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June

2020.06.13 05:08

雲が晴れて、雨が止んで、きっとあなたを好きになる。

「なんだ山田、一人?」


その人はしらっと、そう笑いかけてきた。


昼さがりの従業員食堂。


目の前に腰掛けて、ひしひしと見つめ返される。


目を合わせちゃだめだ、穴が開きそうなほど騒ぐ心臓を撫でながら私は私にそう言い聞かせる。


都心の梅雨入りが予想以上に早くて、ヘアスタイルの決まらない日々が続いていた。


雨ばかりで憂鬱な通勤を少しでも盛り上げるために、マリメッコの傘を買った。


ビームスでレインブーツも揃えてみた、でも。


その効果も最初の一週間だけで今では跳ねた毛先にまた、ため息をつく毎日だった。


「山田、後頭部跳ねてる。」


ファックスとコピーを抱えた私に、そう話し掛けてきた先輩に思わず肩をすくめた。


「おい。今、明らさまにビビったろ?」


「そんなことないです。」


「嘘つけ。」


寝癖か、と後頭部をはたかれた。


ぺちん、と小気味良い音がした。


両手が塞がっていて応戦できなかったことが心底悔しい。


目を逸らしたら、つむじに嫌というほど先輩の視線を感じた。


しばらくの沈黙の後で、先輩のため息。


「もうしないよ。」


「何を?」


「キス。」


げ、と私が口をつぐむと先輩は人の悪い笑顔を見せた。


「嘘だあ。」


「うん、嘘かもな。」


ここしばらくの私はすっかり先輩のペースだった。


こんな無意味なやりとりも最近めっぽう増えて、それもこれも全て先輩が仕掛けてきていることなのだが。


そんなことは関係なく、とにかくこんな会話の一つ一つが私をどぎまぎさせていることは確かだった。


先輩とは、二度食事をした。


一度目は会社で、謎のキスを受けた日。


二度目は残業で終電を逃した晩、すき家をご馳走になった。


「いい年した男がすき家でごめんな。」


そう笑った先輩は、今度はきちんとしたとこに行こうな。とも続けた。


こうして三度目の約束が交わされたのだ。


この状態は何なのだろうか。


給湯室でデスクの人数分だけマグカップを並べながら、ひとりごちた。


先輩はなかなか良く出来た男性だと思う。


見た目も去ることながら、仕事もよく出来る。


29の若さでデスクリーダーを任されている。


仕事もできる、お金も持ってる、イケメンだ。


これは先輩が自分で付けた『俺、イケてる、三拍子』 、最悪だ。


性格はやや難有り・らしい。


そんな人がでも、なぜ、私なんだろ。


もう幾度も俊巡(しゅんじゅん)したが解明には、未だ至らず。


「山田、コーヒー遅い。」


背中から声を掛けられて、咄嗟に並べられたカップの内一つを倒してしまった。


中のコーヒーは上手いことシンクに零れて、みるみるそこを滑り黒いゴムの向こうに吸い込まれた。


「おっちょこちょいか。」


「すみません。」


ああ、どうして。


こういうときは、いつだって先輩なんだろ。


「火傷ない?」


「ないです。カップも割れてないです。」


「そ。それ、俺のだから割るなよ。」


嗚呼、、 よりにもよって先輩のカップだったなんて。


神さまなんて、本当はいないのかもしれない。


「何だよ山田、顔がブスだぞ。」


「生まれつきです。」


「失礼な奴だな、親に謝れ。」


こんな会話の一つ一つに、きっと意味などない。

ない、けれど。


もう、限界だ。


「先輩、嫌です。」


「まだ何にもしてないじゃん。」


「そうやって一日の節々で私に構ってくるけど、私。なんか本当、苦しいです。」


そう、と先輩は全く声色を変えず、だけどさっきまでとは明らかに違う空気で、「なあ、山田。」 と、呟いた。


「年を取るとさ、男って。さらにガキっぽくなるんだよ。さすがにスカート捲ってみたり、大声で喚いたりは出来なくなるけど。」


してたんだ、スカート捲り。


「だけど、何にも全く変わらないんだよ。昔いただろ、俺みたいな奴。」


シンクに落ちる水音に弾かれるみたいに、ルービックキューブを揃えられたみたいに、私の頭が冴えていくのがわかった。


「先輩、私を好きなんですか?」


そのときの先輩ときたら。鳩が豆鉄砲、て顔。


「そうだよって言ったら、山田。お前俺と付き合うか?」


ええ、、、 嘘だあ。


だって先輩。


「どうして私?て、顔すんな。直感だ、俺の直感が山田だって言ったんだよ。」


そんなことを恥ずかしげもなく言う先輩に、いよいよ私が耐えられなくなっていた。


「俺にしとけば、今ならもれなく雨風しのげるBMWがついてくる。」


「送り迎えなんて、いらないですよ。」


「辛いことがあったら抱きしめてやるし、嬉しいことがあったら一緒に喜んでやるよ。」


「何だか、夢みたい。」


そう言うと、何が夢だ、と。


先輩は二回目のキスをした。


私は少しだけ驚いて、だけど唇が離れたらもう一度きちんと考えなくては。


そう思いながら先輩の肩越しに見えた空は、もうすっかり晴れていた。