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彼女。

2020.06.13 04:45

泣いたり、笑ったり、怒ったり。

そんな彼女達だから、目が離せない。


神様の巡り合わせ。


あの頃、そんなものが何よりも大切に思えた。


土曜の朝だというのに、梅雨入りした都心では夕べからの長雨がしとしと窓を濡らしていた。


昨夜はやけに疲れていた。


玄関にはバーゲンの戦利品お気に入りのツモリチサトのパンプスが転がっていたし、服は脱ぎ散らかしたままだった。


8時過ぎのAMラジオがリスナーからの葉書を陽気に読み上げる。


時折上がるDJの声とテンションに、眉をしかめて寝返りをうつ。


山田かよ子、24歳。


子供の頃なりたかった職業は漫画家。


大人になった今は、出版社の少女漫画部門でOLをしている。


凹凸(おうとつ)の無い名前も体型も平凡な日々も決して嫌いではなかった。


1年と少し付き合った彼とは半年も前に別れた。


何が理由で?と、よく尋ねられたがかよ子自身、何がどうしたという理由は特に持ち合わせていなかった。


よって、いつだってその質問が飛びかうと、曖昧に笑って見せていた。


彼と別れてからの日々は、始めこそ美しい思い出に苛まれて枕を濡らしたりもしていたが、しばらくすると合コンに仕事にと気付けば月日は逃げる様に過ぎていき、寂しいと思う余裕すらも無くしていた。


昨夜いつものように2時間残業して、地下鉄と山手線を乗り継ぎ自宅に帰るとポストに舞い込んでいた一通の手紙。


定形よりも一回り大きいサイズのクリーム色した封筒。


金色の縁取りが何なのか、かよ子は一目でわかった。


結婚式のご招待状。


と、おしゃれな筆体でしたためられていた。


差出人は?と、封筒を裏返したその名前に、かよ子は心臓を掴まれた。


杉山さとし。


それは、かよ子が小学3年のときに恋していたその人だった。


「山田、これ全部ボイドの領収だから。破棄しといて。」


金曜日のオフィスは戦場だ。


ある程度のノルマが達成されなければ、休日出勤が待っている。


故に、どのデスクもピリピリしているのだ。


かよ子だって例外ではない。


シュレッダーをかけるだけの雑用ですら、非常に鬱陶しかった。


ただ先輩からのお達しなら仕方ないと、かよ子はしぶしぶ席を立つとひたすらシュレッダーの前に居座った。


ため息が漏れた。


あの結婚式の案内以来、あの頃の甘酸っぱいようなくすぐったいような気持ちがじわりと甦った。


杉山とは、小中高一緒だった。


サッカーが上手で正義感が強くて、そのくせやたらと気の利く男の子。


まさに彼は、男の子のモテ要素を全て備えていた。


「私、杉山くんのお嫁さんになりたかったんだっけ。」


幼い自分を思い出して、なんだか泣きたい気持ちになった。


「山田、ごめん。この企画書面も破棄。」


「……。」


段ボール一杯のそれを、睨んだ。



***



「なあ、穂波。おれやっぱり白無垢でもよかったんじゃないかって思うんだけど。」


「今さらじゃないかなあ、杉山くん。」


雑誌を捲る手を止めると、呆れたように笑った。


穂波たまえは去年の暮れに、8年連れ添った彼に劇的なプロポーズを受けた。


ティファニーの指輪も、ムードのあるレストランも。


真っ赤で汗だくの彼の横顔にはかなわない。


愛しくて、愛しくて。


せっかくのイタリアンのフルコースは、涙でしょっぱくなったリゾットの味しか覚えていない。


小中高、共に過ごした彼。


杉山さとし。


サッカー部ではエースを張って活躍していたし、やんちゃで子供っぽいところも実は心配性で焼きもちやきなところもすべてが好きだとたまえは思っていた。


式は8月の大安にしよう、と親族一同満場一致で決定した。


身内と親しい友人だけの小さな式でいい。と、たまえは思っていた。


父がいて、母がいて、さとしの家族がいて。


小学生の頃からの親友の彼女がいて、そんな人達に囲まれて祝福されて、これ以上の幸せはない。


お色直しは両家の意見で2回に決った。


式場のウェルカムボードは、親友が腕によりをかけてこしらえてくれた。


あとはまだ書き終えきれていない招待状を、二人で毎晩ひたすら仕上げるだけ。


「なあ。」


「なあに?」


「マリッジブルーとか。なったりしないの?」


「なってほしいの?」


たまえは捲りかけの雑誌を閉じた。


「なったらどうしよ、って思ってる。」


大真面目なさとしの言葉に、たまえは思わず吹き出した。


「なるかなあ、ならないかなあ。わからないけど。」


二人の新居には気の早い贈り物が並んでいる。


「マリッジブルーなんてなってる余裕ないくらい幸せなんだよ、杉山くん。」


そう笑ったたまえにさとしはどうしようもないくらいの眩暈を覚えた。



***



ビームスのショーウィンドウの前でふと足を止めた。


気がつけばディスプレイの洋服が少し暑苦しいものに変わっていた。


そういえば、今年こそはセブ島にいくぞ!と、夏のクリアランスの時期にここでリゾート仕様のキャミとショートパンツを買った。


結局、今頃青い海に白い砂浜を駆けているはずの足下は、火傷しそうなコンクリートにへばりついて離れない。


かよこは、ジェット気流のため息を吐く。


つれない人並みをいくらかやり過ごしてそこを後にした。


昨日の仕事は日付が変わっても終わらず、終電を本気で逃しどうしようもなくって吉野家で豚丼を買って応接室のソファーで食べた。

 

――後の記憶がなかった。


携帯のアラームが、いつもの時間に鳴り響いて跳ね起きた。


窓の外は白みを帯び始めていた。


食べ散らかした豚丼のゴミにぐしゃぐしゃの頭、シワのいったサテンのハーフパンツ。


ああもう、消えてしまいたい。


かよこは会議室のソファーの上でひとり唸った。


とりあえずここで夜を明かしたという証拠を隠滅。


机の上のゴミをまとめミュールをつっかけると、ソファーの位置を正した。


はずみで倒してしまったマークバイのバッグからは中身が飛び出し、そこら一面に撒き散らしてしまった。


かよこは言葉にならない気持ちを眉間に表すと鞄の中身を拾い始めた。


手帳に携帯、化粧ポーチ、パスケース、結婚招待状。


あ、見つけてしまった。


何ともいえない核心部を目の当たりにして、かよこはいよいよ頭を抱えた。


今の今まで過去だった気持ちは、あの日からかよこの体の半分を占めている。


「行きたくないよ、花婿さんの杉山くんなんて。見たくない。」


これが本音だ。


会いたくない、見たくない、彼の、かわいい花嫁さんを。


見たくない。


だけど杉山くんのことも、その彼女のこともとっても好きなんだ。


「おい、山田。」


応接室の扉が開き、先輩が目を丸くしてかよこを見つめていた。


「おまえ、まさか。会社に泊ったのか?」


「そのまさか、です。終わらなかったんです、再来月号のレイアウト。」


あっそ。


と、背中から聞こえた。


あっそ、とは淡白な返事だ。


この先輩はいつだってこう。


仕事の出来る人とは皆こうなのかとかよこは思っていた。


「誰か結婚するの?」


「え。どうして…。」


それ。

と、手にしているものを指指され、かよこはああと曖昧に頷いた。


「そういや。俺も半年前行ってきたわ、披露宴。」


元カノの、と、先輩は笑って言った。


「え、元カノの披露宴に行ったんですか?」


「うん、わざわざラルフでスーツ新調して、ヴィトンのネクタイ絞めていってやった。」


うわ、とかよこは肩をすくめた。


「もう別れて3年とか経ってたし。俺もあいつも思い出以外の気持ちなんて持ってないしな。」


まあ、かといって招待状送って来るヤツも来るヤツだけどな。


と、先輩は転がったままのかよこの鞄を拾うと手渡した。


「まあ、出てよかったよ。あいつも幸せになれたなら、俺はもっと幸せになれると思えたし。」


「どんな自信なんですか。」


見たくない、でも見てみたい。


彼と彼女の門出を、そうしたら、また私も色々頑張れるのかもしれない。


「先輩、来月の有給ってまだいけましたっけ?」


「おう、多分な。」


おそらくギリギリ、と聞かされてかよこは慌てて手帳を広げた。


「行ってきます。私、二人を目一杯お祝いしてきます。」


「はい、気をつけて。」


扉の向こうが少しずつ騒がしくなってきた。


そろそろ部長達が出社してくる。


「顔洗って来ます。」


そうかよこは立ち上がり、扉を開いた。



***



「おはよ。」


さくらももこは、そんな彼の声で目を覚ました。


「おの、くん。」


寝呆けて呂律(ろれつ)の回らないももこは、誰だよ小野って?と、すかさず突っ込まれた。


「熱下がったな。」


手慣れた感じで額と額を合わせながら体温を計ってみる。


自分よりもひやりと心地い額に、ももこは瞬きした。


夕べ、中々デザインが固まらなくて、頭を抱えて眠れない夜を過ごしていたももこは、いよいよダウンしてしまった。


「知恵熱だな。」


そう言って冷えピタを貼ってくれたりした彼を、ももこは本当に頼もしいなあと思った。


先週小学生以来の親友から、手紙が届いた。


それは『拝啓、まるちゃん。』と始まり丁寧に敬具と結ばれていた。


内容は結婚するよ、というものだった。


同封された招待状には、そんな彼女らしい薄水色の文字で綴られていた。


大切な友の晴れの日にもちろんももこが行かないはずもなく、その日に休みをもらうためというのも相まってももこが根を詰めすぎたのも今回のダウンの原因だった。


元々、最近の自分は体調が優(すぐ)れなかったんだ。


羽毛布団の柔い重みを全身に感じながらももこはぼんやり天井を眺めた。


平熱が高いせいか体がだるい日が続いていた。


そんなももこに気付いてか否か彼が晩ごはんをこしらえる日はうどんだったりサラダだったり、胃に負担のかからないものがよく食卓に上っていた。


そんな細やかな気遣い、私の世界では他の誰もできやしない。


冷ピタをとりに部屋を後にする背中がやけに愛しくて危うく視界が滲むのを堪えた。


「ね、大野くん。」


「ん?」


「あたし、大野くんに言いたいことがある。」


「何食べたい?」


「ちがう。」


でもね、今は無理なんだ。


それは声には出さないでおいた。


「わかった。とりあえずさくらが復活してからでいいよ。そしたら聴かせて。」


うん。

小さく頷いて、ももこはまた目を閉じた。



***



昼下がりのフレンチレストラン。


テーブルが6つ並んだモルタルの床は綺麗にワックスが施されている。


かよこは、ひときわ華やかなテーブルに小包を抱えて出向いた。


パール色のワンピースを着た今日の主役は、本当にきらきらと輝いていた。


人生で輝ける瞬間。


それを目の当たりにしたかよこは彼女の目を見ることが無性に照れくさくて仕方がなかった。


「おめでとう、たまちゃん。」


わあ、と彼女は声を上げる。


「ありがとう、かよちゃん。」


ああ、この笑顔。


小学校の頃から見てきた変わらない、笑顔。


そんな彼女は今日、杉山くんのお嫁さんになった。


「今日は本当にありがとう。忙しいなか帰って来てくれて。」


眼鏡はコンタクトに、お下げは柔らかなウェーブに。


緑の陽だまりでふわりと笑う彼女は心底綺麗だった。


「山田、ありがとな。」


「杉山くんもおめでとう。」


ああ、やっぱりいい男。


不謹慎にもそう思った自分にヒヤリとしながら、かよこは微笑み返した。


幼い日、好きで好きでどうしようもなかった彼。


かよこの世界に、初恋をもたらした彼。


そんな彼を生涯忘れることはないだろうと、かよこは思った。


「さっきまでね、まるちゃんがいたんだよ。」


「え、まるちゃん!久しぶりだよ。東京にいるんだよね、全く会えてないけど。」


「うん。でも、大野くんに連れてかれちゃった。」


どうして?と、かよこは首を傾げた。


「まるちゃん、さっきここでサプライズがあったの。」


「え。」


たまえはさらに顔を綻(ほころ)ばせ彼と顔を見合せた。


「かよちゃん、耳貸して。」


開けっ放しのテラスに、風が滑る。


木漏れ日はライスシャワーのように降って、何だか訳もなく幸せに溢れていた。


「かよちゃん、今度は一緒にまるちゃんのお祝い見に行かない?」


「うん。」


どんな子が生まれてくるんだろう。


かよこは目を細めた。


明日からまたいつもの日常で、あのオフィスで締め切りに追われながら駆け回る。


明日から日本を離れ、南の海で愛する誰かとかけがえのない時間を過ごす。


明日から自分以外の誰かを守るためにさらに前を向く、強くなる。


そうやって、また誰かに恋をして、幸せを紡いで、新しい生命を育んで。


彼女も、彼女も、彼女も。


そんな日々を愛しいと、笑いながら、泣きながら、生きていく。