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3.薄情者のラブレター。

2020.06.12 16:20

ももこが実家に帰ったのは、12月26日の夜。


もともと仕事納めは28日だが、土日を挟む為皆有休消化にその日をあて、事実上一般企業に比べたら2日程早い年末休暇となった。


そういう個人的な融通が通用する当たりが中小企業の魅力だ、と実家のこたつに鼻下まで潜り込みながら、そんなことをぼんやり思った。


ももこが実家に戻ったのはお盆以来なので僅か半年やそこらの事なのだが、生まれ育った我が家は安心と同時に、どことなくよそ行き顔に見えたりもしたのだ。


年末の東京はいつにも増して忙しなく感じた。


行き交う人の顔や歩幅、交差点の車両までだれもかれもが年の瀬に焦りと得体の知れない達成感を浮かべていた。


あの夜、東京に初雪が舞った夜、ももこはけんいちの目を真っ直ぐ見れなくなってしまった。


生来、根が素直な事が彼女のチャームポイントであった筈なのに、今回に関してはそれすら裏目に出ていた。


それは他人にも自身の気持ちにも素直になってしまったが故に、気付いてしまったらとんでもなく罰当たりな事に思えた。


たかしに不満もない、ましてや自分に向かってくる好意にとても救われている。


それなのに何故こんなにも浮かぶ顔はけんいちなのだろう。


拭っても拭っても手に残るのはうっかり触れた彼の指先の熱さだし、耳の奥で響くのは「相変わらずだな。」と、呆れた様に笑う声なのだ。


そんな状態を益々悪化させないように、ももこは彼の声も顔も見ないよう、もし会ったとしても2人きりなんてならぬ様にと、そうして残りのひと月を過ごしてきた。


そう、遥か太古の遺跡の様に深く奥深くに沈めてしっかりと鍵をしたのだ。


点けっぱなしのテレビは年末特番を昼夜放送し、始めこそは興味半分に観ていたりしたが、とうとうそれにも飽きた頃ちょうどたかしからの電話が鳴った。


卓上の携帯を手探りで掴むと耳にあてがう前に通話ボタンを押した。


たちまち遠巻きに下界の物音と、たかしのもしもし?という問いかけが飛び込みももこも同じ様に返した。


『あ、さくら寝てただろ?』


唐突にたかしに言い当てられ、う、鋭いなあなんておどけながらもまだこたつの中で微睡んだ。


「たかしくん、今外?」


『そう、今さっき新幹線乗ったの。』


「うわ!贅沢だねえ、バスで帰んなよバスでさ。」


今年1年頑張った自分にご褒美、と電話口でたかしが可笑しそうにしていた。


「ていうか。たかしくん、車あるんだし車で帰って来なよ。」


深いオリーブのミニクーパー、そうしたら愛犬を横に乗せ周りにも気を遣わずに済むというのに。


『やだよ。1人と1匹なんていかにもな感じじゃん。』


「何それ。」


『さくらもいないのに、車で数時間は寂しいてこと。』


ああ、なるほど、と合点がいったように振る舞うとたかしが自惚れ屋と再び可笑しそうに笑った。


と、同時に微かに煙を吐き出す息遣いと、スモーキングエリア内だろうと思われるファンの音が聞こえた。


『さくら明日は予定あるの?』


「うん、未定。」


『穂波は?同じ日位にそっち帰ってくるって言ってなかった?』


「ううん、帰って来てるんだけどね。杉山くんも帰って来ててさ。」


『捕られちゃった?』


ザッツライト、調子よくそうももこが返すとたかしは残念だなあと相変わらずの様子に目を細めた気配がした。


『じゃあデートしよか。』


「あら、賛成。」


ちょうどテレビにも飽きてたところだったし、のんびりとたかしと地元を歩き回るのも素敵な事だ。


その時、そんな安穏とした会話の中でたかしがふと、あ、と素っ頓狂な声を上げ、次に大野くんと聞こえたもんだから。


ももこの心臓は止まってしまいそうになり、更に久方ぶりの彼の声がくぐもった電波の向こう、確かに聞えてきた。


奥深くに鍵をかけて沈めた、なぜその鍵も一緒に沈めなかったのだろう。


そんな自分に酷く酷く、ももこは後悔した。



***



息を吐く暇もない程に左の胸が騒いだ。


たかしは「またかけるね。」と、ももことの通話を切った。


携帯の向こうでは無機質な終了のノイズが低く響き、ももこの耳の奥にこびりついた。


たかしは今何と言ったのだろうか。


「大野くん?」と、確かにそう問いかけていた。

この向こうに彼がいた、きっと彼もさぞかし驚いたに違いない。


全く神様は何を考えているのだろう。


この小さな島国でも億を超える人々を掻き分けて、どうしてこうも次々ととんでもない巡り合わせをさせるのか。


偶然と呼ぶにはあまりに物騒で、尚且つそんな偶然に一瞬でも手放しで喜んでいた頃の自分がとても愚かなことにももこは思えた。


だから現にこうして、苛立つ程の動悸と正体不明の高揚感に悩まされているのだ。


そうだ、そもそもけんいちに再会さえしなければ。

あの日、偶然にもけんいちの会社の仕事を担当さえしなければ。


成長した彼を眩しく感じ、もっともっと遠巻きに見ていたら。


もしも、もしも。

それがどれ程無駄で無意味な問い掛けでも、今のももこには巡らさずにはいられなかった。


ももこは更に体を丸めるとこたつ布団をしっかり頭まで被り、膝を抱えて小さく唸った。


翌朝の静岡県清水市の天気は曇り。


厚い厚い雲が街中に立ち込めていた。


今朝の天気予報は午後から寒波をもたらす、それは雪雲になるだろうと告げていた。


昨日あの後、たかしは約束した通り再び電話をくれた。


そしてけんいちと偶然にも同じ新幹線だったこと、たかしとももこ2人してけんいちに再会したことを不思議だと語り、ももこはももこで「私達、“大野くん運”があるんだよ。」なんて心にも無いことを薄らぼんやりで返した。


それから今日の集合時間や場所なんかを何となく決めて、ももこは今そこでたかしを待っている。


地元での待ち合わせは何となくそわそわする。


東京と違ってすっかり馴染んだ街並みに、通行人のほとんどが顔見知りに思えてならなかった。


タートルネックのニットワンピースで寒さがしのげると思ったが、ブーツの中の爪先は痛いくらいに冷えきっている。

手持ちぶさたに携帯を閉じたり開いたりさせてみるが、予定の時間にはまだ15分程早かった。


いつもなら待ち合わせぎりぎりに到着する彼女の、落ち着かない心情に比例した時間だった。


確かに天気予報は当たりかもしれない。


先程までは薄ら明るかった空が、今は射し込むものすらない。


冷たいつむじ風がニットの隙間に吹き込んでくる。


両手を小刻みに擦りながら駅前の時計塔を見上げると、もうまもなくで待ち合わせの時刻を迎える様だ。


呼気に混じる白が段々深みを増し始めた頃、ちょうど目の前を横切った青年。


酷く見覚えのある背格好にももこは思わず息を止め、僅かに背を向けた。


肩越しに盗み見るとネイビーのピーコートを羽織った、上背のある背中が少しずつ人混みに消えて行く。


その隣にはやはり良く見知った顔、けんいちとその友人の杉山だ。


地元が同じである以上、どれだけ逃げ回っても出くわす時は出くわすし、年が明ければ同窓会だってある。


何もやましくも無いのに、逃げ回る自身が途方もなく滑稽だった。


あと5分もすればたかしがここへやって来る。


どうか今だけは。


滑稽でもみっともなくてもいいから、彼と顔を合わせる事だけは避けたかった。