土に還る 2
6月になって気温が一気に上がる。
この日は真夏日で34°cを記録した。
車の中でも陽射しが眩しくて
いつまでも冷えないエアコンの
送風口を自分の顔に向けた。
夫がよく行くインテリアショップの
2ndショップが
郊外の森の中にオープンしたと聞き
出かけた。
なるほど素敵な森だった。
背の高い木々に囲まれたその敷地の中には
レストラン、
ギャラリー、
インテリアショップ、
カフェ、
レンタルギャラリー
の建物があり
様々な形で
森の中に溶け込んでいた。
一つ一つの建物が
趣を変えて
シャープさや
柔らかさを醸し
木々と融合している姿も
美しかった。
でも
そんなオサレな場所でも
1番に
感じたのは
森の中の心地よさだった。
ここに向かうまでの
陽射しの厳しさが
木々の中に足を踏み入れた途端に
心地よい温度と湿度に変わり
身体を包み
そよ風がわたり
肩の力がぬけて
呼吸が楽になる。
木々の息づかいの
緑の香りが
呼吸とともに
脳細胞に届き
オキシトシンが
あふれだす。
直射日光の空気が34°cあっても
この森の中は
多分7°cくらい
マイナスなのではなかろうか。
外のテラスで
食事をしても
少しも暑さを感じない。
木漏れ日の光と
みどりの吐気も一緒に
いただき
心も身体も満たされていく。
森と一緒に
呼吸をして
真っ直ぐ伸びた
木々と同化して
背筋も伸びていく気がした。
チリチリとこげそうな
真夏日を
数日やり過ごしたら
とうとう梅雨入りした。
降りそうで降らない
蒸し暑い夜
長女から
久しぶりに
ラインがきた。
「梅雨入りを前に
眠れなくなってる。
この時期恒例の
鬱っぽい。
眠れないから
ピリピリして
些細なことで
悲しくなってしまう」
ああ、また1年経った。
久しぶりの長女のSOSに
毎年恒例の眠れない
起きれない、
情けなさで
悲しく
苦しくなり
そして学校に行けなくなる。
一月半の期間、
悩みながら
試行錯誤して
少しずつ
乗り越えてきた
鬱の時期が
今年もやってきた。
浪人時代から
いや、よく考えれば
高校生から
始まっていた。
「そんな時期だね。
眠れないことを思いつめないで
心がけて
身体を動かしたり
ヨガをしたりしてね。
無理に元気なフリをしないこと。
それから
お母さんオススメは
裸足で土の上に立つこと。
地面がエネルギーをくれる気がするよ。」
「お母さんの勧める療法は
医療的な根拠のないものばかり」
いつも、文句を言われるけど
それも承知で
ラインを送った。
すると
こんな写メが送られてきた。
長女の尊敬する
長男にモバイルハウスの設計図を
くれた、
躁鬱病で苦しみながらも
作家として
画家として
創作活動を続ける
坂口恭平氏のツイッターだった。
「坂口恭平もお母さんと同じようなこと
書いている。
畑を始めてから
すごく画が変わったんだよ。
色もすごく綺麗なの。」
その効果が画にも現れるとなれば
文句どころではなかった。
少し遡って読んでみると
躁鬱病の対策のためか
畑仕事を約2ヶ月続けているそうだ。
躁鬱病が治まり
とても元気になられている模様。
そして畑の作物のように
自分の薬も自分で作れる、と
「自分の薬をつくる」
という、新刊の発売も
予定されているらしい。
この時期に
同じように
土に還ることを
実践している人が少なくないことは
何か大きなタイミングにきている、
そんな気がしている。
2年前に知り合った方が
60才を過ぎて膵臓癌を患い
治療法もなく
もう助からないと
仕事もやめて
身辺を整理し
死を待ちながら過ごしていた時に
無農薬のご自慢の畑を持つ方から
騙されたと思って
畑に足を入れてみろ、
と言われて
フカフカのあったかな土に
足を入れたら
30分もしないうちに
赤紫色にはれた
むくみがとれて、
それから毎日、畑療法で
生きながらえた、と言われていた。
元気になられた今
人助けにと
いろいろな治療法を伝授されて
いる。
半信半疑で聞いていたけれど
自身が土に触れて
手からも足裏からも
何かが吸引されて
またエネルギーが上がっていく
体感を得る今
そういう話も
なるほど
あり得るのかもと、
そう思う。
畑仕事でなくてもいい。
草取りでも
泥団子作りでも
花のお世話でも
なんでもいい。
まずは
スマホを置いて
裸足になり
手と足で
土に触れて、
土に還るとき
風を感じて
ゆっくりと
深呼吸してみよう。
頭の中の雑音も
心の中の心配も
いつしか消えて
鳥の声
虫の羽音
蟻の行進
音なき音までが
聞こえてきそうな静寂と
一つになったように
思えるとき
「土に還る」
その言葉のままに
身体が土と同期して
トトノエられながら
地中の核とつながっていく。
そしてその恩恵は
ひらめきとして
新しい小さな扉を
開いていくのではないか。
そんな気がしているのである。