ガイドライン
Facebook・小早川 智さん投稿記事
新型コロナ:感染予防にマスク着用不要 過度の使用控えてとWHO: 日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO56249640R00C20A3CZ8000/
指針によると、一般人でマスクが必要なのは、せきやくしゃみなどの症状がある人で、飛沫感染の防止に効果がある。こうした人を自宅で看病する家族らにも有効だ。
【感染予防にマスク着用不要 過度の使用控えてとWHO】
2020/3/1 17:59
【ジュネーブ=共同】世界保健機関(WHO)は2月29日までに、新型コロナウイルスの感染予防に向けたマスクなどの適切な使い方の指針を公表した。せきやくしゃみといった症状がない人は予防目的で学校や駅、商業施設など公共の場でマスクを着用する必要はないとして、供給不足に拍車を掛けないためにも過度の使用を控えるよう呼び掛けた。
WHOで緊急事態対応を統括するライアン氏も28日の記者会見で「マスクをしていないからといって、感染の可能性が必ずしも上がるわけではない」と強調。安心感を得たいとの気持ちは理解できるとして「マスクをする人を批判するわけではない」とした上で、手洗いの励行や、顔や目をむやみに手で触らないといった衛生上の注意点を守ることこそが「最も効果的だ」と言明した。
指針によると、一般人でマスクが必要なのは、せきやくしゃみなどの症状がある人で、飛沫感染の防止に効果がある。こうした人を自宅で看病する家族らにも有効だ。医師や看護師ら向けの、ウイルスを通しにくい「N95」と呼ばれる保護マスクも全ての治療時に必要ではなく、通常のマスクで問題ない場合もあり、治療内容に応じた使い分けを推奨している。
中国など感染者が多数いる国からの荷物取り扱いの際にも、マスクや手袋の着用は必要ないとしている。〔共同〕
3月1日の時点でWHOはマスク不要論を公表しています。
死亡率の低い日本で 未だマスク着用が勧められ 安倍のマスクが送られ続けているのはなぜでしょう。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/60456 【外出自粛なのに巨費投じてマスク配布、拭えぬ違和感 今や安倍官邸の「愚策」の象徴となった2枚の布マスク】
2020.5.10(日)青沼 陽一郎
https://matome.naver.jp/odai/2158692025757017001 【アベノマスクとは?「アベノマスク届いたよ報告」Twitterで鼻が出ると話題に…466億円が…】 4月1日の表明です!!
Facebook・杉田穂高さん投稿記事
トランプもトランプ支持者もマスクはしていない。
自分はトランプ支持者でも反対派でもない静観派だがマスクは出来るだけしない
https://toyokeizai.net/articles/-/355647?fbclid=IwAR1WPj8hBJeewudhjNwVYgobgG6a2RErRJ5ZEDaJFuD0QdddREBu4qpmN9Y
【「絶対にマスクしない」米大統領が起こす大波紋 米国で勃発する「マスク代理戦争」意外な中身】抜粋
トランプ大統領が意地でもマスクをしない理由
アメリカ在住の医療関係者はこう指摘する。
「トランプ大統領がマスクをしないのは、マスク=新型コロナといったイメージがあり、コロナが蔓延していて大変だというイメージを国民に与えてしまうためだと言われています。
アメリカでの死者が10万人を超えたときも、ツイッターで哀悼を示したのは翌日で、できる限り新型コロナの影響力が拡大しているという印象を世間に与えたくない、という様子が感じられます。そんなウイルスに動じることなく、速やかな経済活動の再開、強いアメリカを印象づけるためにマスクをしないといわれています」
https://www.huffingtonpost.jp/entry/drtakeshi-nakajima-interview_jp_5ed817cac5b6c0b2f10e5896?ncid=other_facebook_eucluwzme5k&utm_campaign=share_facebook&fbclid=IwAR31KipVPFk6YiDJGFgP-9w2xIJaEsM4uWeGdah_SJnvxd68FSiTrjf0SM0 【安倍首相は「戦後民主主義のあだ花」か? 政治学者中島岳志が分析する「本質を忘れたリーダー」とは】
Facebook・蛯名 健仁さん投稿記事 【独自】ライブハウス新基準
〜観客は無言・握手は毎回消毒〜
19日以降、営業再開が可能となるライブハウスについて、政府は「出演者と客の間に2メートルのソーシャルディスタンスを確保する」などとするガイドラインを取りまとめ、近く公表する。
政府がまとめたガイドラインでは、
「出演者と客の間を2メートル空けること」、「店が狭く2メートルを確保できない場合は、フェイスシールドを着用する」、「客同士は1メートルのソーシャルディスタンス」などの内容が盛り込まれている。
業界側もガイドラインを作っていて、小規模なライブハウスの団体「日本音楽会場協会」では、「演奏中、歌手の前には飛沫を遮断するものを設置して、ほかの演奏者はマスクを着用」、「観客が歌う行為は禁止」などのほかに、「握手会は自粛」とし、例外として「すべての握手の間に手をアルコール消毒すれば実施できる」とする案などを検討している。
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もう笑うしかないですね〜。(笑)
ライブハウス虐めとしか言えません。
ずっとこの先この基準で演らせるつもりなんでしょうかね〜。
政府のガイドラインは狂っています。
そんなことよりも、人工地震、気象操作、ケムトレイル、5G、種子法、ワクチン強制、売国行為、思考操作すべて、止めなさーーーーーい!!!!!
Facebook・小松郷伸さん投稿記事
<コロナウィルス関連ニュース>
コロナ禍によって暴かれたのは、良くも悪くもそれまでの人間関係でした。特に緊急事態宣言以降、わたしたちは身近な人々の言動に激しい怒りを感じたり、呆れ返ったりすることが明らかに増えたはずです。あえて辛辣な例え方をすれば、動物を用いた悪趣味な心理テストのように、家族や職場などの人間関係というものが、特定のストレスによってどう変化を遂げるかが試されたわけです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f8cb53d66b57b903f1970ed65df626f4354a347f?fbclid=IwAR3g4u9Ec_DSOunlj4HXLVAFvDppQ3R-eKuyZ1R53LCmK2D9vlNRsO8jxI0
【コロナ前に戻りたい? 仕事に家族…非常時にはがされた「化けの皮」 人間関係を「見切る」きっかけに】 6/12(金) 7:00配信
新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)は、この先何年も(ひょっとするとさらにもっと長期間にわたって)付き合わざるを得ない「日常風景」になりそうです。一時期は、「コロナが終わったら何がしたい」といった無邪気な声も聞かれましたが、「コロナありきの社会」へと考えをあらためなければならなくなりました。これを「悪夢」ととらえるのは簡単ですが、満員電車の通勤や、意味もなく続けていた会議の日々が「天国」だったのか、冷静に考え直す動きもあらわれはじめています。人間関係を「見切る」「差し引く」きっかけとしてのコロナについて考えます。(評論家、著述家・真鍋厚)
リトマス試験紙だったコロナ禍
コロナ禍によって暴かれたのは、良くも悪くもそれまでの人間関係でした。特に緊急事態宣言以降、わたしたちは身近な人々の言動に激しい怒りを感じたり、呆れ返ったりすることが明らかに増えたはずです。あえて辛辣な例え方をすれば、動物を用いた悪趣味な心理テストのように、家族や職場などの人間関係というものが、特定のストレスによってどう変化を遂げるかが試されたわけです。
テレワークに移行した途端、職場の上司や同僚と直接話す機会が減り、ひどく不安になった人々、驚くほど快適になった人々。家で過ごすことが多くなり家族との絆が深まった人々、かえって家族とのいさかいが起こりDVや離婚に至った人々。困った時に周りに相談したり助けを求められる仲間がいることに気付いた人々、いないことに気付いて愕然としてしまった人々……枚挙に暇がありません。
いわばコロナ禍は「人間性を判定するリトマス試験紙」であったのです。コロナ以前であれば誤魔化すことができていた「不都合な真実」が次々と露見していきました。
平常時から薄々、感じていたこと
「感染症から社員を守る気がない経営者」「部下を監視することに熱中して仕事をしていない上司」「子育てや家事に協力的ではないパートナー」等々、恐らく大部分の人々は平常時から薄々感じていたことばかりだったのではないでしょうか。
しかし、それを軌道修正するにはあまりにも時間と労力を要することを理由に、問題と真正面から向き合うことをせずに先送りにしていたのです。
けれども、緊急事態宣言が発令され、感染者の増加と有名人の訃報、重症化のリスクと死の恐怖が様々なメディアによって拡散され、政府の無策と失態による経済的な被害が着実に拡大していく中で、誰も彼もが多かれ少なかれ「人間性の危機」に対処する必要に迫られました。
突き刺さるフランクルの「箴言」
コロナ禍によってテレワークなどの働き方が加速したといわれていますが、人間関係でも「見切る」「差し引く」考え方が加速したことは否めません。過去を振り返ってみると、このような局面は3.11でも生じていました。
ナチスの強制収容所の生き証人で、実存分析(ロゴセラピー)の創始者であるV・E・フランクルは、「すべては、その人がどういう人間であるかにかかっている」と述べました。
第二次世界大戦が終わった直後のニヒリズムや悲観主義に対する返答だったのですが、現在のコロナ禍ではなおさら痛いほど突き刺さってくる教訓とも言うべき箴言ではないでしょうか。
フランクルは、強制収容所での有名なエピソードを取り上げます。ナチスの親衛隊員である収容所の所長が、密かに自分のポケットマネーで囚人のために薬を購入していました。他方、同じ収容所では、最年長者の囚人が、囚人仲間を「ぞっとするような仕方で」虐待していたのです。
フランクルは、この経験を踏まえ「最後の最後まで大切だったのは、その人がどんな人間であるか『だけ』だった」と主張しました。
「人生も、健康も、幸福も……すべてが疑わしいものになり」「すべてが、裸の実存に還元され」るのだと。(以上、V・E・フランクル『それでも人生にイエスと言う』山田邦男・松田美佳訳、春秋社)。
ますます試されていく「人間性」
この真理は現代においてもまったく変わるところがありません。わたしたちはコロナ禍が始まった時も、これからもますます「人間性」を試されるのです。
そのような普遍的な視点から眺めれば、ウィズコロナ、アフターコロナの時代は案外悪いものではありません。化けの皮が剥がれやすくなったからです。
近年、人の尊厳を保つのに必要とされる信頼関係やコミュニティといったソーシャル・キャピタル(社会関係資本)の重要性に関心が注がれています。コロナ禍がそれらの再考を迫る強力な起爆剤になっている以上、既存の帰属先や関係性を見直す人々が多くなっていくことが予想されます。
分かりやすく言えば、「人間性を疑う身近な人々と今後どう関わっていくのか」ということであり、抽象的な表現をすれば、フランクルの「裸の実存」に基づいて改めて自分自身の生き方が問われるのです。
「以前のような働き方には戻りたくない」「こんなパートナーとは付き合いきれない」などといった感慨は、「何を守るために、誰と、どう生きるのか」という大きな問題の枝葉でしかありません。
もともと「遊動者」だった私たち
人類学者の西田正規は、「定住革命」について「逃げられる社会から逃げられない社会へ」というフレーズで表現しました。
その昔、人類は「定住者」ではなく住む場所を自由に選ぶ「遊動者」として生きていました。それが劇的に変化したのはおよそ1万年前といわれています。
「ある時から人類の社会は、逃げる社会から逃げない社会へ、あるいは、逃げられる社会から逃げられない社会へと、生き方の基本戦略を大きく変えた」のです。
<霊長類が長い進化史を通じて採用してきた遊動生活の伝統は、その一員として生まれた人類にもまた長く長く受け継がれた。定住することもなく、大きな社会を作ることもなく、稀薄な人口密度を維持し、したがって環境を荒廃することも汚物にまみれることもなく、人類は出現してから数百万年を生き続けてきたのである。
だが、今、私たちが生きる社会は、膨大な人口をかかえながら、不快であったとしても、危険が近づいたとしても、頑として逃げ出そうとはしないかのようである。生きるためにこそ逃げる遊動者の知恵は、この社会ではもはや顧みられることもない。――西田正規『人類史のなかの定住革命』講談社学術文庫>
自分を不幸にする基本戦略
地震や噴火、津波や大洪水といった自然災害を、「遊動者」は身軽に移動することでかわす術を心得ていましたが、わたしたちは「定住」という言葉が示す通りあくまで留まろうとしてしまいます。
これは物理的にというより心理的にです。住居というストックが象徴的ですが、所有という概念に根差した固定的な社会があるからです。
関係性に対するスタンスもこの傾向に半ば惰性で引きずられ、非常時においてもこの「基本戦略」を忠実に遂行しようとして不幸になっているのです。
「不快であったとしても、危険が近づいたとしても」、「人間性を疑う」カルチャーが支配する関係性を守ることを選んでしまうのです。損して得を取れ――自分らしい生き方を犠牲にしたり、ストレスを感じる相手と過ごさざる得ない中で尊厳は損なわれるが、他者の目から見ればまんざらではない生活を過ごす見返りは得られる――というわけです。
「今の世界」を愛せるきっかけに
当たり前ですが、わたしたちは気まぐれに「遊動者」へと先祖返りするようなことはできません。そのような社会はほとんど存在しないからです。
とはいえ、「遊動者の知恵」から学ぶことはできます。
今日的な「遊動者の知恵」とは、「裸の実存」を物事の判断の中核に据えて、尊厳が損なわれかねない場所から、実りのない関係性から、素早く距離を取ったり、軽くいなしてしまうフットワークのことです。冒険を恐れずに新しい仕事や新しいつながりを作ることだってそうです。
「わたしたちはもう元の世界には戻れない」――SF小説の台詞のように聞こえるかもしれませんが、これがウィズコロナののっぴきならない現実なのです。
ならば、わたしたちはむしろ、「元の世界」に満ち満ちていた不正や欺瞞が自ずから露呈する「今の世界」こそ愛さなければならないのではないでしょうか。
Facebook・池内 秀暢さん投稿記事
■その体調の悪さ・・・マスクのせいかもしれない
昨日・・・30歳代のOLの方が体調不良で来られました。
このところ胸がしんどく、時折心臓の鼓動が高まってきて、息が止まってしまうのではないか? という不安があり、体調が思わしくない。 食欲もないし、身体もだるい・・・気分も悪くしんどい・・・とのこと。
なんとかならないか? というご相談でした。
いくつか質問させていただき、その中で、仕事中は、一日中マスクを着用しているという事。
呼吸器に関する機能低下と自律神経が関係しているのではないか?・・・と推測。
マスクを一日中つけていると、呼吸の出し入れを阻害するわけですから、人体に影響が出ても不思議ではありません。
そこで・・・安静時の血中酸素飽和濃度を調べてみました。
血中酸素飽和濃度は、器具にて簡単に計測できます。 医療機関に行くと、四角い形のを指先に挟んではかるやつです。
数値化されて表示されるのですが、数値は%で示されます。
血中酸素飽和濃度は、96%~99%が正常値とされていて、30代の健康な方ならば、ほぼ99%ある方が多数を占めていると思います。
95%以下ならば、なんらかの原因にて障害が生じている。
90%を切ると呼吸不全。 このように考えられているようです。
計測してみると…なんと!! 93%しかない!! 30歳台で、しかも安静時のこの数値は問題があります。 血液の中の酸素不足です。 それはしんどいだろうな…・と数値で納得。 1分間の心拍数は76位でした。
そこで、呼吸器系の機能回復を目的として1時間ほど施術をさせていただきました。
施術した部位は・・・・腕 肋骨体側部周辺と胸部 足 頸部
施術終了して・・・また器具で測ってみました。
93⇒99 に回復していました!! 1分間の心拍数は70位。
看護師さんなら、よく患者さんの血中酸素をはかっていらっしゃると思いますので、この短時間における数値変動はすばらしい・・・とご理解いただけるのではないでしょうか?
クライアントさんは・・・・来た時と比べて全然違う。気分も息も胸の圧された感じも全然違う・・・とおっしゃってくださいました。
これは・・・・長時間のマスク着用による呼吸阻害が原因ではないか?と想像致します。
一日の中で長時間マスクをしていて、体調が思わしくないと感じる方は、そのマスク着用が原因かもしれません。
先日シリーズにて、呼吸と細胞に関する投稿をさせていただきましたが、呼吸は体調をはかるうえで大事なんです。
今…会社内部や公共の場では、マスク着用がルールのようになっていますので致し方ない事ではありますが、 一日長時間のマスクを着用している方で、もし・・・体調が何となくすぐれない・・・と感じる方は、そのマスクが原因かもしれません。
合間合間で、一日に何回か・・・マスクを外して、強い呼吸を数回行ってみてはいかがでしょうか?