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2.東京、ときどき大阪。

2020.06.12 13:53


大阪出張から無事帰還して、けんいちはまたごく当たり前の日常を過ごしていた。


大阪での仕事も上手いこと取り纏めることができ、上司もえらくご機嫌なのが見て取れた。


彼女にはあの日帰ってから今東京着きました、とだけ手短にメールを入れた。 その後すぐに着信があり出張の間にあった出来事を彼女はけんいちに山ほど聞かせた。

会社の同期と飲みに行ったこと(実はそれが合コンだったこと)、ネイルを新しくしたことサロンで前髪を少し切ったこと、けんいちに実は会いたくて仕方がなかったこと。

事細かに報告してくれる彼女に彼はうんうん、と小さく相槌を打つのだ。


その日もランチミーティングを終えて喫煙ブースで一息ついていた。


けんいちは今、大手旅行会社で仕入れの営業に当たっている。

国内外のホテル、交通機関食事のあらゆる団体手配を少しでも安く質の良いものを仕入れてくる。

その部署も去年からで、入社した時は一般の営業に同行して外を回っていた。 そういう訳で都内で過ごすよりも地方出向が増えたのだ。


喫煙ブースから眺める地上16階の都内の景色がいやに久しぶりに思える。

空とビルの境の曖昧なよく見知った街並みに、くゆらせた煙は陽の差し込む窓ガラスに吸い込まれて溶けた。

ワイシャツの胸ポケットから僅かな振動を感じて、けんいちは煙草をくわえながらそれを取出した。

きっとメールか何かだろうとディスプレイを見ると不在が一件。

相手はこの間もメールを寄越した幼なじみ、けんいちはすぐに発信ボタンを押した。


『ああ、大野?』 と、相手は2コールかそこらですぐに応答する。


「杉山久しぶり。どうした、こんなど平日の真っ昼間にお前から電話なんて初めてだな。」


『いや、無性にお前の声聞きたくなって。』


「まじで気持ち悪いから、で何?」


気持ち悪いって何だよ!と、殊更大げさな声が受話器越しに聞こえたのでけんいちは少しだけ携帯を遠ざけてから、喉の奥で小さく笑った。


『そう、こないだの同窓会。あれなとりあえず次の正月ってことになったから。』


「ああ。そうか、じゃあまた年末詳細ってことな。」


けんいちは灰を落としながら頷く。


幼なじみの杉山とはもうずっと昔からこの調子だ。

古い言葉を借りたなら杉山の存在は唯一無二というんだろうなあ、と学生時代に何度となく感じていた。

余計な事を言ったり言われたりしながらも、お互いの価値観のようなものは酷くぴったりでやけに居心地が良い、それが杉山さとしという男。


『そ。でな、後これは来月の話で、こっちに出て来てる奴らで飲みに行くことになったから。』


「何それ。誰がくんの?」


『穂波とか。』


「いや、それはお前の彼女だろ。」


『平岡とかさ、城ヶ崎とか。』


あとは関口とか、と久しぶりに聞く懐かしい名前にけんいちは半ば呆気に取られた。


「急だな。」


『急?そうか。穂波とはもう半年くらい前から、皆集まりたいなって話してたんだけど。』


それが世界の常識みたいに杉山が言うので、けんいちはもうこれ以上何も返せなかった。


『さくらは、まあ穂波が引っ張ってくるしな。』


これもまた久方ぶりに耳にする名前だった。


「ああ、さくらも東京組か。」


『大野は多分、高校卒業以来会ってないもんな、さくら。楽しみだな。』


「何がだよ。」


『じゃあ、また近くなったら連絡するな。』



はいはい、また、じゃあと電話を切るとすっかり灰だけになった煙草を揉み消した。


さくらももこ


けんいちの脳裏に誰かが薄く蘇る、それよりもけんいちが一番自身に驚いたこと。


つい今しがた杉山が羅列した同級生の名前の中、『さくら』という名前の響きだけが、けんいちの耳にはひどく馴染んでいたことだった。