物語っている。この「種痘接種引札」、当時は牛痘接種をすると牛になるという迷信を信じる人もいたため、種痘を勧める医師たちが種痘普及に努めるために作って多数領布したチラシ。そこには種痘の効能の説明が、牛痘児が疱瘡神を種痘針の槍で追い払う様子を描いた絵とともに書かれている。また牛痘の普及に対しては、漢方医から蘭方医への攻撃もあった。ある漢方医は「牛痘害あるの弁」というチラシの中でこう主張した。

「発症していないが、潜伏している病気を種痘によってうつすことになる。種痘をすることでその感染は数百人に及び、悪液に混らせて血統を汚し、まつりが絶える。つまり、子孫が絶えることは国家に不忠であり、先祖に対して不孝ではないか」

 それでも1858年には江戸の蘭方医により神田お玉が池に種痘所(東京大学の発祥)が設立され、1876年(明治9年)には天然痘予防規則が施行され、幼児への種痘が義務付けられるようになる。

「1796年5月14日、8歳の少年ジェームスフィップスに最初の予防接種を行ったジェナー博士」

「搾乳婦の牛痘を調べるジェンナー」

ジョン・ラファエル・スミス「エドワード・ジェンナー」

ルイ・パスツール

(「牛痘接種引札」) 「疱瘡の神とは誰か名付けん」 

疱瘡神を牛痘児が種痘針の槍で追い払おうとしている 

最後に書かれた歌 「親の苦もぬけて楽しむ嬰児(みどりご)の千代の命を結ぶとおとさ」

(「牛痘接種引札」)

天然痘になって泣きじゃくる子供を連れ去ろうとする疱瘡神を牛痘児が種痘針の槍で追い払おうとしている