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駒込珈琲物語

5. 「おれはゴメス」

2020.06.12 15:05

画:織田博子さん(「こまごめ通信」より)






「最近、見るようになった顔だニャ。元気にしてるかニャ?」

 

 

 ふっくらとした、毛並みのよい三毛猫が、しゃべった。私は、目を丸くした。

 

 

 

「あら、ゴメス、今日はこっちまで遊びに来てたのね」

 

 

 通りすがりの女性が、優しい笑顔で三毛猫に話しかける。

 

 

「あやかさん、こんにちニャ。お買い物に行くのかニャ?」

「そうなの、霜降の方まで行ってくるわ」

「気をつけるのニャ」

「ありがとう」

 

 

 優しい笑顔のその女性は、私と目が合うとにっこり笑って会釈した。私もぺこりとお辞儀をして、その背中を見送る。

 

 

「これから、どこに行くニャ?」

「えっと、その……」

「ああ! 失敬、失敬、自己紹介がまだだったニャ。おれはゴメス。みんなはおれを、いかした三毛猫と呼ぶニャ。このまちで生まれ育った、駒込っ子ニャ」

 

 

 『ゴメス』と名乗った、恰幅のよい、いかした三毛猫は、ひげをぴんと伸ばした。

 

 

「名前はなんというのかニャ?」

「ほ……堀口、栞です」

「しおりだニャ。よろしくなんだニャ」

「あの……ゴメス、さん?」

「さん、はいらないニャ」

「それじゃあ、ゴメス……は、どうして、しゃべれるの?」

 

 

 ゴメスは黙り込んだ。目を静かに閉じた。茶色の鼻が、呼吸するたびにぴくぴくと動いている。私は緊張して、次の言葉を待った。

 

 

「よく、わからないのニャ」

「え」

「気がついたら、みんなと話せるようになっていたんだニャ」

 

 

 そして、ゴメスは目を細めて、甘く可愛らしい声でニャーンと長く鳴いた。その愛らしい声に、肩の力が抜けた。まあ、いっか。細かいことは。人も猫もしゃべる街、それが駒込という街らしい。

 

 

「それで、しおりはこれからどこに行くのかニャ?」

「えっと、霜降銀座のフタバ書店に寄って、それから珈琲を飲みに行こうかなって……」

「フタバ書店さんでは、どんな本を買うニャ?」

「ドナルド・キーン先生のご本を探せたら」

「キーン先生! それは、とてもいい思いつきなのだニャ」

 

 

 ゴメスは、何度も深く頷いて、前脚で顔を洗った。好奇心が湧いてきたので、思わず尋ねてみた。

 

 

「ゴメスがおすすめするとしたら、どんな本?」

「それは……しおりの心が動く本が一番なのだニャ」

「心が、動く?」

「そうだニャ。ぱっと見て、心が動いた本があったら、しおりにとって、いちばん旬な言葉が書かれているはずなのだニャ。本も、魚も、旬のものがいちばんなのニャ」

「難しい言葉、知ってるのね」

「これくらい、常識ニャ。ちなみに、坂の上の魚文さんは、いつも美味しい旬の魚をお裾分けしてくれるのニャ」

「ふうん……」

 

 ゴメスは上を向いて、鼻をぴくぴくさせた。ひげが揺れる。

 

 

「あっちの角から、いい魚の匂いがしてくるニャ。それじゃ、しおり、また会おうニャ」

 

 

 そう言うとゴメスは、くるりと踵を返して、悠々と歩き始めた。甘く可愛らしい声で、鼻歌を歌うのが聞こえてくる。

 





 その後ろ姿をしばらく眺めてから、私も歩き始めた。ゴメスのさっきの言葉がリフレインする。心が動く本、か。私は、青い空を眺めて、思いっきりのびをした。2月の空気を吸い込むと、沈丁花の香りが心と体に染み込んだ。

 

 

 そうね。まずは心が動く方に、歩いていってみよう。私は頷いて、歩き始めた。

 

 

 


(つづく)