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2.苦い二律背反。

2020.06.12 17:17


ももことたまえが待ち合わせたのは赤坂見附の改札口。


昼間、たまえと電話した際にももこは思わず彼女を食事に誘ったのだ。


自らの身辺の変化をたまえに聞いてもらいたくて、堪らず電話口の彼女を呼び止めると「うん、行こう。」私もまるちゃんに聞いて欲しい事があるの、と快諾してくれた。


掌を擦るついでに見た左手首のZUCCAは午後7時16分、たまえとの待ち合わせまで10分ちょっと。


文字盤に付いた指紋をなぞりながら彼女を待った。

平日の夜は人波が穏やかで、家路を急ぐサラリーマンやらを横目にももこは携帯を開いた。


手持ちぶさたにYahoo!のニュースを眺めたり(とはいえ見るのは決まってエンタメ欄)、お気に入りブロガーのページへ飛んだりをしている間にたまえからの着信。


『もしもし、まるちゃん着いたよ。』


通話口の向こうでたまえが示した方を見ると、笑顔の彼女が右手を上げていたのでももこは携帯を仕舞うと、そこへ駆け寄った。


「ごめんね、待たせちゃったね。」


申し訳なさそうに首を傾げる彼女からは、何だか懐かしい薫りがした。


「ううん、全然。たまちゃん本当久しぶり!」


「ねえ、いつぶりだろう。」


女が2人、久しぶりの再会を果たせば話は尽きない。

会ったままの口数で今晩食事する店の内容までを話し、2人はどちらともなく肩を並べて歩いた。


今日の店はたまえがお気に入りだと行ったイタリアンを提供する洒落た食堂。


夜はバーも兼ねているそこは、昼間はランチもやっていてそれがまた絶品なのだそうだ。


駅からほんの5分程度で看板が現れ、手書きのチョークで何やら書かれた文字をももこはディナーとしか読み取れなかった。


両開きのアンティーク調の扉を開けば、店内は一面のオレンジ色で高い天井には転写された外国語が見受けられた。


間接照明のオレンジが反射した白いテーブルに、2人は向かい合って腰掛けた。


たまえが慣れた手つきでメニューを受け取り、それを開いてももこに寄越してくれた。


「いいお店。赤坂にこんなとこあったんだね。」


「まるちゃんならそう言ってくれると思ってた。」


と、上機嫌なたまえはワタリガニのパスタとリゾットを注文した。


本当はガーリックトーストも、と行きたいところだったがお互い明日も仕事なので渋々諦めた。


「まるちゃん、体調もすっかりいいみたいだね。」


よかった、と目を細めるたまえにももこは再び頭を下げた。


そして、出されたデュラレックスのグラスに入ったミネラルウォーターはレモンの香がした。


「いきなり本題というか。たまちゃん、私ね、たかしくんと別れたんだ。」


今度は本当に、完全に。


たまえは一瞬目を丸くしたが、そっかと優しく眉尻を下げた。


「あれえ、あんまり驚かないんだね。」


「ううん、何となくそんな気がしてたんだ。同窓会にたかしくん来てなかったし、もしかしてって。」


「そっか、だよね。それに1回別れてるしね。何か本当に終わったんだって、思ってさ。たかしくんと付き合ってた事自体が、夢みたいに思えて。」


思いの外、話す手間の省ける展開にももこは溜息を吐いた。


「ねえ、まるちゃん。私もいきなり核心なんだけど。」


それは大野くんのことが、きっかけ?


確かに核心だった。


今日最大の議題であり、ももこが一番聞いて貰いたかった事。

分かってはいたが、不意に肩に力が入る。


「うん、そう、だね。大野くんに会ってからおかしくなってたんだ、私。それがたかしくんにも伝わって、あの子傷つけちゃった。」


最後に笑っていた彼の笑顔は今も脳裏を掠める。


「そっか。おかしく、かあ。ねえ、まるちゃん。それで、まるちゃんはどう?たかしくんと別れた後、その気持ちって何か変わった?」


こんこんと湯気ののぼるワタリガニのパスタが目の前に置かれ、たまえは言葉を繋ぎながらももこの皿にパスタとカニの足を1本よそった。


「気持ち?」


「そう、まるちゃんの気持ち。たかしくんと別れて、やっぱりあの子の側に居たいのか、それとも。1人になって改めて大野くんへの気持ち強くなった?」


ももこの根底に広がる物をいとも容易く、だけど優しくたまえは掬(すく)い上げた。


「今は何ていうか、大野くんの事あんまり考えたくなくてさ。別れたばっかりだし、それに仮に大野くんへの気持ちを認めたところで、私。大野くんと付き合えるとか、そういうこと考えたことなくて。そこまで追い付いてなくてさ。」


「そっか、そうだよね。ごめんね、何か不謹慎だった。」


「え!たまちゃんが何で謝るのさ!私が、もっと自分の事ちゃんと分かってたらあんな風にたかしくんを2回も傷つけなかったんだし。もしかしたら大野くんの事も、錯覚とか、きっとただ懐かしいだけかもしれない。」


こういう時、疎くて愚鈍な自分がつくづく嫌になる。


自身の気持ちを散々揺さ振るけんいちには苛立ちすら覚えたのに、現に自分は好意を示してくれる相手に何一つ応えてやれなかった。

自分勝手もいいところだ。


「ねえ、でもね、まるちゃん。私やっぱり自分の気持ちには1番に正直でなきゃいけないと思うんだ。まるちゃんは、たかしくんと別れたばかりで、それどころじゃないかもしれないけど。大野くんに対する気持ちは素直に受け入れてもいいと思うの、例え錯覚でも。目に見えない物は思い込まないと。全部無かった事になっちゃう。」


それで報われる人の気持ちも、きっとあると思うの。


たまえの言葉の1つ1つがももこの胸に僅かな波紋を描き、染み入るように広がっていく。


やはり彼女に聞いて貰って間違いはなかったのだ。


ただ、後はももこが自分で自分の気持ちに頷けばいいだけ。


それなのにまだ喉の奥には何かがつかえて、なかなか首を縦には振れずにいた。


「あ、まるちゃん。話は変わるんだけど。」


スプーンにフォークをあてがい器用にパスタは絡め取られていく、ももこはカニの身をフォークで探りながらたまえを見た。


「私ね、お母さんになってたの。」