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指輪。

2020.06.13 05:36

いつか、いつの日か叶えばと強く願った。

ヴァージンロードの彼方、そんな事は夢のまた夢。

代官山のジュエリーショップ、店内は婚前のカップルがひしめきあっている。


平日夜に、これだけ盛況なのは何も麗(うらら)かな春の陽気だけでは無いはずだ。


そんな店先で一瞬足を止めた自分が一番どうかしている、そう言い聞かせてそこを後にした。


その日の山田かよこは、すこぶる機嫌が悪かった。


ガラス窓が白く霞むくらいに、日射しは燦々としていたにも関わらず、彼女の表情はむくれっ面だった。


会社で一服する際にすれ違った彼女を捕まえて、不機嫌の意味を問えば「機嫌が悪いんじゃない、機嫌斜めなの!」なんて減らず口を叩かれた時は本当にどうしようかと思った。


機嫌斜めと悪いはイコールじゃないのか?


挙句、不信に思われたらかなわないから離して。


山田かよこは、そう言った。


そこまで言われてしまえばさすがにお手上げ、舌打ちに近い溜息を大袈裟に吐いて彼女の腕を離した。


ちょっと昔だったら面倒くさいと即、手放した恋でも今はぎりぎりで踏張ってみようと思う、随分と大人になったものだ。


少しばかり昔ならば、そもそも彼女に興味が湧いたかすら定かではない。


会社の後輩でどこにでもいるごく普通のOL、強いていうならしぶといくらいに片想いしていた事と、妙にちんちくりんな所が他とは若干違っているくらいだ。


山田の初恋の“杉山くん”は、どうやらスポーツマン風のサラリーマンらしく、以前2人で昼飯に行った時すれ違った爽やかなスーツ姿を目で追っていた。


そして今、彼女はやっぱり不機嫌。


山田、と呼び掛けても気のない返事を寄越すだけ。


晴れ渡った休日に笑ってないのは、こいつと交番に常駐する公務員くらいなものだ。


「おい、かよこ。」


「かよこって呼ばないでよ。」


振り向いた彼女はやっぱりむくれて、瞼の上で揺れた前髪を手櫛で整えながら深い息を吐く。


「呼ばないで、って。自分の彼女を名前で呼ぶ事の何が駄目なわけ?」


ねえ、かよこ、と再度口にすれば言葉に詰まったらしく威勢よく睨んでいる。


「先輩は。」


「何よ。」


「先輩はまだ、私が杉山くんを好きだって思ってるんですか?」


予想にしていない問いかけが一瞬思考を止め、ああ、思い当たる節が過る。


「何、聞いたの?」


「聞きましたけど?先輩と同期のお姉さんに言われました。」


「本当、お局さまはお喋りだよな。」


「それ、チクりますから。」


そう、あれは三日前。


久しぶりに大きな仕事を終えて思う存分酒が飲めた晩、珍しく酔っていたんだ。


連れ立って行った同期達に少しばかりの愚痴と不安を零した、記憶はある。


彼らに彼女の話を振られた時、確かにそんな類の話をした。


彼女には、まだ想う奴がいる。


「どうしてそんな事、決め付けてるんですか。」


「何となく、見てて思ったから。」


「杉山くんをまだ好きって?」


「そう。」


そこまで言ってから山田は眉を下げて黙りこくる、ううん、と唸りながら思案顔をしながら。


「どうすれば、先輩に伝わるんですか。」


突飛な問いかけに年甲斐もなく心臓が跳ねる。


黒目がちな視線が堪らなく痛い。


「私、今は杉山くんのことそんな風に想ってないですよ。」


確かに、と続ける口元をぼんやりと眺めた。


「そりゃあ杉山くんに子供が出来たって知った時は、ほんのりショックだったけど。それって大体皆あるじゃないですか、昔の思い出が懐かしいみたいな。」


それは少し違う気がしたが、あまりに彼女が真摯なものだからそこに触れる事はしない。


本音を言うと、彼女の気持ちなんて大方分かっていた。


扇状に縁取られた睫毛を伏せ、唇を結ぶ彼女を見れば一目瞭然。


「私は、先輩が好きなんですよ。」


分かんないですか、と可愛げも無くはき捨てる。


「俺の方が好きだよ。」


みるみる内に顔を染め、それは悔しそうにこちらを睨む。


でも事実、そうなのだから仕方がない。


そして、そんな彼女の指に自分の指を絡めて、たっぷり握り締めたら言う言葉なんかただ1つ。


「ずっと、一緒にいよう。」


昼下がりのティファニーのショーウィンドウの前。


結果、喜でも哀でも涙を滲ませる彼女を抱き締めたい衝動を、ただじっと堪えていた。