<今だから>読んでおきたい宮沢賢治 ⑦告別(『春と修羅』より)
<7日間ブックカバーチャレンジ>の変型版(⁉️)文豪・宮沢賢治の作品解説、第7回目は詩集『春と修羅』所収の詩の一つ、<告別>より📖
詩の本文に続く()内では<超訳>を施しています。
~告別(『春と修羅』より)~
おまえのバスの三連音が
どんなぐあいに鳴っていたかを
おそらくおまえはわかっていまい
(おまえが奏でる低音のバスの三連音がどんな具合に鳴っていたかを、恐らくおまえは分っていないだろう)
その純朴さ希みに充ちたたのしさは
ほとんどおれを草葉のように顫わせた
(その純朴さと希望に満ちた楽しさは、おれを風にそよぐ草葉のように震わせた)
もしもおまえがそれらの音の特性や
立派な無数の順列を
はっきり知って自由にいつでも使えるならば
おまえは辛くてそしてかゞやく天の仕事もするだろう
(もしもおまえが音階の持つ特徴や、威厳があって美しい、無限の順序で存在する音の調べを知って、自由に使いこなすならば、おまえは時にたどりつくまでに困難を要する、そして、輝く天賦の仕事もするだろう)
泰西著名の楽人たちが
幼齢弦や鍵器をとって
すでに一家をなしたがように
おまえはそのころ
この国にある皮革の鼓器と
竹でつくった管とをとった
(西洋の著名な音楽家たちが、幼い頃から弦楽器や鍵盤楽器を手にとって成功を収めたように、おまえは同じ頃この国にある鼓(つづみ)と竹管楽器とを手にとった)
けれどもいまごろちょうどおまえの年ごろで
おまえの素質と力をもっているものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだろう
(けれどもちょうどおまえの年頃で、おまえと同じくらいの素質と力をもっている者は、町と村の一万人の中にならおそらく五人はいるだろう)
それらのひとのどの人もまたどのひとも
五年のあいだにそれを大抵無くすのだ
(それらのどの人も五年の間にそれをたいていなくすのだ)
生活のためにけずられたり
自分でそれをなくすのだ
(生活のために削られたり、自らそれをなくすのだ)
すべての才や力や材というものは
ひとにとゞまるものでない
(全ての才能や力や素質というものは、いつまでのその人の中にとどまり続けるものではない)
ひとさえひとにとゞまらぬ
(人間でさえ、いつまでも一緒にいられるということはないのだ)
云わなかったが、
おれは四月はもう学校に居ないのだ
(今まで言わなかったが、おれは四月にはもう学校にいないのだ)
恐らく暗くけわしいみちをあるくだらう
(おそらく暗く険しい道を歩くだろう)
そのあとでおまえのいまのちからがにぶり
きれいな音の正しい調子とその明るさを失って
ふたたび回復できないならば
おれはおまえをもう見ない
(その後でおまえの今の力が鈍り、きれいな音とその明るさを失って再び回復できないならば、おれはおまえにはもう目もくれない)
なぜならおれは
すこしぐらいの仕事ができて
そいつに腰をかけてるような
そんな多数をいちばんいやにおもうのだ
(なぜなら、おれは少しぐらいの仕事ができて、それにあぐらをかいているような、そんな多数のやつらを一番嫌に思うのだ)
もしもおまえが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘をおもうようになるそのとき
おまえに無数の影と光の像があらわれる
(良く聞いてくれ。もしおまえが今後一人の優しい娘を想うようになるその時、おまえに無数の影と光の像(イメージ)が表れる)
おまえはそれを音にするのだ
(おまえはそれを音にするのだ)
みんなが町で暮したり
一日あそんでいるときに
(周りのみんなが町で暮らしたり、一日中遊んでいる時におまえは独りであの石原の草を刈る)
そのさびしさでおまえは音をつくるのだ
(その淋しさでおまえは音をつくるのだ)
多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌うのだ
(多くの侮辱や貧窮を噛みしめながら歌うのだ)
もしも楽器がなかったら
いゝかおまえはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ
(いいか、おまえはおれの弟子なのだ。もしも楽器がなかったら、力の限り、空いっぱいの光でできたパイプオルガンを弾くがいい)
『春と修羅』の第2集に収められている「告別」は、賢治がそれまで勤めていた花巻農学校の教師の職を辞する際に書かれた作品である。
賢治の退職の理由については複数の事情が挙げられているが、大きかったものとしては、生徒に対して「農民になれ」と教えながら、自らが俸給生活を送っている点への葛藤があったためとも言われている。
賢治は農学校を辞職した年(1926年)の4月より、宮沢家の別宅を改造し、百姓として自給自足の生活を始める。そして、周囲の若い農民とともに、私塾・羅須地人協会を設立し、昼間は周囲の田畑で農作業にいそしみ、夜には農民たちを集め農業技術などを教える活動を行っている。
この作品には、一人の恵まれない境遇にある、音楽の才能のある生徒に向かって呼びかける形をとりながら、実はその子だけでなく、愛着断ちがたい多くの教え子たちへの痛切な告別の情が全篇にみなぎっている。
教え子が歩むであろうきびしい未来と、彼自身が遭うであろうはげしい試練に向かって、けなげに、しかし決しておごらずに、その決意をうたいあげ、また、はげまし力づけているところに、格調の高さが感じられるのである。